過ちは繰り返されるのか…
戦争である。
ロシアがウクライナに侵攻して、半月以上になった。過去の何十年にもわたった西側諸国への積年の恨みみたいな話は置いておくとして、今回の侵攻はロシア側に全く理がない。長年積み重ねてきた国際常識に照らしても、ロシアの侵攻は無理筋なのである。
が、現実として何十万人の軍隊が国境を越え、破壊と殺戮の限りを尽くしている。戦火に逃げ惑う子供や老人の姿を見て、ロシアの大統領は何も感じないのだろうかと思う。「正義が勝つのではない。勝ったものが正義なのだ」とうそぶく姿が目に映るようだ。
どういう精神構造ならこういったことができるのか不思議に思いながら、田中芳樹の「銀河英雄伝説」を思い出した。この作品には数多くの"名言"がちりばめられているのだが、その中で自由惑星同盟のアッテンボロー提督が、ユリアンという少年に語るセリフがある。
「いいことを教えてやろうか、ユリアン」
「何です?」
「この世で一番、強い台詞さ。どんな正論も雄弁も、この一言にはかなわない」
「無料で教えていただけるんでしたら」
「うん、それもいい台詞だな。だが、こいつにはかなわない。つまりな、それがどうした、というんだ」
もちろん、小説では絶対多数の敵に、勝ち目のない少数の味方で抵抗する際、自らを鼓舞する為に吐くセリフなのだが、ロシアの大統領は逆に、国際社会から「国際法に照らしてあなた(の国)の行動は間違っている」と指弾されるなか、この"最強のセリフ"が頭の中でこだましているに違いない。確かにこの言葉には、「賽の河原」で幼子が親兄弟を思って積み上げた石を、平気で蹴散らす鬼の行動同様の「破壊力」がある。取り付く島もない。
一方で、ウクライナの大統領は他国への亡命を勧められても国内に残り、様々な手段を使って国際社会に訴え国民を鼓舞する。その結果、国民の結束と抵抗は強国ロシアの大統領の予想をはるかに超えるものになった。
先ほどの提督はこうも言う。
「人間は主義だの思想だののためには戦わないんだよ! 主義や思想を体現した人のために戦うんだ。革命のために戦うのではなくて、革命家のために戦うんだ」
ウクライナ国民の団結心情は、まさにこの通りなのであろう。
激しい抵抗にあって、ロシア側から本当に停戦できるような話も出てきた。一日でも早く、そしてうまく進めばと思う。
そういえば提督はこんなセリフも吐いた。
「人間、いや人間の集団という奴は、話しあえば解決できるていどのことに、何億リットルもの血をながさなきゃならないのかな」
重ねれば、彼の上司ヤンウェンリーの言葉にもこんなものがあった。
世の中には価値観が二つある。
「人の命よりも尊いものがある」「人の命ほど尊いものはない」
人は戦争を始めるとき前者を理由とし、終わらせるときに後者を理由にする。
本当に哀しい。
悲しくてやりきれない。
「銀河英雄伝説」をSF小説としてではなく、人生訓として改めて読み返してみたい。
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