『分人』という自分
先日Twitter(@MasakiOsujo)にて、最近感じたことについて、tweetをさせて頂きました。
以下,そのtweet
モヤっとしたのでtweetしましたが、少し掘り下げてみようと思います。
私は普段、障害福祉施設で働いており、障害をもつ方への直接支援を行っています。また私が働く施設の特徴として、他施設では断れ、最後に頼られることもが多いです。
そのため、安全にお預かりするには、医療的ケアの方法や支援の方法など少し工夫や配慮が必要な事もあります。
しかし、そういった直接支援だけでなく家庭環境(家族(両親)と利用者さんとの関係性も含む)ことに介入の必要性がある場合もあります。
社会との繋がりの少なさが生む障害
なぜ家庭環境に介入が必要になってしまうのかを考え、見えてきたものは
『家族の社会との繋がりの少なさ』
ということです。
例えば女性で話を進めると
女性は男性と結婚し、『妻』という『自分』が生まれ、
子供が生まれることで、『母』という『自分』も生まれます。
そして一日の多くを『母』として過ごされます。
その子が大きくなると保育園に通うようになり、
保育園でのママ繋がりが出来、『〇〇ちゃん(くん)のママ』という『自分』が生まれます。
また、保育園に通うということは、両親は働いているということになりますので、会社で働く『人』という自分がまた生まれます。
という風に、社会参加に伴ってその人の持つ『自分』は増えていきます。
しかし、障害があることにより保育園に通えなかった場合、『妻』であり『母』である『自分』という3つの自分しかいなくなるかもしれません。
この『自分』という数が少なる事、これも(二次的)障害だと思っています。
『分人』という考え方
この様々な『自分』のことを小説家の平野啓一郎氏は『分人』と呼んでいますが、平野氏も著書の中で
私たちは、日常生活の中で、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。会社での分人が不調を来しても、家族との分人が快調であるなら、ストレスは軽減される。逆に、どんなに子供がかわいくても、家に閉じこもって、毎日子供の相手ばかりしている(=子供との分人ばかり生きている)と、気分転換に外に出かけて、友達と食事でもしたくなるだろう。専業主婦の育児疲れを理解するには、その分人の構成比率に対する配慮が必要だ。
~『私とはなにか』平野啓一郎 より~
複数人の分人の大切さを述べています。
自身の体験からも、この『自分』の数が限られると辛いと知っています(妻が専業主婦で一番辛かったのが、この分人構成比率が妻と母だけだった時と言っていたので)。
この『分人』が少ない場合(家族の社会参加が少ない場合)、子どもとの分人が不調な場合、逃げ場がなくなってしまいます。
会社の『分人』の場合は、最悪辞めてしまえばいいかもしれません。
しかし、『母』という分人は会社の『分人』のようにはいきません。
快調な時も不調な時も必ずあります。
そうした不調な時に、ケアができる『分人』を作っておくこと
僕はここが大事な気がしています。
僕が仕事の休みの日は、妻はバイトにいったり自分の時間を過ごしてもらううようにしてますが(もちろん家族揃う時間も作っています)
これは、妻の『分人』を作る時間を作ることで、子どもと母、そして家族がハッピーに過ごせるために必要だと思っているからです。
今#保育園落ちた問題が上がっていますが、
子どもたちの社会参加の機会が失われるだけでなく、
家族の『分人』が作られないことも重要な機会損失だと思います。
もし、近くに児童発達支援や日中一時支援、短期入所など使えるサービスがあれば、ぜひ使って子どももお母さんも社会との繋がりを作って貰えたらと思います。
twitterのアカウントも一つの『分人』
SNSによってオンライン上でのコミュニティも広がってきています。
私がフォローさせて頂いてる方々も、子育てに関する事や医療的ケアのことであったり、好きなアイドルのことや色んな話で盛り上がっているのをよく見かけます。
オンラインだからこそ、好きな時にその『分人』になれて、いやな人とは関わらないこともオフラインよりも容易にできます。
これは、昔ではなかった新しいコミュニティーの形であり、アカウントという『分人』ができることで生まれる社会参加の形だなと思います。
さいごに
障害児(者)や医療的ケア児と呼ばれる方々を取り巻く課題は多くあり、
今見えている(知っている)問題も氷山の一角なのかもしれません。
私もtwitterでご家族のtweetから知ることが多くあります。
しかしだからこそ、色んな課題が解決に向けて以前とは違うスピードで動き始めているような気がしています。
私も少しでもそのスピードを速くする力になれば。。