にんげんは人に間と書いて人間と読むって話
いちゃつきは心を穏やかにしてくれる。
そして、いい感じに元気が出る。
やる気もでる。
そしてなにより、
間隔をあけていちゃつくという事が重要だと思う。
いつもいちゃいちゃしていたら、
ただの日常になって
なんの効力も生まれないんじゃないかと思う。
人と人の間には、
その関係性を決める重要な鍵がある。
にんげんという字は、
人に間と書くが、
人が二人以上いないと間はできない。
これは
人は一人では生きていけないことを
示すとともに、
その「間」が重要であることを
示しているんではないかと思う。
時間的な間隔、位置的な間隔。。。
家庭内孤独死の事例
この前、
家庭内孤独死についての報道を見た。
同居している息子がいたのに、
父親は孤独死して、
死後だいぶたってから、
ご遺体が確認されたとのことだった。
経緯
年老いた父親が一人で暮らすことになった
すでに家庭を持っている姉が
「お父さん心配だから一緒に住んで」と
独身でバリバリ働いている弟に言う。
弟は仕方なく、父親と暮らし始める。
お互いになるべく構わず、
自分のことは自分でやるという約束だった。
しかし、ひとつ屋根の下で暮らせば、
全く関わらないわけにはいかない。
そこで、独身生活が長い弟はどうしてもストレスがたまってしまい、
父親が「心配な存在」ではなく
「嫌な存在」になってしまった。
人は、嫌なものは見ないようにするし、関わらないようにしようとする。
ある日から父親の姿をみなくなったが、
単なるすれ違いだと思うようにして、
気にしないようにしていた。
異臭がするようになり
それでも、
父親が死んでいるとは
おもわないようにしていたそうだ。
そしてさらにあとになって
遺体を発見した。
孤独死は間隔の誤りが引き起こした?
この息子は
元々、父親と位置的にも時間的にも
間隔をあけて生活していた。
タラレバだが、
姉と弟が交代で週末に顔を見に行く
ぐらいにしておけば、
もっと早く死を発見できただろうし、
何より、父親を心配する気持ちを
保てたんじゃないか、
と思う。
姉も、
「独身だから父親の面倒を見れるはず」
「独身の弟がそうして当然」
「一緒に暮らしたほうがいいに決まっている」
てな感じの思い込みがあったのかなぁ。
弟の気持ちや事情も
汲んであげられたらよかったのかなぁ。
これは、周りのサポートどうこうでなく、
人との間隔を間違えたことで
心を保てなくなり
起こった悲劇だと
ぴょりは感じた。
相手との間隔を間違うと、
相手の命の心配より
自分の面倒くささのほうが優先されてしまう。
怖いことだけれど
自分が充実していないと
人の心配なんてできないものだ。
必ずしも、
近くにいればいいわけじゃない。
にんげんは、
人に間と書いて人間と読む。