
お節介し過ぎ
先日、下記の様な記事を見た。
オーストラリアで、タスマニアでビルの保護のため、タスマニア島沖の島で放し、繁殖させたところ、その島のペンギンがいなくなったらしい。
その記事読んで、「そんなお節介しなくてもいいのに・・・。野生の動物の事だし自然に任せればいいんだよ。デビルが残って、ペンギンがいなくなるって、人って愚かだな・・・。」と思った。
お節介が好きな人は多いらしい。
昭和の頃は近所のお節介おばさんが結婚の仲介をしたりしたようだが、そんなことをするから下手に人が増えすぎたのでないかと私は思っている。
気持ちは分からなくもない。
何となく可哀そうだとか、なんか役に立ちたいとかそんな感情だろうが、それが本当に自然な営みに沿っているのだろうか?
考えてみて欲しい。
アフリカのサバンナで、ライオンなどの肉食動物に襲われている草食動物を助けようとする動物はいるか?
きっと、周りの動物は見て見ぬふりだ。
わざわざ自分から災難に飛び込まなくてもいいと思っているかもしれないし、そんな力も無いだろうし、それが自然の営みと言う物だと思う。
それで食物連鎖が成り立っているから持続可能なんだろう。
それと一緒で、「タスマニアデビルが顔面腫瘍で絶滅の危機。」と言われたからって、いちいち人が手を貸さなくてもいいのじゃないかな?
同じ様な考えで、現在のコロナの支援策に個人的には反対だ。(反対だけど、なんの活動もしていないが・・・)
特に企業に対する支援金の交付は絶対やめて欲しいなと思う。
そもそも、企業活動なんてリスクがあるのは当たり前だ。
そのリスクに直面して、自力で立ち上がれないなんて、企業運営ができていない証拠なのでないか?
だから、「コロナでもうやって行けん。」ってなれば、廃業すればいい。それも、自然の営みの内だ。
それを国が無利子で金を貸したり、支援して延命するのは全く不要な努力だと思う。
そんな不要な努力のために我々の税金を費やして欲しくない。
そんなことを書くと、良識のある人からは、「なんて料簡が狭いんだ!」とか、「自分だけ良ければいいのか?」とか、非難されそうだけれど、力が無い組織を助けても無駄に終わりそうだから、そんな事にお金を使わないで欲しいと言うのだ。
実際1回目の緊急事態宣言で国から無利子でお金を借りた企業も多かったと思うが、今、借りたお金を返せない企業も多いのではないか?(下記記事参照)
「返せない人は返さなくていいですよ。」って、それでは悪知恵働かす人が出てくるんじゃない?
僕らの税金が誰かの懐を潤していると思うと、なんか腹立つな。
だから、何もしなくてもよかったのでは?
そうすれば、無駄に仕事も増えなかったし、お金が誰かの懐に消えていく心配もなかったのに・・・。
人は他人のことを考えれるほど、頭が良くなったのかもしれないが、考えすぎて愚かなのかもしれない。
頑張ればなんとかなるかもしれないが、頑張りすぎて、くたびれていては元も子もないだろう。今の都知事みたいに・・・。