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ありがとうとごめんねと、ありがとう。

別居後初めての年末年始。
今年はいきなり乱闘が起こることはない(今思えば、昨年の大晦日に乱闘の引き金を引いた次男は、夫には謝ったけど私に対しては謝らなかった)。
掃除のことで突拍子のない難癖をつけられる心配もない。

別居や調停にかかわるあれこれを、1日も仕事を休むことなくやったので、年末年始の休日は寝倒すことに決めていた。自分のために休む、と。
だけど、若干の不安はあった。
ひとりで、気が滅入ったときにどうするか。仕事があれば調停のことなど考えて不安になっているような暇などない。その暇が与えられたときに、自責思考にとらわれたらどうするかという不安。まあ、そのときのことはそうなったときに考えようとは思っていたが。

牛じゃないんだからね。
過去のあれこれをいちいち思い出して、幾度も幾度も反芻して意味を与えてはいけないよ。無意味だから。自分の心を損なうだけだから。

晴れた冬の空を見て、薄い淡い陽射しに照らされると、
小さい子ども達と手を繋いで同じ陽射しに照らされたときのことを思い出す。4人家族で帰省の電車を待っていたプラットフォームの、線路に照り返す薄い陽射しを思い出す。
若かったなあ、かわいい子ども達にまつわられながら、夫と一緒に協力して生きていくんだと思っていたなあ、もう戻れないけど、と。

協力できない相手だったんだよ。
「どうして子どもに勉強させなければいけない(ゆとり教育禍での中学生の塾通いという自助努力の否定)!!オレが自分のことにもっとカネを使えるはずじゃ!!」
という言葉は宇宙人の言葉だった。
OECD加盟国で、教育への公的支出は下位なのに、教育にかけている費用はOECD加盟国平均を上回っている国で育つ子ども達なのだ。

黒豆を煮ながら、拭き掃除をしながら、100均で買い求めた造花で、お正月らしい飾り物を自作しながらずっとそんなことを頭の片隅で考えている。

メンタルが持つかな…?
そんなことを考えていたら、12月30日、31日と上の子から電話がかかってきた。
お嫁ちゃんと孫が、お嫁ちゃんの実家に帰っていて、年末年始をひとりで休養するのだそうだ。

2日連続で電話してきてくれて、1〜2時間話す中で、2日とも長男は
「母さんが親で、良かったと思うよ。ありがたかったと思うよ」
と、はっきりと言ってくれた。

わざわざ、かけてくれたのだろう。
この言葉を私に伝えるために、かけてくれたのだろう。
私がひとりでいると、どういう考え方をしやすいか、ある程度予測がつくのかもしれない。

ありがとう。
ありがとう。小さかった、幼かった、可愛かった私の赤ちゃん。
いい親などとはとても言えなかった、失敗の多かった私のことを、信頼してくれた子。
ありがとう。

そしてごめんね。
実行前、弁護士と契約して実行を決めたときに身内の中で唯一この子に計画を知らせて、
「いいと思うよ」
と即答してくれた。
生まれ育った家族を、解体してしまってごめんね。

そして今、優しい心と言葉を、ありがとう。

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マンネンロウ
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