ショートショート4『ウインナーパン』
間違いなくどこかに違和感が存在している。
そう思いながら僕はリビングのソファーに座っていた。
明確に何かがおかしいという訳ではなく、クイズ番組でよく見るジンワリと画像が変化していくアレのような違和感だ。
帰宅してからの行動を思い返す。
玄関から手前に位置する寝室に入り、着ていたジャケットや荷物を置いた段階では違和感は無かった。
そのまま洗面所で顔や手を洗った段階でも違和感はなかった。
そして、帰りに買ったビールやお菓子を冷蔵庫に入れた段階。
ここだ。このタイミングで違和感を感じた。
僕はそう確信してキッチンに戻る。注意深く周りを見渡すと答えが解った。
乾燥させるために開けていた炊飯器の蓋が閉まっているんだ。
と同時に寒気が走る。
炊飯器の構造上、重みでひとりでに蓋が閉まるような事は無い。
人為的な力が働いたとしか思えない。
意を決し恐る恐る中を覗くと。
ウインナーパンが入っていた。
パンの中心部にウインナーが刺さっている、あのウインナーパン。
なんだ、これ。
炊飯器にホカホカのウインナーの炊き込みご飯が入っているならまだしも、ポツンとウインナーパンが入っているのだ。
いや、ウインナーの炊き込みご飯でもおかしい。だって炊いた覚えがないから。
状況的にはかなり異常な事態なのだが、何か貴重品を盗られた形跡も無ければ、物の配置が動いている訳でもない。
ただウインナーパンが入っているだけだ。
血まみれのナイフが入っている、みたいなシーン程では無いが、正直そこそこの恐怖を感じた。
警察に電話するか。いや、やめておこう。
「プルルルル、プルルルル」
「もしもし、警察です。何かありましたか。」
「家に帰ったら、炊飯器の蓋が閉まっていたんです。」
「それで。」
「中を見るとウインナーパンが。」
「ウインナーパン?それで。」
「えぇと…それだけです。」
「あなた様子おかしいね。逮捕します。」
こんな事になってしまう。
イタズラ電話でウインナーパンなんて言ったら逮捕されるだろう。
いや、イタズラのつもりは無いんだけど。
どうする事も出来ず、そのウインナーパンをゴミ箱にぶち込み、その日は寝る事にした。
翌日、帰宅するとまた違和感が僕を包んだ。
直ぐにキッチンに向かう。
炊飯器の蓋は開いたままだ。
ホッと胸を撫で下ろし、顔を洗いに行く。
僕の五感が騒いだ。違和感の在り処はここだ。
洗面所周りを見渡すと、僕は気付いてしまった。額から汗が噴き出す。
乾燥させるために開けていたドラム式洗濯機の扉が閉まっている。
昨日とほぼ同じ状況だ。
恐ろしくて恐ろしくてどうしようも無かったが、洗濯機を開けない選択肢は無い。震える手で扉を開ける。
鈍く開く洗濯機の扉。
ウインナーパンがそこにはあった。
僕は人生で初めて腰を抜かしてしまった。
人生初の腰抜かし体験が、お化けや猛獣ではなくウインナーパンだとは思っていなかった。
流石にこれは警察に電話するか。
「プルルルル、プルルルル」
「もしもし、警察です。何かありましたか。」
「家に帰ったら、洗濯機の扉が閉まっていたんです。」
「ほう、それで?」
「中を見るとウインナーパンが。」
「ウインナーパン?それで。」
「昨日は炊飯器の中にウインナーパンが。」
「それで?」
「えぇと…それだけです。」
「あなたクスリやってるね。逮捕します。」
ダメだ。昨日よりエンディングが悪化している。薬物使用を疑われた。
震える体を奮い立たせ。二重にしたビニール袋にウインナーパンを入れ、外からガムテープ密封してゴミ箱に捨てた。
翌日。僕は外から玄関のドアノブを握りこむ。いつもより力が入るし、手汗も凄い。こんなに意を決して帰宅するのは初めてだ。
まずは玄関。特に変わった様子は無い。
次にキッチン。炊飯器の蓋は開いたまま。
洗面台。洗濯機の扉は開いている。
ふうっと深く息を吐き出し、着ていたジャケットをしまいに寝室へ向かう。
電気を点けると、ベッドの上にウインナーパンが置いてあった。
僕の口からは「ええ….」という言葉が漏れ出た。
これまではウインナーパンの姿が見えていない状態から、蓋を開ける事でウインナーパンと対面した為、切れ味の鋭い恐怖が襲い掛かってきたが、今回は剥き出しのウインナーパンだ。
剥き出しで置いてあるとちょっと引いてしまう。
ウインナーパンとはそういうものだ。
引いたのと同時に、一つの事実に気付いてしまった。
このウインナーパン。近付いて来ている。
俺に、近付いて来ている。
この事実に気付いた時、再び大きな恐怖が僕の心を覆い尽くした。
このままベッドで寝ては、ウインナーパンに殺されてしまう。
殺害方法は皆目見当も付かないが、確実にウインナーパンに殺される。
この日僕はリビングのベッドで眠った。
翌朝、寝室を確認する。まだそこにあるウインナーパン。
はあ。無くなっていればどれ程幸せだったか。
リビングに戻り、会社に電話をする。体調不良で仕事を休みやすくなったこのご時世に、初めて感謝の気持ちが湧いた。
僕は昨晩の時点でこう決めていたのだ。
ウインナーパンをお祓いしに行こうと。
分かっている。変な事を言っているのは。
だけど、それ以外に選択肢はあるだろうか。
手始めにインターネットの検索バーに「ウインナーパン お祓い」と入力した。当然、検索結果にはパン屋しか出てこない。
やり方を変えなければ。
これならどうだ「食べ物 お祓い」
検索結果には塩やお酢などの清めるサイドの食べ物が並んだ。
違うんだ。清められるサイドがウインナーパンなんだ。
次に「呪いのウインナーパン」と検索した。
呪いのウインナーパンどころか、呪いのパンも、呪いのおにぎりも存在しない。
僕は諦めて「お祓い 有名」と検索。
始めからこうしておけばよかった。
数件出てきた候補の中から、日帰りで行ける神社を探し、すぐに家を飛び出た。おあつらえ向きの入れ物が無かったので、玄関に積んでいたスニーカーの箱にウインナーパンを入れて。
電車とバスを乗り継いで、2時間。
山の麓の農村にある神社に到着した。
階段を登りながら両脇の林を眺める。葉が擦れる音と抜けていく風が心地良くて、休日に恋人と訪れたりしたら最高なんだろう。でも実際の僕はウインナーパンのお祓いに来ている。
境内に着くと、目の前に小さな本殿が現れた。
参拝客は一人もいない。
「あの、お祓いに来たんですが…。」
この切り出し方で合っているのか分からないが、本殿の奥にいる神主に話しかけた。
「お座りください。」
少しの間を置いて、そう指示された。
「当神社にお祓いのご相談に来る方は非常に多くてね。ご先祖様の遺した食器やお着物や、最近だと安全祈願で車やバイクをお祓いする方も結構いるんですよ。」
非常に落ち着いた語り口の神主さんだ。喋っているだけで心が浄化される感覚になる。
「それで、本日は何を?」
「これなんですが」
この人なら何でも受け入れてくれるだろう、そう確信しながらウインナーパンが入ったスニーカーの箱を取り出す。
その様子を見て、神主は感心した様子で言う。
「ほお、靴ですか。確かに靴というのは人間の行く先を導く重要なものです。穢れがあると人生の選択を間違える可能性がありますからね。それに大地にも神は宿ります。その大地に直に触れる靴を清めておくというのは素晴らしい。」
やばい、気まずい。
中にはウインナーパンが入っているのに。
気まずいというか恥ずかしい。
神主が箱を受け取り、蓋をゆっくりと開ける。
「……….ウインナーパン」
この間実に15秒。
多分この人、始めて「ウインナーパン」って呟いただろう。
言ったことはあるかもしれないが、呟いたことは無いだろう。
恥ずかしい、逃げ出したい。今すぐこの場から。
「何か事情がおありなんですね。」
優しすぎる、この人。
僕だったら、冷やかしなら帰れと罵声を浴びせて塩の塊をぶん投げる。
もしくは、迷惑系YouTuberだと疑って、身ぐるみを剥いでカメラを探す。
僕は涙が出そうになりながら、事の顛末を話した。
神主さんは静かに聞いてくれている。
僕が話し終えると、神主さんはこう言った。
「それは呪物ですかね。悪霊や呪いの類っていうのは、どんな媒体でも宿ります。特定の物に強力な想いや未練を残す精神体がそこに宿り、その物に縁が深い場所に引き寄せられる。地縛霊なんかをイメージしてもらうと分かりやすいかと。恐らくウインナーパンに対して強烈に執着のある魂がウインナーパンに宿って、何らかの理由で貴方のご自宅に引き寄せられたのかもしれません。元々、その場所にパン屋があったなどの事情で。」
何言ってんの、この人。
親切に説明してくれて有難いんだけども、途中で笑ってしまいそうになった。まあ、とにかく呪われたウインナーパンという事だけは分かった。
「では始めましょうか」
神主はそう言って、奥からご利益のありそうな台を運んでくると、その上にウインナーパンを置いた。
祝詞(のりと)を唱える。
ウインナーパンに向かって。
大幣(おおぬさ)を振る。
ウインナーパンに向かって。
すると、ウインナーパンは突然黄色と赤の光に包まれた。
ライブハウスの照明の様にチカチカと光っている。
まさか。見間違いか。
こんなのフィクションの世界だけだろ。
目を擦りもう一度見てみても、黄色と赤の光はそこにある。
そして、大きかった光は次第に小さくなり、ウインナーパンに吸い込まれるように消えた。
呆然とする僕に向かって神主は言った。
「無事、終了しました。これで二度と戻ってくることは無いでしょう。」
台の上には、プレーンなコッペパンが置かれている。
そうなんだ。
これは意外だった。
呪われたウインナーパンじゃなくて。
呪われてたのはウインナーの部分だけだったんだ。
【終】
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