丁寧に暮らすこと、ものづくり、技術、国の力
世の中にあふれる節約術情報。
底値ノートを作って一円でも安価に買い物をしたり、ポイント還元を余さず利用したり。
自己防衛の為に工夫をこらすのは必要なことだと思うけれども。
お金の余裕がないとき、身の丈に合わない高級品ばかりは買えないけれども。
そればかりでいいのか?と、疑問を抱く。
生産者はどうなるのかと。
技術継承はどうなるのか、それは国力ではないのか、一旦失った技術は簡単には取り戻せないと。
賢く上手に買い物をするのは大切なんだけれども。
いろいろに、思いめぐらす。
着付けを習ったことがあるんだけれども、昔仕立てられた着物にはとても価値があり、昔のものと同じ着物を作ろうとしたらとてつもなくお金がかかると聞いたことがある。絹の着物の手触りは素晴らしく、冬は暖かく夏は涼しい。
昔建てられた家は、今同じものを同じ技術で建てようとしたらやはりとてつもなくお金がかかるので無理だと聞いたことがある。
食器を買い足す必要があって、5年ほど前に、百均で買い集めた。
見た目は良かったし、贅沢は身の程知らずだと思ってそうした。
百均とは言わなかったのだけど、子どもがそのときに買った食器を全部、嫌いだと言った。
「洗いにくい。フォルムのせいか洗うときに持つと滑りやすくて落としやすいし、きれいに洗えた気がしない」
「熱いものを入れると持てないくらい熱いし、そうでなくてもなんか持ちにくい」
「なんか嫌いだよ、この食器」
ええい、わがままを言うのではない。あるものをありがたくお使い!
と言いながら、たしかにフォルムのせいか、重ねたときに場所を取りすぎると思った。
たしかに、使っていて愛着が持てなかった。
このたび、思い切って百均の食器を処分して買い替えた。今度からは百均で食器を買うのはできるだけやめようと思った。
しかし…。
気がつけば、ひと握りの大金持ちや権力者と、大多数の貧しい立場に二分されているこの社会。社会がそういう構成比になるということは、国力がおとろえることだと認識している。
良いものを買い支えることができるよう、もっと健全な社会の構成比に戻れないだろうか。
一億総中流と言われたあの頃に。
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