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やらなければならない。

2023年12月10(日)
入院41日目
今日はBlogをお休みしようかと思った。
書きたいと思わなかった。
だから、『書く気力がないので、お休みします』と、いうBlogを書こうと思った。
毎日書こうと思う。と、ここで記したことが、いつしか
(そう言ったからには、やらなければならない!)と、びっくりマークがつくぐらいの執念のようなものに、知らない間に変わりつつあるんだ、と、ちょっと怖くなった。
知らない間にジワジワと、とある思いが自分を侵食していることって、生活の中でかなりあるっぽい。

『誰も出来ないのよ〜、だから自分がやるしかないでしょ〜』
誰も出来ないんでしょ?だから自分がやるの?あなたはやりたいの?
仕方ないからやるの?自分もやれないんなら、やらなくてもいいんじゃね?誰も頼んでないんだけど。
実はツッコミどころが盛りだくさんのワードだよな(笑)
我もよく言ったし、今でも時折言ってしまう。
色々ツッコまれて返す言葉は、
『誰かがやらなきゃいけないだろ?』
『誰かがやらなきゃ皆んな困るだろ?』
周りの人間に有無を言わせない言葉だ。
誰も出来ないから『俺がやってやる』、『お前らのためにやってやってるんだ』要素が、言葉の端に見え隠れしていたりする。
しかも、出来ないと言った人たちだらけだから、その人たちは何も言えなくなる。何か発して、「なら、お前がやれや」と、言われると困るし。
なんだか、どっちもどっちな気もしてきた(笑)

該当者が誰もいなければ、それをどうするか?もっと別の角度で考えられないか?という方向転換や、視野を変えるといった可能性を遮ってしまいそうな、
『やらなきゃいけないだろう。』
『やらなければならない。』

『誰かのために』は、最後に、誰のためにもならない、
それが今朝の、我の心情、おはようございます(笑)

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