病院嫌いのわたしの今後
ちょっと体調がすぐれない日が続いたとき、
ふと、思うことがあるんです。
もしも大きな病気なのでは?と不安に思ったとき、
私は病院で受診するのだろうか?
仮に受診したとして、
多くの人がそうであるようにお医者さんの言いなりになることはなんだか怖く感じる。けれど、治療や薬の選択をどのようにすればいいのだろう?
私は今まで、大きな怪我や病気一つせず、35歳まで生きてくることができた。
手術のような経験は、0歳のときに舌の手術をしたことと、親知らずを抜くために切開したくらい。
最後に打った予防接種は高校を受験する年に受けたインフルエンザワクチンぐらい。
その後は風邪を引こうがインフルエンザに罹ろうが、ほとんど医者にかからずに寝れば治る精神で生きてきた。
小さな風邪であれば薬はいらなかったし
寝ていれば数日で治るものなら、薬を飲むのとほとんど変わらないと感じてきた。
この数年、ただ生きているだけでも、
今までの‘当たり前’を疑うシーンが多い。
たとえば、一般的に、
風邪をひいたら薬をのむ
でも、体にひき起こる症状は、身体から悪いものを出そうとする身体の反応だ。身体は『良くなるために』それを引き起こしている。
その症状をおさえる薬を飲むことは果たして良いことなのだろうか?
病気になったら医者にかかる
ほとんど反射的に病院に行く人もいるけど、
そもそも
病気にならないような生活を心がけることってみんなできているのだろうか。真に必要な食生活は?真に必要な身体に関する知識は?みんな持ってない。
本来そちらに目を向けることを、呼びかけることが国や医者の勤めでは?
ワクチンはほんとうに病気を予防するため?
もちろん、上に記したことが全てに当てはまるわけではありません。そのときその時の状況に応じた対処も必要なことがあるのでしょう。
けれど、
今一度冷静に、自分の頭で考えてみた時に
なんだかおかしいな、って感じることがたくさんあるんです。
私の体は、私が生まれた時にお借りして
私が誰よりも共に付き合ってきたはずです。
その状態の判断を、病気になった途端、お医者さんの言うことは絶対!のように、委ねてしまうことに疑問が湧いた時、
私はあまりに、人間の身体のこと、しくみのこと、知ろうとしてこなかったことに気付かされました。
お医者さんにかかりたくない。
でもかからないと決めたとして、それではあまりに自分の知識や経験の量は頼りない。
自然農の畑をやっていると
畑の作物が健康に育ってくれるときも、虫に負けてしまうときもあって
でも原因を知りたい時、そこには、疑うべき無数の条件がみえてくるんです。
条件はたった一つではない。
気候はどうか、日当たりはどうか、風通しはどうか、雨の降った間隔はどうか、その畑のもともとの土の質はどうか(その土地の火山の歴史なども)他の作物とのバランスはどうか、前年までの作歴はどうか、種は、苗は、、、、
私たちも、心やいろいろな外的要因もあるけれど、なによりも
食べたもので肉体はできている。
日々の食事、1回1回の食事で
自分が選んだもので私の身体はつくられていく。
じゃあ
子供の頃から与えられてきた給食の内容は?
生まれた時から当たり前に食べられている
パンの食事や油を使った料理は?
なんとなく『食べ過ぎたらダメよ』と諭されてきた、お菓子は、おやつは、どれくらいなら良いの?
疑問はたくさん浮かびます。
なんとなく『みんなこうだから』に疑わずにいたことを、今一度ひとつずつ疑って考えてみるのです。
最近私は、吉野敏明先生に習って
四毒(小麦、砂糖、植物油、乳製品)を減らすことを意識しています。
先生は、きっぱり断たないとだめだとしきりにおっしゃっていますし、例によく上がる『ほとんどやめています』状態なのですが(お恥ずかしながら)
それでも、食べてしまったあとに、『やっぱ、具合が悪くなるな』と気づくようになりました。
以前は、だるくなったり、お腹の調子を悪くしたり、鼻水がでたりすることが当たり前になっていて、それは食べ物が原因だと疑いもしませんでしたが、今は、食べたものの反応が顕著に感じられるほど、センサーが敏感になってきています。
そして、だるくなるのが嫌だから、食べない
こう選択する時が一回、また一回と増えてきています。
自分の頭で考え選択する
これもまた『風の時代』の土台となるのでしょうか。
沙紬