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思えば遠くへ

昨日は自宅近くの町であった会議に出てからの出社となった。通勤電車には違いないのだが、お昼前に乗ると人も少なく、顔ぶれも全く異なり高齢化率が高い。
この路線で初めて先頭車両に乗る。
運転席の窓を通して、進行方向のレールが延びていく先が良くわかる。それを眺めていると、旅に出るのでもないのに、普段とは逆になぜかワクワクしてくるのは童心に戻ったせいか。

そう言えばと思い出した。
幼少の頃に住んでいたのは、大都市外縁部にある新興団地だった。あたり一面田畑の真ん中に、判を押したような家屋が並び、それが広大な面積を占めていた。高度経済成長期、郊外に造られた労働者向け公営住宅だ。西に三面張の都市河川があり、東側には、当時国鉄と呼ばれた貨物線が隣町との境界線を画していた。あの頃の線路管理は今と異なり牧歌的であったと記憶している。線路と民地のとの境界は幅広の側溝が有るだけで、しっかりした柵や塀などはなかった。少し赤茶けた砂利と、タールの匂いが残る枕木の上に二本の線路が南北に延び、確か1日に朝夕数本が、上り下りしていたと思う。日中は、鍬を担いだお百姓は勿論のこと、ツクシ取りの家族や、虫取り網を振り回す子供たちも、平気で踏切以外の場所を横断していた。
僕もその一人だった。


真ん中に立つと、並行の線路が目の高さで交わりそこで消えていく。遮るものもなく遥か遠くが見渡せ、どこかの別世界へ誘う不思議な道のような気がして、いつまでも歩いていたい気分になったものだ。
夏場など陽炎がゆらゆらと立っていたが、西日が長い影を作る頃になると熱かった線路も冷めてくる。友達と離れて線路に耳をあて、互いに砂利で叩いて遊んだ。カツ、カツと音が鳴る。互いが見えない程に離れても微かだが乾いた音が届く。暫くすると、カタッ、カタッというリズム音がして、徐々に大きくなる。貨物列車だ。僕たちは、慌てて土手を下り、田んぼの畦で待ち構える。すると、長い車両をいくつもつないだ機関車がやってくる。僕たちが手を振ると、機関士が一つ汽笛を鳴らす。ガタン、ガタンと大きな音を立てる列車を見送り帰路につく。それが夏休みの楽しみの一つだった。

ある秋の夕方、薄暗くなった空を怪しげな赤い光が照らした。踏切付近で列車が停止し、数台のパトカーが止まって、沢山の大人たちが周りを囲んでいた。不穏な雰囲気を背負い、家へ急いだのを憶えている。翌日聞いた話だが、小さな子供が線路に小石を置き、列車が急停車して大騒ぎになったという事だった。それから両親や学校の目線が厳しくなり、もう僕たちが線路に近づくことはなくなった。

あれから半世紀ほどの時間が過ぎた。引っ越しを繰り返し、気が付けば他県での生活の方が長くなった。あの路線は電化され、客車も走るようになったらしい。懐かしいあの場所をもう一度訪ねたいと思う。
海援隊ではないが、「思えば遠くへ来たものだ」と思いながら電車に揺られていた。

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