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#3.県庁おもてなし課
まのちーです。
特におすすめしたい!と思った本を感想書きながら紹介します。
(ヘッダーの写真は高知県の四万十川。作中にも名前は出てきます。)
記事後半はネタバレを多分に含みます!(区切り線あり)
県庁おもてなし課(有川浩 角川書店)
ジャンル︰小説 ページ数︰431
平成23年初版
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高知県庁「おもてなし課」。県の観光を盛んにするべく柔軟で自由な企画を期待されて設立された課です。とはいえ何をしたらいいのかわからないので、とりあえず著名人に観光大使を引き受けてもらい、彼らの仕事関係者などに観光大使の名刺を配ってもらうことでその名刺を県内施設の入場券代わりとする宣伝企画をスタートしますが、民間の感覚がわからない役人たちは何もかもがグダグダ、、、
そんな中、観光大使を依頼したうちの一人の作家からのメール。名刺を預けるからそれを配ってくれ。それだけの仕事なのにどうしてわざわざ詳細を聞きたいとメールしてくるのだろう。実はこの一通のメールが、お役所仕事だった高知県の観光施策の運命を変えるきっかけだったのです。
作中序盤の、役所と民間のコントラストが印象的です。良くも悪くも、ガツガツしていないのが役所というイメージがありますが、作中序盤でもそのイメージ通り、いかにもことなかれ主義と言いますか、安定志向と言いますか。この最初の雰囲気があるからこそ後半が輝くのだなあというのが最初の率直な感想です。
いわゆる「田舎」の情景が浮かぶような描写が至るところにあり、旅行欲をそそるような小説です。高知県行ってみたいなあ。
役所という性質ももちろんですが、それ以上に、これまで前例のない新たなことに取り組む部署ならではの苦労を感じ取りました。世の中の至るところで、現状維持ではなくこれまでよりも向上させよ、と威勢のいい発破をかけて新しい事をやれというものの、いざ変化を提案すると途端にそれまでの威勢が吹き飛んで変化を拒絶することが多いのではないでしょうか。
作中の取り組みなんかと比較するにはあまりに烏滸がましい些細なことではありますが、私には、旧態依然としたとある習慣を改善したいと思ったのに、そもそも提案すらできなかったという経験があります。そういう私視点だと、作中の登場人物のそもそもこれまでの枠組みや前例に囚われない、柔軟な発想を想起できるというところももちろんですが、それ以上にその柔軟な発想を提案できる人、にも憧れます。でも、その柔軟な発想を発想止まりにしないもう一つの行程の必要性に気付かされました。「アイデアはよく思いつくんだけど、なかなか実現には至らないなあ」みたいな悩みを抱いてる人や、「きっと有意義なことに気づいてるんだけど、提案する勇気が出なくていえなかったなあ」って経験をしたことがある人に特におすすめです!この作品を読み終えた頃には何か気づくことがあるかもしれませんよ!(これに関する、作中の描写と関連付けた話題は、区切り線の下側でまた触れようと思います。)
ここからは躊躇せずにネタバレもします。
読むつもりの方はこれ以降目を通さないことを強く奨めます。
区切り線の直前に触れた、いかにも堅苦しくなりそうな話題は後回しにするとして、まずはネタバレも含んだ感想を。
私は、女心をどうにも理解してない鈍感な男が女の子を不貞腐らせたりやきもち焼かせたりしているシチュエーションがとてもすきです(唐突なカミングアウト)。
妬いてる自分の気持ちも、女の子の気持ちも気づくことができずにいるシーンのもどかしさは私をハラハラさせて、なんでそんなことするんだ!と悶々とさせるのにはあまりに十分でした。
そして、ある瞬間「これまでのどうにも腑に落ちなかった色んな出来事が、線と線で繋がって一つの絵を描いて、彼らの気持ちを浮かび上がらせてくれているのだろう」という妄想を捗らせて、恋愛の成就を祝福すると同時に、「やっと彼らも私と同じ気づきの境地に至れたのだな」と二つの意味での充足感に満たされながらその後を読み進めることができるのが最高に堪らないのです。
私が、恋愛絡みのアニメや小説を(内容とは別軸で)印象強く覚えている理由はきっとこういう論理なんだろうと気づきました。
閑話休題。
序盤と終盤でのおもてなし課の面々は本当に別人なのではないかという変貌ぶりでした。
新規性を期待されて創設されたであろうおもてなし課、しかし何をしたらいいのかわからないのか、どうにもやっつけ仕事感が否めないというのが最初の彼らでした。では、作中において彼らが変わった原因はどこにあったのでしょうか。
作中序盤から彼らに不足していたものは明確に突きつけられていました。そう、「民間感覚」です。ですが、抽象的に民間感覚といっても具体的にどこの感覚が乖離しているのか、これに気づくのに難航します。
それもそうですよね。別に現実での人間関係だって、どんなに仲の良い人でも、血の繋がりがある相手でも、愛する人でも、その程度の大小はあれど、違うところは必ずあります。育った時代や環境、学んできたこと経験してきたことが違えば、その人の考えや価値観が違うのは当然です。
そして、あなたが見ている世界と私が見ている世界は違います、と指摘するのは簡単ですが、どう違うのかを自力で気づくのが至難の業だというのは容易に想像がつきます。
民間と役人、立場すらも違うのだから、見えている世界も、物事のとらえ方も、何に重きを置いているかも、違うのは仕方ないでしょう。でも、自分とは違う相手に何かをアプローチするときには相手方の目線にも立たないと独り善がりになりうるのです。役人の感性から取り組んだ最初のプロジェクトは、結局ゴタゴタのまま凍結してしまいました。
役人の感性でしか考えなかった彼らが、民間の感性から物事を考えようと努力した。彼らは民間の感性を拒むことなく受け入れ、順応しました。ただ、役人が民間に成り代わるのではなく、役人の中に民間の感性を取り入れるように変わったのです。
この、彼らの「変化」は実はもう一つあったように感じます。元県庁職員で、現在は民宿を営みながら観光コンサルタントとして有名な清遠の感性を取り入れたことです。かつて斬新な観光施策を立案しながらも実現に漕ぎ着けす、閑職に回され職を辞した彼は、きっと今のおもてなし課にいてほしい人材そのものだったはずです。おもてなし課の最若手、掛水とアシスタントとして契約を結んでいる多紀の二人は、彼と行動を共にするうちに彼から学んでいったのです。日曜市に連れられていた頃の彼らと、自主的に一泊二日で馬路村に赴くことを決意した彼らも、まるで別人なのです。民間の感性を養っただけでは、不十分だったのです。そしてそんな彼らが課全体を変えることになるのです。
さて、経営コンサルタントの元県庁職員、清遠。かつての彼も、今の彼も実現すれば県の観光業に活気が漲るであろう素晴らしい提案をしています。ですが、過去の彼の提案は実現せず、今回の提案は実現に至るまでの道筋がたちました。どちらも突拍子のある提案であることに変わりはなかったわけですが、結末に差が生じた。そこには、提案内容以外の重要な要素の存在があるのではないかと考えました。
それは、根回しです。その根回しというのはいわゆるロビー活動のことではなく(もちろんそれも大事かもしれませんが)、自分と同じ視座に立って物事を考えられて、行動することができる仲間を作ることだと感じました。自分と景色を共有し同じ感想を抱けるような仲間を作ることというわけです。それだけでなく、その仲間には動いてもらう必要もあります。自分と同じ景色をみることができる案山子じゃ仕方ないのです。
彼は、掛水や多紀を何度も同行させ、様々な経験をさせ、彼に見えている世界を彼らに共有しました。彼らに様々なことを気づかせました。自分の分身を作ったようなものです。作中で分身を作った理由は、自分がプロジェクトから外されることを予見したからでしたが、私はこの点が成功の可否を分けたのではないかと考えます。
結果論として、どんなに素晴らしい案だったとしても、斬新な案だったとしても、自分と同じ境地まで至れている仲間がいなければ、その良さは伝わりません。そして、それを理詰めで説くのではなく、感覚的に分からせなくてはならないのです。自分の眼前に広がる景色を、ただ口で伝えるのでは不十分です。同じ景色を同じ目線で見てもらわないといけないのです。
清遠は、二人を連れて様々な体験をさせることで、彼らに自分と同じ目線で自分と同じ景色を見せることに成功したのです。そうしてそれを広げてもらうことで、課の他の人間を自分の目線に近づけたのだろうと考えます。
作中のように自分と同じ体験をしてもらって分身を作るなどといった大層なことはなかなか実現できないでしょうが、活かせることはあります。
何かを提案するときに、自分の感性で感じたその提案の魅力を伝えることです。先ほども述べましたが、物事の捉え方は人それぞれなのです。だから、森羅万象において物事を見る目線もまた千差万別なのです。正解のない問いに対して、自分にはAと見えていても、相手には全く異なるBと見えていることすらあるかもしれません。そんな相手にいくら提案の内容を深掘りして説明しても相手の認識は覆せません。認識そのものを覆せないのならば、相手の感性そのものを(一時的に)変えてしまえばいい。だからこそ、提案者の感性を共有する必要があると考えるのです。そして、提案においてまず力説すべきはこの感性の部分で、その感性に納得してもらってからの中身ではないか。提案してもなかなか実現しないなーと思う私はそんなことを思ったのでした。そして、次は「感性」を意識して物事を提案してみようという勇気を奮い立たせたのでした。
読み終わってすぐ感想をしたためたのに、最後の誤字脱字の確認や書籍情報の入力に着手するためになんと3日もかかりました。