北京で翻訳が完成したこと
三年前、中国の大手新聞「北京晩報」に寄稿したことがある。そのタイトルは「文学の翻訳における言語の現場変換が必要」というものだった。ネット上で簡単に検索することができる。その中でぼくが述べた問題点は、翻訳プロセスに関する内容で、ほかとは関係がない。このプロセスを強調する理由は、やっぱり日中文学の翻訳経験に基づいているからだ。小説や戯曲だけでなく個人伝記や仏教経典も含まれていて、範囲は比較的に広い。最近、人民文学出版社から発行された拙訳『劇場』は、芥川賞作家・又吉直樹氏の小説だ。氏がこの小説を書くために選んだ場所は、北海道の札幌市だったらしく、芸人としてデビューしたのもここからだったという。無名で全く観客がいない時期でも、氏はその時の心境を忘れていなかった。そこで、小説の執筆現場をこの街に移したのだ。これは、二〇一七年に氏が上海でぼくに話してくれたことだ。そして、ぼくが『劇場』の翻訳業務委託を受けた後、同じ年の冬に札幌市に飛んだ。氏が泊まったその街で、ホテルに閉じこもり、一気に六日間で翻訳を完成させた。「言語の現場変換」とは、まさにこのようなものだ。
今年の夏休み、ぼくは北京の自宅に戻り、「変換」の実現について考えてみた。そのために選んだテキストは、現代流行っている文学ではない。流行を追いかけることや人気を得ることは、翻訳者の言語以外の動機を満たすことができないと感じたからだ。これは実に重要なポイントだ。
翻訳は単なる言語の交換ではなく、多くの場合、翻訳者に不思議な現場感をもたらすものだから、言葉では言い表せない。
今回は、ぼくが翻訳したテキストは、江戸時代の奇書とも言われてきた「夢酔独言」だ。著者は勝小吉で、幕府の年俸が少ない下級武士であり、日本のヒッピーの元祖とも言える。彼自身は一生大したことはせず、毎日飲み食いして放蕩していたが、息子の勝海舟は、幕末の開明的な政治家で、明治維新の功労者として名を残していた。勝海舟は父親が自分の成長に影響を与えたと認めている。
「夢酔独言」は勝小吉の自伝だ。子孫に自分のようにならないように警告するために書かれていた。この本は幕末の退廃的な江戸社会を詳細に描写し、特に酔眼老朽の筆致と艶やかな文体で日本文壇の名作として、その人気は今も衰えていない。残念なことに、中国ではまだあまり知られていない。
北京でのぼくの翻訳プロセスは次のように設定されていた。毎朝4時に起きてテキストに向き合い、筆を止めずに約3時間作業する。その後、近くの北京を代表するB級グルメである護国寺小吃で朝食をとり、朝市の周りの風景を見ながら散歩する。賑やかな街の様子は、翻訳後のリズムとがっちりオーバーラップ、翻訳したばかりの文章を思い出させてくれる。「少しも若きときはひまなきよふ道々を学ぶべし。ひま有時は外魔が入りで身をくずす中だち也。遊芸には寄る事なかれ。年寄は心して少しはすべし、過ればおのれのよふになる」(勝部真長編「夢酔独言」講談社学術文庫 P19)
「夢酔独言」中国語訳が完成した。これから出版社の編集者たちと打ち合わせする。北京の秋はこの上なく素晴らしいものだ。北京が大好きだ。