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小説(SS) 「記憶の底で眠るもの」@毎週ショートショートnote #書庫冷凍
人の記憶にダイブするのは、いつだって危険と隣り合わせだ。他人の見たもの、聞いたものを追体験しているうち、自己とそれとを隔てる境界線が次第に揺らいでいく。だから、調査にかけられる時間は高度な訓練を積んだ記憶捜査官であるラニでさえ、わずかな時間しか与えられていない。
体感にして五分。それを越えたときに起こることは想像に難くない。実際、この仕事を何年も続ける中で、"戻ってこれなくなった"同僚を幾度か目にしていた。
ラニは、重金属でできた冷凍庫の扉に触れると、いつものルーティン通りにゆっくりと息を吐いた。気持ちを落ち着かせて扉を開く。中には、まるで本棚のようにストレージが背差しで並べられていた。
その一つ一つが、捜査対象である一人の人間の記憶の断片だった。
世界的な実業家であり、莫大な資産を持つサミュエル・リキッドが行方をくらましたのは、かれこれ三年ほど前のことだ。著名であったことから事件と事故の両面から捜査が行われていたが、ついに手がかりが見つからず、陰謀論がささやかれながら迷宮入りしてそれなりに世間を賑わせたものだった。だが、捜査の打ち切りを機に水面下で繰り広げられていた相続争いが表面化すると、事態は一変した。
隠し財産の存在が浮かび上がってきたのである。遺言状に書かれていたわけではなく、失踪前の彼とのふとした会話の中で、特別な財産があるとポツリ漏らしていたことを親族の一人が思い出したのである。親族は躍起になってそれを探し求めた。しかしその痕跡はどこにもなく、隠し財産の場所はおろか存在すらも不確かなものとなっていった。
手がかりが見つかったのは、最近になってからのことだ。サミュエルは、重要な記憶を「書庫冷凍」し、必要なときに引き出すことのできるサービスを定期的に利用していた。人間の脳波とデータ化した記憶を同期して保存する仕組みで、ここ数十年の間で、富裕層を中心に需要が急速に高まってきているサービスだ。この産業の興りと共に、ラニのような記憶捜査官という職業も誕生していた。
書斎に隠されていたIDが見つかってからの親族の動きは早かった。「書庫冷凍」の管理会社を通じて、記憶捜査官であるラニに調査の依頼が入ってきたのだ。管理会社の記録では、サミュエルは最後の同期を行った日に「書庫冷凍」サーバーからの切り離しを希望したようだ。ラニのミッションは、彼の記憶をさかのぼり、隠し財産に関する情報を引き出すことだった。
「準備はよろしいですね?」
立会人であるサミュエルの親族が見守る中、管理会社の男が言った。ラニは小さく頷くと、心を鎮めてゆっくりと目を閉じた。
光が、まぶたの裏を過ぎていく。ふわりと身体が浮く感覚に襲われる。狙い定めた地点にたどり着くまでは、全身で強風を浴びることだけで精一杯なスカイダイビングのフリーフォールさながらにその身を任せるだけだ。数秒が経過した頃、足場の感触を得て目を開ける。
知覚したのは、荘厳な国立図書館のような様式美をまとった本棚ばかりが並ぶ巨大なドームだった。人の記憶の中は、場所だけでなく、建物の大きさや種類や形状も違う。サミュエルの場合、その勤勉さと知的な一面がこの光景に現れているといえた。
ラニは、自身の背丈の二倍ほどはある本棚と本棚の間を歩いていくと、やがて建物の中心にポツリと独立して立つ扉を発見した。特別に隠しておきたい何かがあるならば、この奥だろう。時間も限られている。ラニは、確信めいた感覚に任せてドアノブに手をかけた。
「誰だ」
後ろから、抑揚のない、しかし不快感をあらわにした老人の声がした。振り返ると、サミュエル本人とおぼしき人物が立っていた。背が低く、その顔には多くの皺が刻まれているが、眼光の奥には厳しさを感じさせるものがある。
「何のためにここへきた」
「私は、あなたのご親族から依頼で――」
「記憶捜査官か。でなければ説明がつかんな。さしずめ、はやったバカ息子どもが相続で揉め出したんだろう」
「この奥に、隠し財産の情報があるのですか」
「くだらんな。金など、肉体がなければ何の意味もない」
嘲笑を含んだ声だった。声といっても、ダイブ中は脳内に直接言葉や音が響いてくる感覚がある。
「君を歓迎しよう。なにせ、最後の来客になるかもしれんからな」
「それで、隠し財産は」
「扉の向こうを見てみるといい。鍵などはかかっておらんよ」
ラニはドアノブに力を込めた。扉がゆっくりと開いていく。内部は白い光に包まれていたが、やがて霧が晴れるように光景が見てとれるようになった。
そこは、書斎だった。
「隠し財産など存在しない。記憶こそが、これらの空間こそが、私の財産であり不滅のものなのだ」
老人が、後ろから歩いてきてラニの横に立った。
「もしかしてあなたは、記憶が作り出した幻影ではなく」
「そうだ。私は自ら肉体を捨て、この空間と一体となった。ここには世界があり、物語がある。私は、世界であり、物語でもある」
「つまりあなたが失踪したのは、過去に身を置いて永遠を手に入れるため」
「老いとは、受け入れがたいものよ。その執着が、私をこうさせたのだろうな」
老人の眼は、どこか遠くの一点を見ていた。
「私はこの世界に存在し続ける。だが、それも少し飽きてしまった。私は過去でもあり、今でもある。しかし、"今"が先に進むことはない。私は、知らない世界をもっと旅してみたくなった」
老人がラニを見上げる。その瞳の奥が怪しい輝きを放った。
「君は若いな。そして人の記憶に潜ることができる」
「何を考えているの」
「わかっているはずだ。すでに境界線が揺らいでいることに。私の言葉は、君の言葉でもあることに」
〈ラニ〉は記憶ストレージから浮上した。おかえりなさい、と管理会社の男が言い、サミュエルの親族は必死の形相で結果を問いただしてきた。
〈ラニ〉が微笑みかける。
「ダイブは成功です。残念ながら、隠し財産の情報こそつかめませんでしたが」
親族が落胆する様子を見せた。ですが、と〈ラニ〉が付け加える。
「一つだけ確かなことがあります。〈彼〉は、生きています。もう、別の存在になりましたが」
驚く親族を尻目に、〈ラニ〉は歩き出した。その瞳には、これまでにない輝きがあった。
〈了〉2,543字
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久々にちゃんとしたSFを書きました。
攻殻機動隊2045にインスパイアされたとこもあるかもです。
ではではまた〜。
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