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車窓より

梅雨明け間近な田舎の風景が電車の窓を流れてゆく。
停車駅のプラットホームをゆっくりと離れると、黄色いフィルターのかかった鋭い陽光に照らされて、一面に広がる水田の緑が一層眩しい。
その時力強く伸びる稲の間から、小さいが強烈な”赤色”の点が目に飛び込んだ。
雉だ。
頭部の鮮やかな紅色に、深いエメラルド色の胸元と茶色に透過的な翡翠色が斜めに掛かった伸びやかな羽。いつもながら堂々とした体躯だ。改めて国鳥と呼ぶにふさわしいと思った。よく見ると、その横に少し小ぶりで控えめな薄茶色のメスが寄り添っていた。この田舎に来て雉を目にすることはそれ程珍しくもないが、夫婦の雉は初めて見た。
鳥類においてはオスのほうがメスより色鮮やかな場合が少なくない。より健康で強い遺伝子を持つオスであることを、選ぶ側のメスにアピールする手段の一つであろう。一方で、メスは逆に目立たない色合いが多そうだ。樹木などに溶け込み、敵から身を守る迷彩の役割があるのだと思う。種を次代に繋ぐために「生む性」をより保護する戦略は悪くない。長い時間を掛けてそれぞれの種が最適の仕組みを編み出した。
人間の場合も、多くは男女が夫婦となって家族という社会単位を構成し命を繋いできた。

半年ほど前、家内の腹部に病変が見つかった。
重篤な状況のため、本人は治療せず緩和ケアをと希望したが、家族みんなで説得し、多少とも治癒可能性のある治療を受けさせることになった。二十年前も同様の事があったが、家内を治療に専念させ私は仕事の傍ら子育てや家事を一人で受け持った。暗いうちから起き、馬車がかぼちゃに戻る頃になっても一日が終わらない日が半年ほど続き体力的にも疲弊したが、若かったのだろう、何とかこなすことができた。家事の大変さを実感して、仕事にかまけて家族を顧みない生活態度を反省し、考え直す良い機会になった。
そして今回である。
子供も成人し自分のことのみならず、家事の一部も率先して協力してくれる姿に感謝の日々だが、如何せん、こちらが老いてしまった。フルタイムの仕事をしながらでは体が保たない。仕方がないので、二度目の勤め先には事情を話し、契約より早く退職させて頂いた。
引退を間近にして、苦労を掛けた家内を旅行などに連れ出すなど、あんなことも、こんなこともと、密かに心待ちにしていた矢先の出来事だった。薬の影響もありやせ細る家内を日々目にすると、こちらの神経も参ってしまう。不意に涙が出そうになり、眠れない日もないことはない。

で、つがいの雉である。二羽は互いに顔を見合わせると、次の瞬間水田の奥へ前後して静かに消えていった。
雉を見送って自身を顧みる。
どうせ命あるものはいつかは舞台から去る運命にある。遠い昔、二世を誓った夫婦も同様で、相前後して消え去ることになろう。
日々置かれた現状を過度に悩まされることなく、神の定めし時まで、泣き笑いしながら寄り添って生きたいと改めて思った。


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