技術よりも人格を磨くことが未来を創造するには大切だろう。
久しぶりに、都市部の大きな本屋さんをブラついた。
雑誌はもちろん、専門書や文庫、楽譜まで置いてある。それを見ながら、「あの時はこのコーナーを必死で探し回ったな。」とか、「この本まだ売ってるわ。」とか、少し思い出に浸りつつ、あるコーナーで足を止めた。
そこは、PC専門コーナーだった。Linux の教科書みたいなものや、wordpress や、プログラミング言語、MS office、LINE や、Teams の使い方の本が並んであった。
「そういえば、このコーナーの本も、いろいろ購入したなぁ・・・。今じゃ、埃、かぶってるけれど。」と懐かしんでいた時、1冊の本が目に留まった。
「Python で AI プログラミング」(みたいな・・・、正式な所は忘れました。)
「「俺も、いつかは、AI作るぞ。」って、思ってた時あったっけ。結局、作ることもなかったけれど・・・。」と、懐かしみながら、AI 作って何に役立てたかったのか振り返ってみたが、何も思いつかない。
きっと、「新技術万歳。」みたいな一時の感情に振り回されて、取り組もうと思ったのだろうと思うと、自分はその時、若かったのだなと感じた。
近頃の技術の進歩は目覚ましく、通信規格なら、5G。その10年後には、6Gが登場するらしい。
パソコンなら、スパコンもそうだが、量子コンピューターなんてのも開発中だ。
車は全部、 EV にしようと言いだしてるし、エネルギーなら、太陽光などの再エネは当然だし、その先に核融合によるエネルギーの創造もある様だ。
凄いなぁ。これらの事を成すためには、IT 技術者がいくらいても足りないだろう。
実際、経済産業省で2019年に出した資料では、2030年には少なくとも16万人、多ければ79万人IT人材が不足すると予想している。
だから、文科省でGIGAスクール構想とかして人材の育成などをしようとしているのだろうか?
でも、私は、動きが遅いし、なんか違うと思っていて、そもそも技術が進歩すれば、人の不安や不満が解決するのかな?
IT技術者が増えれば問題が解決するのかな?
と首を傾げている。
人の不満や不安って多種多様だし、生きてる間、なくなることはないだろう。
それは技術が進歩して、宇宙で生きることになったとしてもそうだろう。
また、IT技術者が増えたとしても、そもそも解決への方向性や、全体の流れが間違っていれば、思っていた場所と違う場所にたどり着く訳だ。
だから、IT技術だけを教えようとするのは違うと思う。
それに、技術が進歩したとしても、それらは自然にはない化合物を沢山有していることが多い。
例えば、太陽光パネルには金属シリコンが使われているが、その製造と廃棄には大量の水や熱エネルギーが必要だ。
それは、5Gのアンテナや、量子コンピューター、核融合施設も同じ。それらが沢山作られたら自然に良い訳無い。
例えば、中世みたいに木材や布で作った風車や水車で動力を得ていた時代では、それほど自然を壊さずにいられたようだ。
いや、むしろ自然と調和、共生できていたのだと思う。
もちろん、自然と調和、共生するのは大変な事だと思うが、私たちは、そこを目指すべきだと思う。
どうする事かと言うと、とことん快適さを追求することを止め、不便さを受け入れ不安や不満を自らで消化する力を身に着けることだ。端的に言えば「知足」と言う考え方だろうか?
それは、とても難しいし、何とも抽象的で分かりにくいが、とても重要な考えだと思うし、是非にも目指していくべきだ。
だから、GIGAスクール構想みたいに、ITばかり教えるのじゃなく、アウトドアでのサバイバル術や、狩猟生活を通して、人格を磨き、未来を創造する力を養ってもらいたい。かなりムズイと思うけれど、将来、役立つと思うんだよね。
せっかく、教育に力を入れるなら、テストで100点取る方法を教えるよりも、どんな状況でもサバイブできる力を身に着けるような教育をしてもらいたい。
そんな風に思う、世の中の流れだ。