鏡の中のわたし
今までは他人の目が気になっていたのだが、自問自答ファッションを進めていき、TPOとボディーラインのわかりにくい服を着ることを徹底したところ、他人の目は気にならなくなった。
自分の安全とご機嫌が大事。
他人の目が気にならなくなったからこそ、「わたしはわたしの目から見たらどんな人間になっているのだろう」ということに興味が出てきた。
着ている服での印象
機能的・クラシカル・落ち着いている
ジェンダーレス・直線
スポーティ
スポーティ…?!
わたしは壊滅的に体育の成績が悪い人間なので「スポーティ」に見えると、過去の体育での苦い経験から「自分はそんな人間じゃないんです!!!!!!!!!!!!」と真っ赤に恥ずかしがってしまう。
運動ができない人は身体の動かし方が下手なので、不思議な動きをする。
わたしはいたって真面目なのだけど、運動をすると他人からは滑稽に見えるので笑われる。
なぜ笑われているかわからないので混乱するし、またさらにどう動いたらいいかわからなくなる。
混乱のままわたしの身体の動かし方は改善されることはなく、自分が足を引っ張っている気持ちになって「スポーツ」全般が嫌いな人間が形成されていった。
でも、健康を維持して90歳以上も生きると決めたので、カッコ悪くても笑われても、体力や筋力をキープしたいと思っている。水泳も始めた。
それなら「スポーティ」ではなく「健康的」「ヘルシー」なのかもしれない。
スポーツやアウトドアブランドのロゴがドーンとしているものは避け、都会的なアウトドア、くらいを目指す。
(近くの山ではクマが出るので「都会的な」アウトドアではなく、実際の生活は「ガチアウトドア」なのだが)
しかし、なんの情報も与えたくない、という反抗心
しかし、趣味・職業・年齢・性別不詳、国籍ですら不詳の人になりたいという気持ちもある。
そういうカテゴライズされたものから一歩外に出た人になりたい。
(たぶん、そう思うということは自分も他者をカテゴライズしているかもしれない。)
身近に、おしゃれなAさんがいて、「服好きですよね?!」と尋ねたら、案の定とっても服好きな人だった。しかしBさんは「Aさんっていっつもジャージでおしゃれって感じがない」と話していて、私はとっても驚いてしまった。
(Aさん曰く、好きな服を汚したくないから汚してもいい服を着ているとのこと。)
100人に自分をわかってもらう必要はないのかも。
100人のうち1人と分かち合えたらいいのかも。
何の情報も与えたくないと思うのは、
自分が何を主張したいのか、自分がわかっていないからかもしれない。
でも今は「健康的」な方向へ行ってみたいという気持ちだ。
「健康」は人それぞれだから、わたしなりの「健康」のなかに答えがあるかもしれない。