これから観る方へ|映画『ラストマイル』のちょっと変わった楽しみ方
前回の記事では、元物流従事者の視点から印象に残った点を掘り下げたが、書ききれなかった事があまりに多かった。
そこで今回はこれから映画を観る方のために、物語の結末と(ぎりぎり)関係のない、個人的に面白いと思ったポイントを3点書いてみたい。
1.フルダイブ!その先は?
冒頭の演出
冒頭まず映し出されるのは、巨大ショッピングサイト「デイリーファスト」(以下デリファス)のアイコン。そこから流れる自動音声とマウスのクリック音がトリガーとなり、観客は映画の世界に引き込まれる。
意識が一気に作品世界へ持っていかれる効果的な演出だ。
バーチャルとリアルの関係
上述の演出を観て思い出したのは、ライトノベル・アニメ『ソードアート・オンライン』(以下SAO)である。
2009年に原作小説が刊行されたこの作品は、現代の日本を舞台としつつも、作中では最先端のVR技術を搭載したゲーム機器がある程度普及している。
登場人物はマシンを頭にかぶってゲーム世界にダイブする(=潜る)のだが、その先に広がるのは意識が現実から完全に切り離されたバーチャル空間でありつつ、”もうひとつのリアル”だ。というのも、ゲーム世界の中で主人公達は「遊び」を超えて周りのプレーヤーと唯一無二の関係を築き、生身の自分が現実世界で抱えていた弱みや恐れと向き合い、成長していくからだ。ある意味、ゲームの世界と現実が入れ子の構造になっているといえる。物理的には普段の生活の場にゲーム機が存在し、その中に仮想空間が広がっている。しかし本質的には、仮想空間(内)での体験が、現実世界(外)でのそれと同等の価値を持っている。つまり地続きなのだ。
映画鑑賞において観客(現実)はスクリーンの中の世界(仮想空間)に浸るのだが、本作『ラストマイル』の場合その「飛び込んだ先」に広がるものは様々だ。
それはありとあらゆるモノが並べられた仮想の店舗。そこ自体がまるでひとつの惑星のような異空間、物流倉庫。そして電脳空間のように無限に広がる、物流ネットワーク。
もうひとつ別の見方もあるのだが、それは観た人それぞれで受け取り方が違うと思うので、ぜひ直接感じてもらいたい。
2.ファウストVSメフィスト
"FAUST"とは
劇中、デリファスを騙った偽のCM動画に登場する"DAILY FAUST"。
"FAUST"とは、ドイツの古い伝説に登場する「ファウスト博士」のことだ。
文学作品として最も有名なのはヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲『ファウスト』(Faust)だろう。
時は中世ドイツ。ファウスト博士は宇宙の神秘を解き明かそうと生涯かけてあらゆる学問を究めるも、いまだ満足のいく答えに至っていない。ついに彼は神に背くことをも厭わず、魔術を駆使して霊を召喚し、悪魔メフィストフェレス(以下メフィスト)に出会う。メフィストに誘惑された博士は、「現生でメフィストに自分のあらゆる望みを叶えさせる代わりに、死後は魂を差し出す」という契約を結ぶ。
人を誘惑する悪魔と、自由を享受しつつも逆に弄ばれ破滅していく人間。その関係は、様々な芸術作品で象徴的に描かれてきた。
なぜファウストか
この背景をもとに考えると、映画『ラストマイル』において「ファウストVSメフィスト」のモチーフは、ネットショッピングと消費者の関係という点でたしかに示唆に富んでいる。
まず劇中の偽CMは、デリファス社をファウスト博士になぞらえたような描写だ。
デリファス社のような巨大ショッピングサイトは、現代の日本ではとても身近な存在だ。このようなサービスが発展し続けているのは、なぜだろう?
ネットショッピングサイトを眺めていると、同じ商品でもサイズや色の組み合わせが何通りもあり、何社も似た商品を出品していることに驚く。そこまで多様な商品が、どこに売っているか自発的に調べなくても、家に直接届く。さらにオンライン限定の商品やセールもある。
この過剰な利便性は、それが当たり前になり「もっと選択肢を」「もっと安く」とさらに上のサービスを求めるようになってしまった消費者圧力の裏返しなのではないか。
もちろん、そこから私達が享受している自由を全否定するつもりはない。地理的・健康的理由で直接店舗へ買いに行けない場合はあるし、本当に必要としている人が必要な時に利用することには、十分意味がある。
しかしそれを可能にする一連の流れの中で最も重要な「運搬」という工程に対しては、適切な対価が与えられているかというと、まだ発展途上だ。むしろ安易に手が届きすぎることで、サービスが過剰に消費される社会を生んでいる可能性もある。
つまり、やや極端な表現をすれば、消費者こそが企業に更なるビジネス発展を促す悪魔メフィストと考えられる。
企業は生き残りをかけ、エスカレートする消費者の欲望に応えていかざるを得ない。利益と引き換えに企業が手放すのは、関係会社との持続可能な関係や、労働者の健康だろうか…。
そんな風に考えると、偽CMのもじりはかなり絶妙な仕掛けに思えた。
3.音楽の力
音づくりは独特な曲が多いが、不思議としっくりくる感触があった。
特に印象的だったのは以下の3曲だ。
#1 闇を舞う真っ赤な火の粉
オープニングで流れる曲。
初めて映画館で聴いた時、民族音楽のような歌声に驚いた。デジタルで近代的な世界観の映画だと思っていたので、その表現が意外だったのだ。
歌っていたのは、五阿弥ルナさんという方だった。その声の雰囲気は一言でいうと、異能、だろうか。まるでシャーマンか、何かもっと遠いもの…極端にいえば、人の言葉を話さない、野生で育った子供のような雰囲気すら感じた。
劇場のスクリーンからオンラインショッピングサイトに飛び込み、血管のように脈々と広がる道路を俯瞰し、とある冬の朝の日常風景でようやく地面に足がついたと思ったら、爆発でいきなり燃え上がる炎と歌声。生の火の抗えない恐ろしさと相まって、強烈な幕開けを彩る曲だ。
#11 遅延とパニック
物語も中盤に差し掛かり、ひりつくような緊張感をうまく醸し出している。際立つのは、冒頭から鳴り響くピアノの音。超絶技巧、縦横無尽に駆け回る、パターンがあってないような演奏である。私は、デヴィッド・ボウイの名作アルバム『Aladdin Sane』(1973)でジャズピアニストのマイク・ガーソン(Mike Garson)が奏でるピアノを連想した。
#14 世界の罪
歌唱は#1『闇を舞う真っ赤な火の粉』と同じく、五阿弥ルナさん。ただ歌い方はやや異なり、シンセサイザーの響きの中から朧げに始まる。後に続くストリングスとピアノの旋律がとても美しい。静かで凍てつくような、小さな氷の刃が風にのって吹き付けてくるような曲だと感じた。
やや脱線するが、劇中でこの曲が流れる間、主人公のひとり・舟渡エレナの回想シーンがある。ここで登場するとある人物の服装が、エレナと対照的だ。「今を生きる」エレナが好むのが生命力に満ちた赤色の服なのに対し、その人物がよくまとうのは青。そして雪が似合う。
この曲は、護られなかった者達が置きざりにされた過去の世界から今に向かって奏でられる曲なのかもしれない。映画を最後まで観て、そう感じた。
劇伴サウンドトラックはApple MusicやSpotify等音楽配信サービスでも公開されている。どの曲も、作中で完全に使われずカットされた部分まですばらしいので、気になった方はぜひ音楽単体でも楽しんでほしい。
以上が個人的に印象に残った点だ。かなり主観が入ってしまった。
それにしても、物語の進行上不可欠ではなく、かつここまで楽しませる要素があるのは、やはりすごい作品だと思う。
作品と同じ時代に生きていることに、感謝。
一生にあと5回は見返すだろう。