たまには原典にあたってみよう
月一でマッサージ店に通っているが、性格的になかなか人馴れしないため、予約を入れ、施術の合う”いつもの”マッサージ師さんにお願いすることにしている。加えて、口下手だからあまり会話をしないのだが、”いつもの”人との回数が重なるとそれなりに親しくもなり、少しはお互いの生活の一部が垣間見えるような話もする。
先日はこんな会話があった。
「読書が趣味ですよね」
「うん…、まあ、趣味っていうか、活字中毒みたいなもんよ」
「実は知人から『これ良いことが書いてあるから読んでみて』って、”ヨウセイクン”て本を渡されたんですよ。どんな本かなと思って」
「”ヨウセイクン”? 題は漢字?」
「ええ、なんでも昔の本だそうで、1、2頁捲ってみたんですけど、ルビは振ってあるんですけど漢字が多くって難しそうで…」
「えっと、もしかしたら著者は”かいばらえきけん(貝原益軒)”? あっ、ゴメン。そこちょっと痛い!」
「この位でいいですか? そうそう。そんな名前」
「じゃ、”ヨウセイクン”じゃなくって、養生訓(ようじょうくん)だと思うよ」
「”ようじょうくん”って読むんですか」
「江戸時代の学者さんの本で、まあ、健康や長寿のためにするべきことを体験的に書いてあるやつだと思うけど」
「ふーん。健康読本みたいなやつですね」
「僕も詳しくは知らないんだけどね。学校の教科書に載ってたはず」
「結構有名な本ですね。じゃ、頑張って読んでみます」
と、彼女のマッサージにウンウン唸りながらの会話はここで終わったのだが、よく考えてみると、私たちは学校で習った人物やその著作、成果などについて「名前」だけしか知らないものも少なくない。いや、殆どがそうであるような気がする。にも拘わらず、かくのごとく、まるで友達でもあるかのように他人に話している。恥ずかしい限りだ。もちろん、限られた時間を生きているのだから仕方がないのだが、きっかけがあったものについては、可能なら少し原典に当たっておく必要もあろうと思った。
貝原益軒、
江戸時代中期の福岡藩士で、医学や儒学の学者だそうだ。多くの著作をあらわし84歳で没した。当時としては極めて長生きであった。
有名な「大和本草」を始め、紀行文、教養書などの数多くの著作がある。
そのうち、「養生訓」は、八巻で構成され、医師の心得はもちろん、部屋の創り、年齢、季節ごとの身の処し方、食事や運動、薬の功罪に至るまで細かくその摂取、処方が記述されている。殊に、健康長寿のためには小欲が推奨され、ほしいままに食欲や色欲、睡眠欲などを満たすことを厳に慎むように書かれている。喋りすぎるのも良くないそうだ。また、喫煙の害についても言及があり、火事の原因になり、習慣性があるので最初から近づくなとまで言っている。現在にまで繋がる慧眼に恐れ入った。
お喋りなうえ、喫煙が止められず、鯨飲暴食の身には耳の痛い話が多いが、原文でも大意は掴める。ご一読を勧める。
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