【出産まで5ヶ月】寂しさと幸せの共存
「寂しいな。」
出産まで残り5ヶ月。
里帰り出産をする私は、予定日の1ヶ月前から実家に帰る予定でいる。ということは、夫と2人の生活は残り4ヶ月しかないということ。
「あと4ヶ月でこの生活は終わっちゃうんだね」
「でも、1年と半年は2人で過ごせたじゃん(๑╹ω╹๑ )クスクス」
「そうだよね、それもありがたいことよね。いい時期に赤ちゃん来てくれたよね。」
「あと4ヶ月楽しもうよ(๑╹ω╹๑ )ニコニコ」
夫と2人で生活した今日までの1年数ヶ月。
一度も喧嘩をした日はなくって、
1日も笑わなかった日もない。
毎日が、優しくて穏やかな時間だった。
そんな毎日が、我が子がこの世界に産まれてくるその日から変わる。
おそらくだけど、今のような穏やかな日々は続かないのだと覚悟している。私にとって愛おしい存在が夫から夫と我が子の2人に増えて、それは夫も同じ。どちらも平等に愛したいのだけど、愛するが故に心が乱れて何かが歪んでしまう日もくるのだと思う。我が子を大切に思うがゆえに、衝突してしまう日もあるのかもしれない。
そんな日がくることを恐れてしまうほど、
私は「今」を愛している。
「まにょちゃん(๑╹ω╹๑ )!!
この前まにょちゃん連れてくって約束した冷麺のお店(๑╹ω╹๑ )!!
まだ行けてないね(๑╹ω╹๑ )!!!!
明日のお昼にでも行く(๑╹ω╹๑ )ニコニコ??」
こうして、一心に夫の愛情を受ける日々が終わってしまう。
「おやすみね、
今日もありがとね」
「おやすみ〜(๑╹ω╹๑ )
まにょちゃんゆっくりね(๑╹ω╹๑ )」
こうして、穏やかな1日の終わりを2人で迎える日も終わってしまう。
「寂しいな。」
私は、猛烈に寂しい。
こんなにも心から愛おしくて
心が温まる日が終わるのが猛烈に寂しい。
「不妊治療のクリニックにまで行って授かった赤ちゃんでしょ?それで寂しいはなくない???」
そう言われるかもしれない。
でも私は思う。
私が「寂しい」と感じることは、
我が子にとってはとても「幸せ」なことなんだと。
我が子に会えることが
心から楽しみ。
そんな気持ちを夫婦で持ちながら、
今の時間を愛おしいと感じて、
今を失うことが惜しいと感じること。
これは、私達夫婦が
優しいけれど揺るぎない絆で結ばれている、
「幸せな夫婦」であるという証拠だから。
私達のような幸せな夫婦のもとに誕生する我が子は
幸せなのではないかと。
自分のことながらそう思う。
子供は人生を変える道具ではない。
私はそう強く思う。
子供がいたらあの人が私のそばにいてくれる。
子供がいたらもっと幸せになれる。
そういう、
自分自身の今を変えるための大革命のようなものでは絶対にない。
自分自身のことは自分で責任を持つ。今に不満があるなら、自分自身で変わるしか無い。変わるきっかけを子供という他者の命に依存するのは絶対に違う。
私達は今でも十分幸せで、
でもお互いに、
「この人の子供がいれば
また新しい幸せが見つかるかもしれない」
と、今とはまた違う未来に目を向けて。
その未来も今と同じくらいキラキラしているものにみえて、そして私達夫婦なら、産まれてくる命がこの世で幸せに生きる手伝いをできそうなきがして。
そして私達は子供と生きていく未来を選んだ。
より幸せになるために
子供を授かったわけではない。
私達は十分に幸せだったし、
今も十分すぎるくらい幸せ。
だけど私達は、
今とはまた形の違う幸せの先に
夫婦2人で歩んでいく。
悲しくて辛くて、
逃れたくてたまらない今に別れをつげるのではなく、
温かくて、優しくて、
幸せな今に別れをつげられること。
そしてまた形の違う幸せに向かって
夫婦として歩んでいけること。
それはとっても幸せなこと。
今が寂しいのは、
今がとっても幸せだから。
だからどうかどうか、
無事に産まれてきてね。
朗らかで優しいお父さんが待ってる。
今を幸せに生きる母が待ってる。
あなたを心待ちにしてるおじいちゃんおばあちゃんが待ってる。
溢れんばかりの幸せに包まれて産まれてくるあなたを、
心から祝福する。
まにょ。
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