エラい迷惑でしたわ…
「………あのね母さん…。言いにくいんだけど…。最近は送ってきてないのに言うのもナンだけど…」。
電話の向こうの長男、気を遣っている。
「ウチに、反ワクの資料送るの、やめてくれない?」
送ったの、もう1年以上は前だと思うけどな…。長男一家全員が罹患したあとは、天然ワクチン完了として一切送ってないはずだから。
記憶にあるのは、子どもへの接種圧力に特に危険を感じた時期(孫が幼稚園児だから集団圧力が気になった)、それで医院の石井仁平先生のメッセージを絵本にしたものを3冊(5冊買ったうちの3冊。私にしてみれば、わずかな冊数だから、2冊にするか3冊にするかしばらく迷った。幼稚園から勧奨があった場合に使うなら、と、お嫁ちゃんのお姉さんにも小学生の子どもがいるから、って3冊奮発したわけだ)送った。國部克彦先生の講演を聴いたあと、主催者の(一社)市民審議会が山陽新聞や読売新聞に広告掲載したチラシ:『私たちの未来を奪わないでください』を送った。
「妻にしてみれば、そんなものを周りに見せたり渡したりしたら、『何?あの家、反ワクの家なの?』ということになって肩身が狭い。そんなものを送られたら困るんだ。妻の両親と姉は幾度か接種している。妻の父は宿泊業だから立場上仕方がなかったから。妻の母と姉は、妻の祖父が介護施設に入っているから面会の為に施設から条件提示されて仕方がなかった。妻にしてみれば、『私の親は打ったのに。いったいどうなるというのよ』となる。」。
(他人の家に届いた郵便物を勝手に開封する人間がいるわけではないだろうが)私は非常に大切な人間に対して、迷惑な行為をしており、相手はそのことを1年以上言い出せなかったらしい。
(私にその意識がなくとも)相手は自己の立場を劣位と感じて抗議できなかったわけで、それは申し訳ないことであった。
介護施設の面会について言えば、「文書に明記したものをください。『もしも今後、接種を勧奨したブツの評価が変わり、有害性が立証された場合には、接種を勧奨し面会の条件にしたことについて施設として責任を負う』という文言を入れてください」くらいは条件提示して構わないと思う。が、要介護の身内を人質を取られていて、密室で不利益を蒙らないかという不安がそれを躊躇させるだろう。
幼稚園や小学校にも、同様の文書交付を条件提示して構わないと思う。その際に、石井仁平先生の絵本を添える等の使い方が考えられる。
しかしながらこの場合にも、弱い立場の子どもを預け、委せていて不利益取扱いをされたらという不安がある。
だから、
自分で選択できる立場の人間が軽はずみに打ったのは大迷惑だったんだよ!!
どっちでもいい、選べる立場の人には、よくよく調べて考えて、それ以外に方法がないかどうか検討してほしかった。
社会的に強い立場・ルールを決定して他人を従わせる立場の人には、接種証明を必須要件として安易に定めないでほしかった。
弱い立場の人間を人質に取られているとか
医師(理系ヒエラルキーの最上位にみられ影響力を持つ)以外の医療従事者・コメディカルとか受付事務とか
医療系の専門職養成課程の学生とか
妊婦とか
入院患者・施設入居者とか
受験生とか
出入りの業者とかフリーランスとか被雇用者とか
そういう、表立って断れない人に強要する立場の人は、責任を感じたうえで迷って悩んで苦しんだ末に決定してほしい。
やっときゃ安心だろうみたいな、大は小を兼ねるみたいな思考停止状態・思考放棄状態・思考麻痺状態でEnterキーを叩くんじゃない。
私はこれだけ調べた、これだけ考えた、これだけの状況を想定して対策を講じ、責任の取り方を決めて覚悟をしたと、提示せよ。
そして社会は、マスコミは、なあなあでコトを荒立てずに済ますことを選んだな?それにより他者に及ぼす影響は考えたうえでのことだな?
国立大学(旧帝国大学)の人事を知って更に思う。
コトを荒立てないことを最大の優先事として選択したことの影響は、まだこの世に生まれていないこれから生まれる生命達にも及ぶ、その重みをどこまで認識して行動決定しているのかと。
自分の生命は自分だけのものではないというのはそういう観点においても言えることであろう。
私の両親・弟妹、弟妹の子ども達は皆接種を受けた。両親と妹は3回。弟や甥姪は2回だと聞いている。私は一応、知る限りのことを伝えた。彼らの中では弟がいちばん選べる立場だったのだが、私のFacebookのタイムラインにまで苦情を書き込んできた。
私は、
「個人が選ぶこと。私は自分のタイムラインに自分の知る範囲のことを書いただけ」
と返事したら、
「やっとウチの子ども達が接種を決めたのに」
と。
だから個人の選択だというのに。
彼らは過剰に自己主張し、他者の意思表明には敬意を払わない。
ムキになる。
私は、私が信頼するに足ると見て取った相手にだけ、その信頼できる範囲に於いて情報提供する。抵抗があればそれ以上は踏み込まず、相手の選択は尊重してきた。
接種後の体調不良の話をされれば聴き、対策を一緒に調べてきた。
長男に言った。
「そんなに受けたいなら、受けさせてあげたら?私は、子どもに対しては慎重を期すべきだと考えて情報提供したけれども、他者(大人)の決定に干渉する気はない。ただ、私の子どもであるキミには、それ以外にすべがない状態になっていない間は接種しないでほしい。私自身の家系に自己免疫疾患が多く、私自身にも自己免疫疾患があるから」。
理系で、化学と生物が専門分野の長男は答えた。
「自分は、受けない。妻も受けたいわけではない。妻には自分が簡単に、どういうことかを説明したら、受けないと言っている。妻の姉の夫も、受けないと決めている。ただ、『反ワク』のレッテルを貼られるような資料はいらない。
ごめんね。
気を遣ってくれてるのは知ってるんだ…」。
「気を遣うとかそういうことはたいしたことではなく、気を遣う遣わないは、コトの正否には関係ない。された側の気持ちが大切だ」と答え、私は、今後そういう資料は送らないと約束した。
軽はずみに判断する人間
雰囲気に流される人間
自分の決定を、自分が安心したいという理由で他者にまで同じことを要求する人間
私にとってそう見えても、その人達の決定は尊重されるべきだ。
ただ、私の判断や決定も尊重されて然るべきではないのかとは思う。
夕方、姑と電話で話をしていた。
「コロナが終わったから、来年は新年会があるのよ」と、姑は楽しそうだった。
「良かったですね、人と会って話すと心が晴れますよね」
と応じながら、
そうか。
毎日人数を発表しなくなったら、『終わった』ことになったんだな。
世の中、いろんな人の人生が変えられたな。
エラい迷惑だったな………
と、心のなかでため息をついた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?