![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169027837/rectangle_large_type_2_8ff861218a97e24e5b29ee70a2ebeae8.jpg?width=1200)
家事をすることで社会とつながる
先日、山崎ナオコーラさんの『むしろ考える家事』を読んだ。
山崎さんの本を読むのは初めてだったが、かわいらしいイラストとタイトルに惹かれ、思わず手に取ってみた。
「家事をすることは面倒で、しょうがないからやっているもの」
私は、今までほとんどの家事を母に任せてばかりだった。高校生の頃は部活が忙しいから、大学生の頃は大学が遠いから疲れていると言って、家事をやることから逃げていた。今思えば最低だけど、母にやってもらうのが当たり前の生活だった。
社会人になって休職を経て徐々に体調が良くなってきてから始めたことは、面倒だと思っていた家事だった。時々皿洗いや洗濯物を干したり、掃除機をかける程度だったけれど、家事を通して自分にもできることがあるのだと生きる自信を少しだけ取り戻すことができた。
会社を退職してアルバイトを始めてからも、出勤時間が早い母に代わって洗濯物を干したり、お風呂掃除をしたり、皿洗いをしている。家族の負担を少しでも減らせているのなら良いけれど、自分がやるべきことは家事以外にもあるんじゃないかと思っていた。家事をやるよりも、もっと長時間働けるようになったりした方が自分にとっても社会にとってもよっぽど良いのではないだろうか、と。
だが、山崎さんの考え方は違った。
家事をただ面倒なことだと捉えるのではなく、社会につながっているのものだと捉えること。仕事をするだけが社会参加ではない。
誰かがやらなければならないからやるのではなく、自分がやりたいからやる。家事をすることで社会とつながっている。そんな風に考えた試しは一度もなかった。
思い返せば、皿洗いをしていると不安なことから距離をとることができたりむしろ前向きな考え方に方向転換できる時があった。目の前の皿に集中して向き合うことで、その時間だけは無になることができた。次第に慣れてくると、どの順番で皿を洗うことが良いか考えながら効率的に洗うことができるようになる。そうやってパズルのように組み立てて考えていく時間が心地良かった。
また、家事をやり始めて名もなき家事の多さに驚いた。洗った皿を拭いて食器棚にしまったり、洗濯物をたたんでしまったり、家中のごみ箱を集めて1つのごみ箱に回収したり…。考え出したら無限に出てくるし、それらを全部毎日完璧にこなそうとしたら骨が折れるような大変さだ。
でもそういった家事のひとつひとつが社会の外とつながっているとしたら、なんだか少し明るい気持ちで向き合うことができる気がする。
多様性の時代に、他人の評価はいらない。基準なんてないのだから、他人と比べずに、自分の仕事をこつこつ進めるしかない。自分で自分の仕事の良さを認識して、自信を持てばいい。
家事をすることも仕事をすることも、同じように生きること。
仕事の方が偉いなんて関係ない。むしろ家事をみんながやりたがる社会に、と願う山崎さんの文章を読んでそんな時代になったらいいなと強く思った。