人を想うとはこういうことなのだろう。【最近の恋愛近況報告】
彼から連絡が来なくなって、1週間が経過しようとしている。こんなに連絡がないのは初めてだ。
別に喧嘩をしたわけでもマンネリ化したわけでもない。
連絡が来ない理由は、彼が仕事に忙殺されているからだと私は思っている。
そう思い込みたいだけなんじゃ?本当は冷められたんじゃ?と思われるかもしれない。
けれど、2週間前にふいに送られてきた、「仕事が辛すぎる」という彼からのメッセージに全てが込められているような気がしている。
その連絡が来たのは深夜3時だった。当直だったのか、家でその時間まで発表の準備をしていたのか、そんなことはわからないけれど。深夜3時に私にそんなメッセージを送る彼を想像すると、いてもたってもいられなくなった。
そのメッセージを見た私は、その日の夜、仕事終わりに彼の職場近くまで車を走らせた。片道1時間半くらいかかる距離が一瞬に感じた。
彼の職場にまで顔を出すのは流石に気が引けたので、近くのドラッグストアで待機することにした。到着したのは20時半。
近くのドラッグストアに10分だけでも来れる?とメッセージを送ったけれど、既読になることはなかった。
そのまま2時間待ちぼうけて、22時半。帰りの運転が流石に不安で、帰ることにした。
結果的にただただ片道100kmの距離を往復しただけの5時間だった。
ただ私にとっては、「行ったことに意味がある」のだ。行っていい?なんてことを聞くと来なくていいよと言われるのは目に見えていたから、まぁゲリラ的に私は会いに行っただけで。会えなくてもそれは自己責任だということは重々承知しながら彼の元へ車を走らせた。会えなかったことに悲壮感や虚無感みたいなのは全くない。行かないと私の気が済まなかっただろうから。私は行って気が済んだからそれでいい。
それから3日後くらいに彼からやっと返事が来た。当直と緊急オペが続いていてダメだった、ごめんねと。
せっかく彼女が1時間以上かけて会いに来てたのに連絡が3日後ってどうなん?という意見は死ぬほど聞いた。まぁそうだろう。もうその辺を深く考えると気持ちがしんどくなるので考えないようにしている。
もちろん今、早く彼から連絡がきてほしいと思う。
だけどそれ以上に、ただただ彼が無事であってほしい、大丈夫であってほしい、大丈夫なのであればもうなんでもいい、という、なんだろう、悟りみたいな境地にまで来ている。
昨日の夜、皆さんの住われている地域の空はどうでしたか?
私が住んでいる場所は昨日の夜、空気も空も全部がすんでいた。空が黒、ブルー、水色と綺麗にグラデーションがかっているのがしっかりわかるほど、綺麗な空だった。
それを見た母が、「今日の空はすごい!!めっちゃくちゃ星が見える!!こんなところでこんなに星が見えるなんて珍しいから、ちょっと外で流れ星待とう!!!」なんていうピースフルすぎる提案をしてきて、母と2人で庭で流れ星待ちをした。お酒を片手に。
こんな時間送れるなんて幸せだな、いい時間だななんて思いながらぼーっと空を見ていた。同時に、彼にも星が綺麗だと思える時間、心の余裕が少しでもあればいいのになと、なんだか悲しくなった。
そうしていると、本当に流れ星が流れた。
?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?と母と顔を見合わせた。
見た?!?!?!?!今のは完全に流れ星やったな?!?!?!こんなところでも見えるんやな!!!!と、2人で深夜1時近にいたく感動してはしゃいだ。
流れ星は一瞬で流れてしまったけれど、なんだかすごく意味のある流れ星なような気がして、願い事をした。みんなが幸せでありますように、と。
奇跡的に2個目の流れ星も流れて、追加で願った。
彼が優しくて穏やかな時間を過ごせますように、と。
彼から連絡が来ますようにだとかそんなことではなく、彼がそんな時間を過ごせていますようにと自然と溢れ願えたことがとても嬉しかった。
彼にとって、なにもかもがベストな方向に進んでいけばいいと思う。もし今彼にとって、私という存在が負担で、重荷で、もしくはもう好きという気持ちがあまりないなんとなく別れ際のわからない彼女になっていたとして。
どんな理由であれ、私と別れるという選択が今の彼の人生に少しでもポジティブな影響を与えれるのであれば、別れもすんなりと受け入れられる気がしている。いや、受け入れられる。
もちろん好きで好きで仕方がないのだけれど。今までだと好きな人にフラれるなんてことがあれば引きずって引きずってヨリを戻したくて毎晩妄想と迷走に走る夜を過ごしていたのだけれど。
なんだか今はすごく、私の気持ちがどうでもいいのだ。
私の好きな気持ちを蔑ろにしているのではなくて、好きだからこそ、彼が幸せになってほしいと思う。彼が優しくて穏やかで幸せな時間を送れるのであれば、側にいるのが私であれ他の人であれ、それはもう私にとってどうでもいいのだ。
最近思う。
無条件に相手が幸せであってほしいと願うこの気持ちこそ、人を想うということではないだろうかと。
会えなくても、悲しくても、寂しくても、虚しくても、疑心を感じても。
どんな状況でも相手に見返りを求めることなく、ただひたすら相手が幸せであってほしいと願ったり行動したりすることこそ人を想うということではないのかと。
彼に会えなくてもいいからと車を走らせた私の行動も、連絡が来なくてもただただ彼が大丈夫であってくれればもうそれでいいという私の気持ちも、別れを切り出されたとしても彼が幸せならと受け入れられるこの姿勢も、
全て全て、私が彼を本気で想っているという証拠なのである。
一人の男性を、赤の他人を、ここまで想う日が来るだなんて想像もしていなかった。連絡が来ない毎日が不安で心配で寂しいという気持ちももちろんあるのだけれど、だけどなんだかよくわからないスッキリさというか潔さというか、なんだかとても心地のいい想いがそのネガティブな気持ちも全てすっぽり包み込んでいて。
ここまで人を想えていることは幸せだなと感じている。
決して恋愛がうまく行っているという報告はないのだけれど、うまくいっていないという現状は私に人を想う時間を与えてくれている。
人を想うことは、とても気持ちのいいことなんだと彼から学んでいる。