朝起きたら水が出なくなっていた話
朝、目が覚める。意識がはっきりしないままにユニットバス内にある洗面台へと向かう。蛇口をひねる。
「えっ……?」
水が出なかった。
まどろみを楽しんでいた意識が異常事態に目を覚ます。すぐさま家中の蛇口(といっても洗面台と台所のシンクの2ヵ所にしか無いが)を開けて水が出ないという事実を目の当たりにした。
(なんで? 今日アパートの屋上の貯水タンクの清掃でもあったっけ?)
誰にも見られていないのに表面上は冷静さを装いつつトイレの便座に座る。用を足して水を流す。
ザザーッと勢いよく流れていく水音とガンッガンッという貯水タンク内から響く音に(あ、水が出ないから貯水タンクに水が貯まらないじゃん)と遅れて気づく。そのまま手を洗おうと水が出ないのを確認していたはずの洗面台の蛇口を回す。どうやら頭の中は相当慌てているようだ。
手を洗わないのは気持ちが落ち着かない。水が出ないから洗えないでは困る。何かないかと狭い部屋を見渡して、コロナ対策として買っていた消毒用エタノールが目に付いた。備えあれば患いなし。そんなことを頭の中でつぶやきつつ手を洗うように消毒する。やっと気持ちが落ち着いた。
◇◇◇
引きこもりニートという私の生活には変化が少ない。特に何も変えようと思わなければ、ただただ暇という最大の障害をどうにかしようとスマホをいじる日々が続く。
このような生活では人とも触れ合わないからストレスも大きくない。未来への不安と親への申し訳なさはあれど、ストレスへの対処方法を知っていればどうにかできてしまう。
変化がないストレスがない、このような生活では感情にも波が生まれない。波が生まれないというのは大きな感情に左右されないということだ。
そんな日々を今まで何年にも渡り続けてきた私である。「自分は落ち着いていて滅多なことでは動揺などしない」などと尊大にも思っていた。
今朝の出来事は「水が出ない」というたったそれだけのことでしかないのに、フラッシュモブに遭遇したかのような衝撃を受けた。
表面上は冷静に取り繕っても、頭の中は盛り上がって収集のつかなくなった飲み会のように混沌とした様相を見せ、「落ち着いていて滅多なことでは動揺などしない私」という仮想の何かはどこにも存在しないことを私に突きつけた。
◇◇◇
私はふとしたことで感じる喜怒哀楽をすぐに忘れてしまう。
日記には思考や感情も書くべきだとわかっていても、いざ書いた日記を読み返すと日々の出来事9割、感情1割くらいになってしまっている。1割でも実際より多いくらいだ。
最近はこの事実を自覚してしっかりと感情にも注意を払おうと思ってはいた。しかし久々に大きく揺れる感情に「ちゃんと毎日目を向けてよ」と改めて言われているようにも感じた。
感情を揺り動かされることも少ない生活の日々だ。今朝の小さなイベントは「楽しい」経験になった。そう、感じた。
もっと感情を大事にしていこう。そう改めて思わされる朝の出来事だった。
あ、水が出なくて顔も洗えないんだけど、どうしよう?
ここまで読んで下さってありがとうございました。
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