いつまで少年の心でいられるのか。
フォロー数に対して、フォロワー数が多い、
ということは、
かっこういい、というのは分かるけれど、
気にしないと思えば気にせずに済むもの
ではあると思う。
気にしない場合、大人な心で、
気にしないという価値観もあっていいよな、
と思えれば辛くはない。
逆に、自分の道徳観・正義感に基づいて
選んでいるはずなのに、
辛い、と思うなら、
自分の欲求を通し足りない、
と感じているのかもしれない。
日本は、いい人が多いけれど、
自分の欲求を抑え込んでしまう人も多い。
エニアグラムでも、
タイプ2「人の助けになりたい人」
の成長方向は、
タイプ4「特別な存在であろうとする人」
で。
タイプ2からタイプ4に成長するには、
自己の欲求を表現する、だったと思う。
相手を優先しがちな人は、
自己の欲求を表現することが課題だ。
私も、それから学ぶこともあった。
私はいつまで少年の心でいられるのか。
こだわらなくてもいいことや
興味を持たなくてもいいことに、
いつまで邪推なく夢中になれるのか。
私は、実はそれなりに大人だ。
純粋な子供のように、
こだわらなくてもいいことや、
興味を持たなくてもいいことに
完全に邪推なくして
夢中になることはできない。
フォロワー数に対してフォロー数が多いから、
偉い、とかそういうことはない、
というのはnoteを始める前から知っている。
それでも、知らないことにして、
ここまで来たのはそれなりの覚悟があった。
そのようなことにはこだわらなくてもいい、
そう思う気持ちもありつつも、
フォローを返さなくても文句を言われない
雰囲気を徹底してきた。
折れずに続けてきたのは、
やはりそれなりにすごいと思う。
今は、折れた訳じゃない、と思うのだけれど、
今までと同じように、少年の心でいられる
時間が少なくなったように思う。
反応されやすい雰囲気に徹することが
しづらくなってきた。
noteは一貫性が大事だ。
最近、一貫性を感じさせづらくなっていると思う。
本当に自分中心に考えていれば、一貫性を持てるかもしれないんだけれどな。
今まで、一貫性を持たせられていたのは、本心では、自分を中心に考えていたからだと思う。
それこそ、自分の気持ちが、わからない、
と感じる頻度が高くなっているんだ。
積み重ねてきたからこそ、
過去の自分の考えと、今の自分の考えが
矛盾しているのかもしれない。
今の自分は、いい意味で見返りを求めず、
相手が喜ぶことをしてあげたい、
そのような気持ちも生まれたり。
しかし、利己的な自分がこれまでいたことも、完全に忘れることはできない。
生まれながらにして、
利己的な気質が強かったのは事実。
どっちかに割り振れていれば、
受けとる側も
いい意味で諦めがつくかもしれないけれど、
今の私は、どちらにも割り振れていなくて、受けとる側に複雑な気持ちを
与えるかもしれない。