Ernst Ludwig Kirchnerについて覚書② 遺品管理と権利帰属問題

 エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirhner)とかれの作品について調べたことを覚書した。前回は戦後の地域別評価の移り変わりについて記した。今回は遺品管理と権利帰属問題に関してまとめた。

 覚書①の記事


遺品管理
 キルヒナーの妻エルナ・シーリング(Erna Schilling)が1945年に死去した後、キルヒナーの遺品は、1954年までゲオルク・シュミット(Georg Smidt)率いるバーゼル芸術美術館に引き継がれた。1954年以降には遺品管理はシュトゥットガルトの近代美術館のロマン・ノルベルト(Roman Norbert)が受け継いだ。ノルベルトはかれの死の2002年まで、国家主義に退廃と烙印を押された芸術の名誉回復(リハビリ)や表現主義絵画の保護に貢献した。2002年以降はノルベルトの役割は、ノルベルトの子どもであるヘンツェ=ケッテラー(Henze-Ketterer)とギュンター・ケッテラー(Günther Ketterer)に受け継がれた。そこから、インゲボルク・ヘンツェ・ケッテラー(Ingeborg Henze-Ketterer)と彼女の夫ヴォルフガンク・ヘンツェ(Wolfgang Henze)がキルヒナーの遺品を管理するようになった。現在はベルンのヴィヒトラッハにあるキルヒナー・アルシーヴで遺品が保護されている。キルヒナーの作品は総じておよそ2万5000から3万ほどあり、1万2000作品ほどのスケッチブックの作品、1万作品ほどの線画、パステル画、アクリル画、1500作品ほどの油彩画、2100作品ほどの版画などがある。

課題
 キルヒナーの作品は、国家社会主義の下で押収されたり、海外に売り飛ばされたり、競りにかけられたり、また各地で芸術収集家や画商、美術館によって買い取られたために、ドイツ国内・国外のあらゆるところに散らばっている。そこで、作品の所有権帰属や財産権の問題、不明瞭で不明な作品の履歴についての問題が生じている。

キルヒナー『シュトラッセンシーン』訴訟
 《シュトラッセンシーン》(Straßenszene)はキルヒナーによる油彩画で、ここ最近までドイツで起こった、「略奪芸術」(Raubkunst)による損害賠償について争われた裁判である。アルフレット・ヘス(Alfred Hess)の相続人であるアニタ・ヘルピン(Anita Helpin)が、国家社会主義大勢の下で押収された絵画は合法的に返還することを義務付けるという、1998年の《ワシントン宣言》(die Washingtoner Erklärung)と1999年の《総合宣言》(die Gemeinsame Erklärung)を論拠に、ブリュッケ美術館にこの絵画の損害賠償を請求した。この問題はベルリン文化審議会に持ち越され、だれがこの作品を購入している状態かということに関して、結論が出ていなかった。
 表現主義絵画の収集家であるアルフレット・ヘスが、この《シュトラッセンシーン》を所有していた。ヘスの死後、息子であるハンスがこの絵画を単独相続した。1933年にはバーゼル美術館、1934年にチューリッヒ美術館で最高2500ライヒスマルクで展示された。

1936年か1937年に、この絵画はヘスの未亡人であるテーカ・ヘス(Theka Hess)からカール・ハーゲマン(Carl Hagemann)に3000ライヒスマルクで譲渡された。ハーゲマン一家は、フランクフルトのシュテーデル美術館のディレクターであるエルンスト・ホゥツィンガー(Ernst Holzinge)に贈与し、1970年のかれの死後、家族が1980年に190万ドイツマルクでブリュッケ美術館に譲渡した。
 争点は、テーカ・ヘスがカール・ヘーゲマンにこの絵画を譲渡する際に、ナチスによって強制させられたのか、もしくは別の方法にて譲渡されたのか、という点である。返還が適用されるのは「ワシントン会議の原則は国家社会主義者によって押収された作品に係る」。芸術批評家のベルント・シュルツ(Bernt Schulz)はとヴォルフガンク・ヘンツェは、この絵画の売買がナチスによって強制されたということを疑っている。
 この絵画はクリスティーズ・オークションハウス(Auktionshaus Christies)にて、ロナルド・S・ラウバー(Ronald S. Lauber)によって3000万ユーロで購入され、現在はニューヨークの新ギャラルーに存在している。


出典
Anton Michael, Illegaler Kulturgüteverkehr. De Gruyter, Berlin Boston 2010
Christian Saehrendt, „Die Brücke“ zwischen Staatskunst und Verfemung Expressionistische Kunst als Politikum in der Weimarer Republik im „Dritten Reich“ und im Kalten Krieg. Franz Steiner Verlag Stuttgart. 2005New York Times, Roman Norbert Ketterer 91 Art Dealer. New York 22. June. 2002 Frank Whitford, Kirchner und das Kunsturteil, in: Ernst Ludwig Kirchner 1880-1938. Nationalgalerie Berlin Staatliche Museen, Preußischer Kulturbesitz, 1980
Wolfgang Henze, Das Ernst Ludwig Kirchner Archiv in Wichtrach/Bern und die Abklärung der Echtheitsfragen zu Kirchner“, in: „Bild und Wissenschaft -Der Umgang mit dem künstlerischen Erbe von Hodler bis Jawlensky, Locarno 2003, S. 35-44.
Nicola Kuhn. Letze Versuche: Kirchners „Straßenszene“ aus dem Brücke-Museum ist für Berlin kaum noch zu retten. Einschiffung nach New York. Der Tagesspiel
Hyun Ae Lee, ‘Aber ich stelle doch nochmals einen neuen Kirchner auf’: Ernst Ludwig Kirchner Davoser Spätwerk. Mit einer ausführlichen Zeittafel der Schweizer Jahre 1917 bis 1938. Waxmann Verlag, 2008

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