「COMFORT ZONEを飛び出す:ネパールの田舎からジンザイベースへ」
初めまして!
ネパール出身のグルン・マノズと申します。一度の人生で色々な経験をしたいと思い、2018年1月ネパールから来日しました。
2024年10月より、ネパール人社員としてジンザイベースに入社いたしましたので、私についての自己紹介を書いていこうと思います。
山々に囲まれた故郷から世界へ:私のルーツ
私は1993年生まれ、出身地はネパールのアーンブー・クハイレニーという所です。周りは全部山、自然豊かで様々な民族が住んでいる小さい町で、6人家族で両親、兄、姉(双子)、私です。
旅行、ハイキング、映画やドラマを見ること、料理を作ることや食べることなど、色々な趣味を持っています。最近は日本料理で二郎系ラーメンとまぜそばにハマっています。
子供の頃は恥ずかしがり屋でした。地元で中学卒業し、高校で科学を学ぶためネパールの首都カトマンズに住むことにしました。当時、インドのタージマハルやエジプトのピラミッドをテレビのドキュメンタリー番組で目にした影響で、建築家になりたいと思っていました。初めて地元から離れ一人で寮に住み始めたけれど、最初は寂しくて一人でめっちゃ泣いていました(笑)。時間が経つと友達ができて、初めて会う人と普通に話しかけたりすることができるようになりました。これが私の人生で成長の一歩でした。
そして、高校卒業して大学に入学しました。英語のことわざで "COMING OUT OF YOUR COMFORT ZONE" がすごく響いて、ネパールというCOMFORT ZONEから飛びだし、外の世界で国際的な感覚を身につけたいと思い、2年生の時大学を中退して留学することを決心しました。
日本カルチャーとの運命的な出会い
子供の頃からMADE IN JAPAN(パナソニック、ソニー、CASIO)と書かれた商品で特にラジオ、テレビ、時計、電卓等が長持ちするというイメージが強かったです。
NINJA(忍者)、SAMURAI(侍)の映画を観るのが大好きだった、未だに見ています。ネパールでNARUTO(ナルト)、火垂るの墓、君の名は、などみたいなアニメを結構観ていました。こういう色々な理由が日本に興味を持つきっかけになりました。
温かい教育との出会い:ネパールと日本、教育現場で感じた驚きの違い
ネパールで日本語能力試験N5に合格して、2018年1月セントメリー日本語学院に入学しました。クラスにベトナム、スリランカ、中国の方と片言の日本語で話していました。
ネパールの教育と違い、先生から"グルンさんなら出来る"といった温かい言葉で励ましてくれたりしました。というのも、私が子供の頃は学校で先生から体罰を受けるのは普通でした。もちろん、今では多少変わっているとは思いますが、ネパールでは、先生からエンカレッジする言葉はあまりなかったので、日本の教育現場はとても新鮮でした。結果、卒業まで1日も学校を休まず必死に勉強しました。
その結果、順次日本語能力試験N4→N3を次々と合格し、皆勤賞も貰いました。卒業式でスピーチコンテストに参加し、優勝することもできました。
日本語学校を卒業後は、もっと知識やスキルを身につけて、日本企業で就職したいと思い、専門学校へ進学することに決めました。ただ、入学とほぼ同じ時期に、世界中に新型コロナウイルス感染症が広まって全ての授業がオンラインになり、学校行事も全部中止になりました。ちょっと想像していたキャンパスライフとは異なりましたね(笑)。
資格とアルバイトで掴んだ成長
学生時代は、学業以外では、主に資格の取得とアルバイトに力を入れていた記憶があります。
2年の専門学校を卒業まで日本語能力試験N2に合格しました。当時は、進学したいという思いが強くて、そのまま4年制の専門学校に3年次に編入学しました。1年間半で日本語能力試験N1、TOEIC(L&R) 895スコア、簿記能力検定試験3級、文書処理能力試験検定試験3級と、資格を多く取得しました。
日本での初アルバイトは食品製造工場でのアルバイトでしたが、1ヶ月ぐらい働き、日本語の上達ができないと思い、すぐに辞めてしまいました。今振り返ると、当時の先輩方には申し訳ない気持ちでいっぱいですね。代わりに、次のアルバイトとして、居酒屋での仕事に挑戦しました。最初、ドリンクバーで飲み物を作る仕事を任されていましたが、当時は簡単な日本語しかわからなかったので、教わったドリンクレシピをメモして、全部ドリンクレシピを英語版に作り変えました。少し日本語もできるようになり、半年でホールをやり始めたのですが、私が作っていた英語版ドリンクレシピを、後からドリンクに入ってきたネパール人が使っていた時は嬉しくてたまらなかったですね。
4年生の就活で様々な日本企業を知るチャンスだと思い、25社以上の説明会を受けました。特に、留学生に人気の業界(自動車やホテル、ITや不動産、メーカーなど)、多くの業種で選考を受けていました。
未知の業界への挑戦:中古車レンタカー会社での経験
最終的に、知識がほぼゼロの車業界に入社することにしました。
中古車のレンタカー部署に入社して、一日でも早く覚えるため車のメーカー、モデル共に保険等を熱心に勉強しました。その結果、お客様にスムーズに車の案内をできるようになりました。途中から、お客様との面談や電話対応、社内外の取引先との調整業務など、多岐にわたる業務を経験させていただきました。特に、電話対応は結構多かったので、お客様の名前、住所、要件などを聞き間違いないようにするのが最初は大変でした(その分、日本語のヒアリング能力がだいぶレベルアップできましたが笑)。
ただ、順調に仕事を覚えていっていた途中に、レンタカーの部署が解散することに。他部署に異動の話もありましたが、自分のキャリアについて真剣に考えた結果、今までの経験を活かして外国人に関わる仕事をしたいと思い転職することにしました。逆に自分にとっては良いきっかけになったと思っています。
昔から、日本にいる友人、後輩からよく困っていることの相談に乗っていました。例えば、携帯、病院、お支払いの件(税金、保険)、日常生活に起こることなど。自分自身、日本に来てから困ることばかりで、実体験をもとにアドバイスをしていました。困っている人に情報を教えるだけで人の役に立っていると感じて、外国人と関わる仕事をしたいと思いました。
ジンザイベースとの出会い:多様性を重視する企業文化
転職サイト、主にIndeedでたくさん求人を見ました。その中から、ジンザイベースの求人に興味を持ちました。従業員数30名のうち大半が外国籍であること、リモートワーク+フレックスタイム制を導入していること+ベンチャーで能力主義の評価体制であること。
HPやnote、YouTubeを見ると、すでに働いている人たちの雰囲気や考えがよくわかりました。 特に、他社だと人材紹介するだけメインで求職者のことそこまで考えていないことが多いです。ジンザイベースは「求職者が日本に来るため借金をしないよう、現地の送り出し機関やエージェント、ブローカーを利用しない」と明言している点が、外国人である自分にとってとても気になりました。
その日のうちにHPのキャリアページから問い合わせし、面接へと進んでいきます。面接はトントン進んでいき、気がついたら最終選考。内定をもらうまで、全体を通して、2週間もかからなかったと思います。
動画などで見ていたものの、流石に入社前までは職場の雰囲気、仕事の内容はどうか心配していましたが、仕事はまだ不慣れですが、みんな話しかけやすいので安心しました。
さいごに
ここまでご覧いただき、ありがとうございます。
私がジンザイベースで働き始めて特に印象的なのは、「多様性」が単なるスローガンではなく、日々の業務や社内文化の中で自然と息づいているということです。
私自身、留学生として来日し、言葉の壁や文化の違いに戸惑いながら、さまざまな経験を重ねてきました。その過程で感じた不安や困難、そして乗り越えた時の喜びは、今の仕事に大きな強みとなっています。
ジンザイベースには、私のように海外にルーツを持つメンバーが多く在籍しています。しかし、それ以上に特筆すべきは、一人ひとりが自分のバックグラウンドを誇りに思い、それを活かして働ける環境が整っていることです。年齢や経験、国籍に関係なく、実力で評価され、挑戦できる機会が常にあります。
私たちは今、同じような志を持つ仲間を探しています。もし、少しでも興味を持っていただけましたら、まずは気軽にカジュアル面談からでも構いません。人材紹介の仕事に興味がある方はもちろん、「どんな会社なのかまずは知りたい」という方も大歓迎です。
あなたの「次の一歩」を、ジンザイベースで踏み出してみませんか?