「1塁打」を狙う日本のVCに、存在価値はあるのだろうか?
日本のスタートアップや VC は、本気でホームランを狙っているのか? 大半のプレイヤーがスモール IPO で満足しているのではないだろうか?
日本のスタートアップ界隈は、皆、「1塁打」を狙いすぎだ。
起業家のビジョンも小さいし、投資家のレベルも低い。その上で、いやしくてつまらない「界隈意識」と、くだらない「同調圧力」によって、「仲良しこよし」で小さくまとまっている。その生ぬるさと閉塞感には、正直言って辟易している。
本来、スタートアップとは「100社に投資して、1社が大成功し、残り99社の失敗を補って余りあるほどのリターンを叩き出す」というゲームである。「ホームランを狙う」というのが、このゲームを支えるグランドルールだ。北米はもちろん、ヨーロッパ、南米、アジア圏においても「ホームランを狙う」ことこそがゲームを回し続けている。
唯一の例外が日本だ。ホームランを狙わずに、「仲良しこよし」で「1塁打」を着実に狙おう。そういうエコシステムが極東の島国を特異的に支配している。私は、そこに強烈な違和感を覚えている。
日本のスタートアップ「界隈」に所属していると、キャピタリストが嬉々としながら「男気で投資しました!」と自慢しているシーンに出くわす。
もちろん、これは嘘である。自覚があるのかどうかは分からないが、人間は「儲かる」ことに投資する生き物だ。「目に見えた負け戦」に嬉々として投資する人がいるとしたら、「男気」というより「狂気」を疑われるだろう。彼らは「男気」を掲げながら、本音では「計算された1塁打」に狡猾に目を光らせている。だからこそ、より一層始末が悪い。
「1塁打」を狙うのであれば、VC ではなく、PE で良いのではないだろうか?
総合力で見れば、VC よりも PE の方が優秀な人材が多く、ポートフォリオのバリューアップを担当するチームも存在する。VC と違って「なんちゃって社外取締役」ではなく、しっかりと現場まで入り込んで、強度の高いエグゼキューションもしてくれる。
しかし彼らは「男気」という名目で、VC の世界で「1塁打」を狙い続ける。
今の“スタートアップ界隈”にイノベーションは起こせない
彼らの狙う「1塁打」とは一体何か? それは、短期的な視座の元で行われる、ごく小規模な利益の享受である。例えば目先の黒字化の重視や、VC だけが儲かる小規模 IPO などはその好例だ。
「1塁打」を"着実な目標”と言えば聞こえは良いのかもしれないが、長期的な視座を欠いたそのような利益の「確保」は、もっと大きく、本質的な躍進のためのエネルギーをスポイルし、ときにその可能性をも摘み取る大きな機会損失だ。
当たり前だが、本気でバットを振り抜かなければボールが場外へ飛び出していくことはない。「1塁打」に気を取られるというのは、ゲームの流れをガラリと変える「ホームラン」の可能性を捨てて、とりあえず塁に出ようという逃げの姿勢に他ならない。
ーー私は起業家の皆さんに問いたい。
あなたがわざわざ打席に立つのは、とりあえず塁に出るためですか? 誰もがアッと驚くような場外ホームランをかっ飛ばすためではなかったのですか? 「1塁打」に囚われながら働く…….それは楽しいことですか?
ときとして「1塁打」を諦めなければ到達できない場所がある。
その遥か彼方を目指して打席に立つ。それが本来のスタートアップではなかったか。
日本の起業家と VC 界隈は、本気で「ホームラン」を打つために魂を燃やしているのか? それとも、現金一括購入した豊洲のタワマンの屋上でシャンパン片手に仲良く BBQ の薪を燃やしたいのか? どうせ燃やすなら、魂にしようぜ。と私は言いたい。
前述のように、スタートアップにとって「ホームランを狙う」というのは世界共通のグランドルールだ。日本を席巻する「1塁打狙い」は、明らかにそれに反している。なぜそんなことがまかり通るのか。
日本のスタートアップ「界隈」が、それを許してしまっているからだ。いわばそこに「界隈」だけで通用するローカルルールを創り出してしまっているのだ。
いやしくてつまらない「界隈意識」と、くだらない「同調圧力」を楽しんで、有名無実と欺瞞に溢れた社外取締役として悦に入る。一方で、日本の産業や人類の前進に資するような、何らかのイノベーションにも寄与しないーー。そんな「界隈」であり続けて、そこに進化はあるのだろうか?
世界の投資家たちは「黒字化はいつか?」とは聞かない
ダイニーは、本気でホームランを狙っている。
それも、日本のスタートアップ「界隈」が見たこともない規模のホームランを、私の人生のすべてを賭けて狙っている。
2024年9月、ダイニーは Bessemer Venture Partners及び Hillhouse Investment Management をリード投資家として、74.6億円の資金調達をした。フォローアップ投資家には、Light Street Capital の元パートナーである Jay Kahn 率いる Flight Deck Capital や、Thrive Capital のアジア専門ファンドである Eclectic Management がいる。
資金調達の過程では、40から50社程度の Tier1 のグローバル投資家と会話をしたが、日本の VC と全く違うその目線には圧倒された。打合せの度に自身の視座の低さを痛感し、猛省する日々だった。
一体何が違うのか。何が彼らと自分の間でそれほど大きく隔たっているのか。初めの頃は判然としていなかった。しかし次第に、私の中でその正体が明瞭になってきた。
彼らは本気でホームランを狙っているのだ。
度重なる打合せの中で、彼らの口からは一度も「黒字化はいつか?」という質問が出てこなかった。今のダイニーのサイズであっても、誰もそんなことを気にしていない。
最初はそのことを意外に感じた。しかし彼らの目を見ていたら、その理由もおのずと分かった。彼らはもっと「ずっと先」を見ているのだから、そんなこと気にもとめなくても無理はない。
この姿勢は、日本の「1塁打狙い」とあまりにも対照的だ。日本ではVCがスタートアップに「アーリーステージでの単月黒字化」を求める事例を聞いたことがあるが、そんなのは彼らにとっては噴飯物のお話だろう。もしかすると「1塁打」どころか「お前はメジャーリーグで送りバントのサインを出すのか?」と笑われるのかもしれない。
なにせ彼らは夢物語でなく、現実的に「ホームラン」を狙う、そういうゲームの中にいるのだ。そして実際に、その「ホームラン」を何度も目にしている。一発かっ飛べばゲーム全体がひっくり返ってしまうような、社会を大きく変革する力を持った特大の「ホームラン」を、彼らはよく知っている。
近年で言えば、 Uber などは間違いなく圧倒的な場外ホームランのひとつだ。日本ではデリバリーサービスとしての Uber Eats がよく知られているが、本家の Uberは配車サービスとして、現在の交通事情の中で既になくてはならないものとなっている。海外で実際に目にした人ならば、その圧倒的な存在感はよくご存じのことだろう。交通事情は Uber の登場で一変し、今や Uber なしの社会というのは想像もつかないところまで到達している。
ひとたび放たれれば、世界が変わる。これが「ホームラン」の条件だ。
それでは Uber は、最初に「1塁打」を狙ったのか。答えは否だ。Uber は2009年に創業してから、2022年まで一度も年間黒字を出さなかった。日本の感覚から言えば、これは衝撃的なことかもしれない。しかし改めて考えて欲しい。今や交通事情を根底から覆して見せた Uber は、13年間年間黒字を出すことがなかった故に劣等生か? 空振り三振か? そんな訳がない。それこそまさに特大の「ホームラン」に違いない。
世界の一流の投資家の目は常に、この「特大ホームラン」を見据えている。
それはあまりに単純な事実だった。しかしそんな単純な事実が、日本と世界の投資家との間に絶対的な壁として立ちはだかっているのも、また事実だった。その隔たりを意識した途端、私はもう、日本のスタートアップエコシステムに強烈な違和感と危機感を抱かずにはいられなくなった。
だからいま、若輩者であることを十分に自己認識した上で筆を執っている。
外食産業から、日本経済を再興させる。
日本からホームランを打つには、世界で戦える文化やリソースを駆使することが必須である。そして、外食産業は、日本が世界に誇る最強の産業だ。
これが、私がこのドメインに立脚する、唯一無二の理由である。
ダイニーは、飲食店向けの POS システムやモバイルオーダー、CRM ツールや決済、勤怠管理や評価管理など、外食産業のオペレーションに必要なあらゆるソフトウェアを開発する。それだけでなく、そこで得られた貴重なオフラインデータをもとに、飲食店や従業員に金融的な信用を供与する。
「飲食店のモバイルオーダーの会社でしょ?」と言われることがよくあるが、モバイルオーダーや POS システムは、実は全く本質ではない。
ダイニーが外食産業の「真のインフラ」となり、それを起点に、日本が国際的なプレゼンスを取り戻すこと。これこそが、ダイニーの本質である。
ダイニーは「1塁打」を狙わない。目先の利益を「確保」しないし、小さな成功に甘んじない。目指すのはあくまでも特大の「ホームラン」だ。
外食産業の真のインフラになるとは、そういうことだ。外食産業が「ダイニー以前/ダイニー以後」と区分できるような巨大な変革をもたらすこと。それを通し、国際社会の中での日本の立ち位置をも大きく躍進させること。我々の目指すのはそういうことである。
現時点で手掛けている事業は、まだまだ入口に過ぎない。登山に例えるならば、一合目どころか、登り始めてすらいない。前日に自宅で荷造りをしている最中である。しかし私の眼は、はっきりと山頂を見据えている。
はじめは、総理大臣になりたかった
日本を変えたい。このモチベーションは学生時代から変わることがない。
きっかけは、20歳の頃の世界一周旅行だった。
勉強を頑張って東大に入ったものの、授業にも恋愛ありきのサークル活動にも、早々に飽きてしまった。飲み会やカラオケ……「学生らしい遊び」にも一通り触れてみたけれども、何だか道化でも演じているみたいですぐに嫌気が差したのだ。次第に私は周囲に対して疑問を浮かべるようになっていた。
東大まで来て何をしているんだ?
そう思ったら居ても経っても居られなかった。2年生に上がるタイミングで休学。単身で世界を巡ることにした。最終的に大学は中退することになったが、学位記よりも重要なものをいくつも得たという確信がある。
40カ国以上を回っている中で目にしたのは、それまでテレビや新聞のニュースでしか見たことがなかったような、今までの自分の生活とはかけ離れた世界だった。
様々な国の、様々な光景が網膜に焼き付き、鼓膜を揺らし、頭の中を駆け巡った。帰国する頃には、私は全く別の人間になっていた。そして思った。総理大臣になろう、と。
簡単に口にすれば笑われるようなことかもしれないが、私は本気だった。私にそう思わせたのは、世界中で目にした衝撃的な出来事の数々だった。
南米のグアテマラでは、ゲリラによる略奪が人々を苦しめていた。武装したゲリラが旅人などを襲って金品を奪う。そんな悪行が許されて良いのか、と私は思った。
しかし現地の事情を深く知るにつれ、事態はそう単純でないということも分かって来た。ゲリラの横行する背景には、政治の腐敗の問題があったのだ。
グアテマラでは、政府側の軍人が村で略奪を行ったり、女性に暴行をしたりすることが常態化していて、ゲリラは元々それに対抗するために生まれた自衛のための存在だった。しかし活動資金の乏しさから、次第に旅人を襲うようになっていったという。
たしかに手段は悪だった。略奪行為が肯定されていいはずがない。しかし彼らは必死だった。決して「良い思いをしたい」という利己的な行動原理で動いている訳ではないのだ。根本的なところには「体制の腐敗から自分たちの村を守る」という正当な目的があった。ただ彼らには、略奪という「悪」以外の方法でそれを形にする道が存在しなかっただけなのだ。
一介の旅行者であった私には、この話がどこまで真実なのかは分からない。ただ当時はその理不尽で、自分の想像も及ばなかった「捻じ曲がった現実」に打ちのめされたのを覚えている。
「日本の衰退」を見たくない
私に衝撃を与えたのは、何もグアテマラの現実だけではなかった。
世界中、いたる所に理不尽な現実があり、苦しみながらも抜け出せない不条理があった。
それらを目の当たりにして、祖国に帰って来て痛感したのは「日本は恵まれている」ということだった。もちろん、日本も多くの社会問題を抱えているし、理不尽な現実だって数多く存在している。少子化問題や社会保障費の問題、待機児童問題……挙げていけばきりがない。
しかし例えば多くの人が、今日明日の生活をどうにもできずに途方に暮れたり、常に生命の危機に晒され続けるような苛烈な現実は、日本にはない。そういう意味で「日本はめちゃめちゃ恵まれている」。
こんなにも恵まれた国は他にはないし、この先にも生まれて来ないのではないか。
それが私の、帰国したときに抱いた素朴ながら切実な実感だった。
だとすれば、この恵まれた環境を自分の子や孫の代まで引き継いでいきたい。それが日本のためになるのはもちろん、世界にとっても大事なことなのではないかーー。
けれど、この数十年、日本の経済はどんどん衰退しているという現実がある。近い将来、アメリカや中国、インドに富が集中し、極東の島国は経済的に周縁化され、今よりずっと貧しくなっていく。そういう未来が見えてきてしまっている。もしそうなれば、日本人は海外の資本家から、安い労働力として買われることになってしまう……。
いま誰かがアクションを起こさなければ、この恵まれた環境を、下の世代に引き継ぐのは難しくなる。そう考えたとき「誰かじゃなく、自分じゃないのか」という想いが芽生えていることにも気がついた。この国の問題は、私自身の問題に他ならない。
フランス語でノブレス・オブリージュという言葉がある。「身分の高い者は、それにふさわしい義務を負う」。元々貴族階級に向けられた言葉だ。現代日本において、中流階級に生まれ、特に恵まれた環境の中で育ててもらった私は、おこがましいのかもしれないけれど、それにふさわしい義務を負うべきであるように思えた。
日本を再興するために、総理大臣になり、政治を変えよう。
これが私の行動を起こした原点だ。
コネがないと、政治の世界では成り上がれない
私はすぐに行動を起こした。最初は国会議員のもとで、秘書としてインターンをすることにした。
当時の私は政治について全くの無知であったから、今のうちに詳しくなってやろう、と決意めいたものを抱えて飛び込んだ形であった。
インターンをやっていたのは1年弱くらいで、トイレ掃除や、衆議院会館の部屋掃除、神棚の掃除、パーティー券を配るための企業への営業、政治のパーティーのロジなどなど……。雑用も含めて、やれることは何でもやった。ときには「メモをとれ」と指示を受けて会議にも参加させてもらったから、思った以上に内部の事情にも精通することができた。
無知だった私には勉強になることばかりで、本当に多くのことを学ばせてもらった。一方で現実を知れば知るだけ「この世界でのし上がるのは難しいだろう」という事実もまた痛いほどに感じることになった。
政治の世界では、何よりバックボーンが大事だった。いわゆる地盤、かばん、看板の「三ばん」と呼ばれるもので、「父が外務大臣でした」「祖父は防衛大臣でした」みたいな肩書がなければ、簡単に成り上がることはできない。
私が秘書をしていた議員の方には、残念ながらこの「三ばん」がなかった。「若手の新進気鋭」と呼ばれる、勢いのある政治家ではあったけれど、バックボーンがないばかりにほとんど「小間使い」のような扱いを受けていた。
そして私にも、同じようにバックボーンなんてない。
それではどんなに頑張っても、結局彼のように、なかなか成り上がることもできないのだろう……。そんな未来が見えてしまった私は、総理大臣になるという方針を転換することにした。
そもそも総理大臣は、手段ではあっても目的ではなかった。日本という国を良くするために何ができるのか、その道筋は「政治」だけではないのだと、この頃にはようやく分かるようになっていた。
ビジネスの力でも、世界は変革できる
では、どうやって日本を変えようか? 政治以外の道を模索し、私が辿り着いたのが、起業家、アントレプレナーを目指すという方針だった。
もともと私は「法」で人を動かすことに強い関心を持っていた。政治家になって立法ができれば、上から強制的に世の中を動かすことができる。そういうシンプルな構図が頭の中にあったのだ。
しかし重要なのは「法律」ではなかった。つまりそれは「システム」の問題なのだ。社会の構造そのものに働きかけて、在り方を変えていく。なにも立法にこだわる必要はない。そういう「システム」に働きかけるものとして、私の前には「ビジネス」があった。
法律とは、上から物事を変えていく「トップダウン」のシステムだ。それに対して、ビジネスは下から物事を変えていく「ボトムアップ」のシステム構築力を持っている。
法律が変わらなくても、例えばひとつのソフトウェアが世界を変えることがある。LINE による人々のコミュニケーションの変化は、法律によって上から作られたものではない。例えば蒸気機関が、自動車が、インターネットが、例えば iPhone というたったひとつの製品がーー私たちの生活をどれだけ大きく変えたことか。
実際に社会が変われば、むしろ法律は慌てて後からついてくる。産業にはそのように、民間から社会を変えていく力が宿っている。
だから私は、起業という道を選んだ。
「課題」をどう見極めるか?
最初に手をつけたのは「政治系のアプリ」だった。
住民の意見を自治体が集める「広報公聴」という課の仕事がある。当時流行っていたブロックチェーンの仕組みを使って、それをオンライン化できないか。
「ソーシャル」「ローカル」「モバイル」の頭文字をとって「ソロモ」という名前をつけたそのアプリは、結果的に大失敗に終わった。全く使ってもらえなかったのだ。
当時の私は「これが自分の作る最強のプロダクトだ!」くらいに思っていたのだが、蓋を開けてみればそう思っているのは自分だけで、実際にはニーズが存在していなかった。
出鼻をくじかれた形とはなったが、この失敗からは最も大事なことを学んだ。人々の感じている課題を正しく見極めなければ、良いサービスにはならない、ということだった。
それでは「人々の感じる課題とは何なのか?」と、120個ほどのアイデアを出してみた。日常で「面倒だな」と思うことがあったらメモを取り、深堀りして考えた。その他に、Twitter(現X)で「めんどい」「だるい」などで検索をかけて分析も行った。人々が何気なく呟いている言葉の中に、ヒントがあるかもしれないと思ったからだ。
「お風呂に入るのがめんどい」「服を選ぶのがだるい」など、様々な「課題」がそこにはあった。世の中にはこんなにも面倒なことが溢れているのかと、改めて見ると笑ってしまいそうだった。社会は課題で満ちていた。
多種多様な課題の中で、私の注目したのは「ランチに並ぶのがだるい」という課題だった。私自身、「サブウェイ」と「串カツでんがな」で長らくバイトをしていたこともあって、飲食関係の課題はより一層身に染みたのだ。飲食店の現場にはレガシーなツールも数多くあり、様々な課題がそこにあることは分かっていた。
そこでまず「ランチのテイクアウトのモバイルオーダーサービス」を始めることにした。
「300件」の飲食店に飛び込み営業
最初は「ココペリ」という名前でサービスを開始した。名前は食と豊穣の神様から取ったものだ。
サービスを用意したは良いものの、滑り出しは順調とは言えなかった。なかなか導入してくれる店舗が見つからなかったのだ。
起業当初は、エアビーで六本木に泊まり込み、朝から晩までひたすら飛び込み営業をかけつづけた。訪問した店舗数は300店舗にも及んだが、そのほとんどに断られ、怒鳴られたり、二度と来るなと塩をまかれたり、中には「殺すぞ」と恫喝に近い言葉を浴びせられたこともあった。
当時は「店員さんがオーダーを取らないなんてあり得ない」という常識が、飲食業界には根強く残っていたのだった。
しかし、粘り強く営業をかけ続けると、少しずつ受け入れてくれる店舗が増えていった。そして幸運なことに、サブウェイさんがモバイルオーダーのサービスを導入してくれたことが、サービスの大きな転換点となった。
その時期くらいから「ランチのテイクアウトだけでなく、本丸のイートインでもビジネスを展開できないか?」と考え始め、サービス名も現在の「ダイニー」へと変更した。
モバイルオーダーのシステムから始めたが、飲食店の抱える課題は「注文」だけではもちろんなかった。POS システムや顧客の管理など、飲食店の経営は細分化された、中にはレガシーとなったシステムが多く組み合わさり、その端々で「課題」を生み出し続けていた。
それらのシステムと個別、網羅的に連携することは困難を極めた。そこでまずダイニーではPOS システムも自社で開発し、オーダーと連携ができるようにしていった。更には LINE と提携して、顧客の CRM ツールとしても使えるように改良を進めた。
飲食業の抱える「課題」と根本的に向き合い続けた結果、現在の「モバイルオーダー」と「POS システム」を含む、飲食業のインフラを支えるダイニーの形が出来上がっていった。
マッキンゼーを蹴って、まちの飲食店に就職する世界
ダイニーは今年で創業6年が経過した。2019年に POS をリリースしてから5年が経ち、法人化前のプロダクト開発時代を含めると8年目となる。ありがたいことに、メンバーの数は130人に到達した。
串カツ田中さんやエー・ピーカンパニーさんなどの上場企業をはじめ、中小企業の皆様にもたくさん導入していただいており、本当に感謝してもし尽せない。しかし、実現したいビジョンからしたら、現状ではまだまだ及ばない限りである。
外食産業から日本を変える。
我々が作りたいのは、外食業界で働く人たちの年収が、あたりまえに1,000万、2,000万を超えている世界だ。マッキンゼーに新卒で就職するような人が、まちの飲食店に新卒で就職する世界なのだ。
しかし、現在の外食産業は人手不足が深刻で、決して働きやすい環境とは言えない。労働時間も長く、賃金も低い。これは非常に残念な事実だ。本来、外食産業にはもっと大きな可能性があると、私は断言する。
飲食業の労働人口は約400万人、市場規模は25兆円ほど。日本の労働人口の5.6%、GDPの5%は外食産業が占めている。
外食産業は日本経済の屋台骨なのだ。
そんな飲食業がもっと豊かな産業になれば、日本の産業全体に大きなインパクトが出せるのは間違いない。
そのために、我々が飲食業をプロデュースする。これは絵空事ではない。絶対に実現可能なのだと、私は確信している。
小さな飲食店でも「海外展開」は実現できるはず
では、どうやってそれを実現するのか?
私が考えているのは、国家戦略として、日本の飲食店を海外へ輸出していくことだ。
たとえば韓国政府は、国家としてアイドル産業に多額の投資をしていることが知られている。それが功を奏し、K-POPは非常に高い水準の音楽、ダンスを含めた総合エンターテインメントとなり、韓国国内のみならず世界中で多くのファンを魅了している。つまり、多くの外貨を獲得することに成功しているのである。
日本の場合、同じことが「飲食」で可能であると私は考える。日本の飲食店には、海外で勝てるだけのポテンシャルが間違いなくあるのだ。
例えば、先日フィリピンを訪れた際、日本の「富士そば」に大行列ができているのを目にした。価格も1,000円ほどで日本国内より高価にもかかわらず、多くの人が列をなす「ブランド」がそこにあった。
中華料理から独自で進化を遂げた日本の「ラーメン」は、現在では中国に逆輸入され高い人気を誇っている。アメリカでも人気の「ラーメン」は、1杯2,000円ほどの「ブランド」であるが、それでも客足は絶えることがない。「サイゼリヤ」も、現在中国に200ほどの店舗がある。決算資料を見てみれば、中国での利益率は日本国内のそれを遥かに上回っている。
日本でブランド力やオペレーションを鍛えて、それを海外に持っていけば、そこには確実に勝機があるということだ。
ただ現状、海外展開ができるのは、大きな資本のある会社に限られている。それこそサイゼリヤ、鳥貴族、富士そば、牛角……など、誰もが知っているレベルの大きな会社でなければ、本格的な海外展開は難しい。
しかし本来は、まちの小さなお店でも、海外展開はうまくいくはずだ。
現に、現在好調のインバウンド需要がある。日本を訪れた多くの外国人が、日本の飲食店に魅了され、また飲食店を観光目的として来日する外国人も少なくない。商店街の小さな居酒屋さんや、定食屋さん。今のところ、そういうお店には、海外に展開する具体的なノウハウと資金がないだけなのである。
そこを、我々が支援したい。
ダイニーがオーダーと会計だけではなく、もっと深く飲食店に入りこんで、飲食店の海外進出を「総合プロデュース」していく。これが我々の描いている戦略である。
「このためだったら死んでもいい」
日本を変えたい。このモチベーションは、学生時代からずっと変わらずに持ち続けている。
さらに言えば、この大義のためなら死んでもいい。そのくらいの覚悟がある。
だからこそやる気が湧いてくるし、逆説的にそれが生きる活力になっている。
かつて「武士道とは死ぬことと見つけたり」と記した山本常朝の『葉隠』から学んだ三島由紀夫は、民主主義の世でただ漫然と生きることのやるせなさを「生の倦怠」という言葉で表現した。現代の日本はかつてないほど平和であり、物質的にも満たされている。戦国時代と違って「大義のために死ななければいけない」ことなど考えられない。つまり、身近に「死」がない。
もちろん、それは喜ばしいことに間違いはない。しかし、だからこそ現代人は、自らの「生」の意味を規定することが困難になっている。「何のために生きるのか?」と問われ、即答できる人が一体どれほどいるだろうか。ただ生きているから、生きている。漫然と、これで良いのかなとぼんやりと思い悩んでみたりしても、答えは出ない。「生に倦んでいる」人がたくさんいる。
「死」が身近でなくなったからこそ、現代を生きる私たちが幸せに生きるには「このためだったら死んでもいい」と思えるくらいの大義を、自ら定義する必要があるーー。
私にとって、その「大義」こそが「日本を変える」ということなのだ。
アレクサンドロス大王と比べると、己の不甲斐なさに涙が出る
私は、誕生日を祝われるのが苦手だ。
誕生日を迎えるたびに泣いている。ベッドの上でひとり、天井の木目なんかを数えながら。自分の矮小さが悔しくて、悔しくて悔しくて仕方がない。未熟な自分を置き去りにして、年齢が先へと進んでしまうことが、何よりも悔しい。
私は中学生の頃から、マケドニアの王、アレクサンドロス大王に憧れている。彼の年齢と、自分のいまの年齢を比べながら生きてきた。なるほどアレクサンドロスは、何歳の頃には何をしていたのか、と。だからこそ誕生日になると、自分の不甲斐なさを思い知らされて辛くなる。
アレクサンドロス大王は紀元前4世紀の偉人で、18歳でマケドニアの王になり、30歳までには、ギリシアからインド北西にかけて大帝国を築き上げた。
彼には飽くなき野望があって、ひたすら自分の描くビジョンに向けて突き進んでいった。歴史上の王の中には、権力やお金や女性や……なにかに溺れて駄目になっていく者が少なからずいた。しかしアレクサンドロス大王には、そういう「弱さ」が一切ない。彼の眼は常に飽くなき野望の先を見据え、彼の人生の全ては野望のために捧げられた。
そんなアレクサンドロス大王と比べると「こんなちっぽけな自分は何のために生まれてきたんだろう」「何のために生きているのだろう」という惨めさに苛まれる。
でもだからこそ、私は比べることをやめない。多分これからも一生、アレクサンドロス大王やその他の偉人たちと、自分の年齢を比べては自己嫌悪を繰り返していく。
そして、そのギャップを少しでも埋めるべく、私は一刻も早く、自分のビジョンを実現したい。常々そんなことを考えている。