家族の機能と家族の歪みと…その必然について考えたこと
実母が、夫である私の父についての批判をするときに必ず言い訳のように、
「あなた達の大事なお父さんだから大事にしているけれども」「あなた達の大事なお父さんだから言ってはいけないと思うのだけど」
という言葉をくっつける癖がある。
父の性格のわがままなところ、自己中心的で冷たいところ、穏やかで優しいとみえて実は他者に無関心なところ、見栄っ張りで幼稚なところを知っているので、母のやりきれなさは理解できるし、産み育てて身を挺して庇ってきた我が子にこそ聞いてもらいたいのは無理のないことだと思う。
私は、自分の血縁だからという理由で、人としてどうかと思うような間違った振る舞いまでを合理化する気はないから、母が必ずくっつける枕詞は不要であるとそれを聞くたびに感じる。
私の中には父に似た冷ややかな部分があるからこそ、
「そんな取り繕うような言葉をくっつける必要はないよ。いけないことはいけない。身内だからって失礼な言動のことまで庇う気はない。父は自分のことをいったいナニサマだと思ってるのかしらね」
と思うのだ。
私は父の冷たさを受け継いでいるからこそ父に対しても身も蓋もない考え方をする。
そして、母に対しては
「いつもいつも言い訳がましく『あなた達に大事なお父さんのことを言うのは悪いけど』って言うのはやめたらいいのに。必ず言わずにいられないのは、『私はそんな感情的なみっともない女じゃないのよ。私はちゃんとわきまえているのよ』って保険かけてるよね?
そういう、私はちゃんと客観的に見れる賢さを備えているのよって念押しするようなところがくどくて湿っぽいのよね」
という印象を持ってしまう。
そしてまた、
「母はそうやって、『あなた達の大事なお父さん…』と言いながらその反面で、エピソードをいくつも並べ立てるけどほんとうに言いたいことは言わない。父の言動の芯にある問題がなんであるのかは、私に言わせようとする。私に父を断罪させようとする。私に言わせる限り、母が言ったのではないから、『あなたはほんとうにお父さんに似ている。私(母)はそんなきついことを思いつきもしなかったわ』と言いつつ溜飲を下げるのがいつもの癖で魂胆よね」
と思う。
思いながら、ときにサービスして母が期待する父への批判を代弁し、ときに母の期待をわかっているからこそ代弁せずに受け流す。
私はほんとうに父に似ている。
弟や妹よりも、長女の私はいちばん父に似ているのかもしれないと思う。
その一方で私はほんとうに母に似ている。
夫が私にしてきた言動を、自分の子に何気なく話して反応を見るようなところが私にもある。
自分は客観的な判断ができる人間だと言いつのりたいところが私にもある。
子どもの前で配偶者のことを悪しざまに言ってはならないというほんとうの理由を母は間違えて理解していると思う。
単に子どもの大事な親だからというものではないと思う。
それは、
子どもの人格の芯に否応なく存在する、配偶者から受け継いだ同じ要素を目の前に突きつけたうえで、その同じ要素が他者を如何に傷つけながら利用しうるのかという醜い姿を知らしめ、これがおまえの本性だと言っていることだからではないだろうか。
一方の親から受け継いだ自分自身の姿の投影を、それをよく知るもう一方の親から否定され、その否定に同意させられるということになるからではないだろうか。
だからといって、
配偶者を無理やり意図的に褒めちぎることで子育てを成功させようと目論むのも期待外れの結果をもたらすだけだと思う。
全ての家族は、家族であるということで必ず歪みを内在させており、
家族だけで、血縁だけで閉じたときにその歪みは掛け算で大きなものになるのではないか。
家族だけで閉じずに他人の介在する社会に通ずる通気孔を意図して保持することでしか歪みは修正できず、しかしながら、家族は家族の構成員達を保護する為に、通気孔を閉じようという方向に動くのが必然という矛盾を抱えているのではないだろうか。
家族は利益共同体として、外に対抗するときには団結し、グルになる。
でも家族だけで閉じたときから、家族の中でいちばん立場が弱い者を見つけて特定し、むしり始め、喰い始める恐ろしい怪物になる。
母の口癖に食傷しただけなのに、えらいところまで話を拡げてしまった………。