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虫の知らせを上手く使えば、幸せで居続けられるはず

虫の知らせについてネットで調べるが、自分が思う解が得られず、自分で書いてみようと思う。

そもそも、虫の知らせとは?

weblio では、

何の根拠もないのに、よくない出来事が起こりそうだと心に感ずること。

とある。

また、Wikiipedia では、第六感とされて、

第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのこと。一般にはヒトの視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力をいう。ヒト以外の動物にみられる視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力(微弱な電場などの感知能力)を表現することもある。

である。

虫とは何を指しているか?

語源由来辞典では、道教の三尸(さんし)、三虫(さんちゅう)に由来しているとしている。

↓以下に三尸についてのWikiを載せておく、


ここまではいい。ここからだ。

「虫の知らせを上手く使えないかなぁ。」

と思っているが、どうだろう。

虫の知らせとは、これから何か悪いことが起こることを知らせてくれる、ありがたいものだとすると、私たちはそのサインを見逃さず、しっかり活かさなきゃならないと思うし、当然そうするためのサインじゃないのかな?

「なんかサインあったね。」で、終わったらダメじゃん。
「そういえば、あの時の○○はこれか!」・・・だけでいいのか?

何かサインがあるってことは、当然、何かしなきゃ、まずいんじゃない。

そんなことを今までの人生振り返って思う。

先ず、思い出すのは、はじめて就職した場所で、辞めたくなった時を思い出す。

就職何年目かして、毎日辞めたい、辞めたい思いながら、辞めずに頑張っていたが、人間関係ボロボロになり、身体的にもボロボロになって辞めた。

今、振り返ると人生いくらでも道はあるんだから、そんなになるまで頑張らなくてもよかったなと思う。

この時、そんなボロボロになる前から、何となく思うことはあった。もしかしたら、それが虫の知らせだったのかもしれない。

だとしたら、その時、自分を顧みて、さっと退職すればよかったのかもしれないね。
たとえ短い期間で退職することになっても、「自分がボロボロになるよりはましだ。」と、今なら考えられる。

最近だと、資格試験の勉強中に思うことがあった。
まだ、試験の6か月前くらいだったが、なぜか、どんなに勉強しても、受からない感じがしていた。
でも、特別な対策もせず試験の日に突入し、当然のように、不合格になった。
あの時、「もっと対策すればよかったな。」「何かできることがあったはず。」と、今感じている。

この2つの事例だけ見ても、思うことや感じることがあれば、しっかり動かなきゃならないことが分かる。
そして、しっかり対策を講じておかなければ、後味の悪い結果につながるわけだ。

そう思うと、虫の知らせは馬鹿にできないし、無視しちゃダメなんですよ。
ホント、注意深く生活してないと、虫の知らせって、ついつい見逃してしまう物なんですよね。
なんせ実態がないから。
目の前にドンと突き付けられたら、もう逃げられないけど、目の前に何もなくて、具体的な道筋もわからず、「何となく思う。」「なぜだか気になる。」程度では、「ま、いつでもいいや。」ってなるよな。
そこが難しいんだよ。

その難しい虫の知らせを、どうやって味方につけるか?
言えるのは一つ、気になったときにすぐ行動に移すことかな。

・・・これぐらいしかない。

具体的な道筋が見えてれば、それに向かって進めばいいし、なんとなくの場合でも、とにかくいろいろ動くしかない。

動いて、ぶつかって、また動く。

いつまで続けるの?
自分の気持ちが落ち着くまで。

そんな感じ。

あんまり先の事を考えちゃいけないよ。
今のことに集中した方がすぐに幸せになれる。自分の理想があるかもしれないが、それを追うことで、消耗したり、苦しんだり、不幸せになるなら、追わないほうがいい。

それよりも、
「今、できること。」
「今、したいこと。」
「今、気になること。」に集中し、小さな成功、小さな幸せを積み重ねたほうが、幸せなんです。

小さな成功や、小さな幸せがずっと続けば、ずっと幸せでいられる。
それでいいんじゃないかな。
下手に欲をかいちゃいけません。

いろいろ思うこと書いてみましたが、虫の知らせというのは、よくないことが起こる前触れでなく、本当は幸せのサインなんでしょうね。
その小さいサインに気付き、自分の行動を改めることができれば、幸せでいられるのだと思います。


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