私にとって「生きる」ということ
私はみんなが「生きる」ということに対して、どういう感情をもっているのか気になる。
よく「自分探し」とか言うけれど。逆に「自分探しって何?それで自分が見つかる人なんているの?」と言っている人もテレビで見たことがある。
私は「自分探し」って間違いじゃないと思う。既に自分って存在しているけど、自分の知らない自分だってあると思うし。
正直、自分探しの旅に出て、「自分が何のために生まれてきたのか」を見つけるのは難しいと思うけど。
ああでも、見つけられる人もいるかも。(考えが矛盾してる…)
つまり、答えを見つけてもそれは、思い込みってやつじゃないかな。でもその思い込みは全く悪いものではなくて、要は自分の存在価値はいかようにでも決められる。そこに合ってるとか間違ってるとかの概念はないと思う。
実際「自分が何のために生まれてきたのか」答えを見つけられている人はどのくらいいるのだろうか。
少なくとも私はない。
愛されるためとかそういうのは置いといて、この世に生まれてきた意味なんてみ~んな無いと私は思っている。
みんなみ~んな、ただこの世に誕生したから今生きている。
別に成し遂げなくちゃいけないことなんて誰も決まっていないはず。でも自分で決めることはいくらでもできる!
しいて言うなら、私は死ぬ理由がないから生きている。辛いと思ったこともある(いやみんなあるよ辛いこと)。このままじゃ、たぶん私は10年後生きていると思えないと思ったこともある笑(いやなんで10年後なん)。
でもそれが自ら命を絶つということには結びつかなった(他人からしたらそれは辛い出来事ではないかもしれないのだけど)。
でもそんな過去が今の自分を形作っていると思うことは多々ある。
あの過去が無かったらこういう考えは持っていなったな、とか。
だから自分が何のために生きているとか無いんだけど(愛されるためとか愛するためとかは除いておいて)、いろんな考えができる人になりたい。
人ってびっくりするくらい同じ人はいないじゃないですか。77億人くらいいるのに。(あ、でも確率が0ってことは少ないから、もしかしたらいるかもしれないけど。)
まあとにかく、1人1人本当に違う考えや価値観を持っている。同じ環境で育っても、起きる時間とか食べるもの、読む本や、歩く歩数、そんな些細なことが人との違いをつくると思う。
だから、こうあるべきとか、こう思うのが当然とか断定してしまう人にはなりたくないな。こういう考えもあるのか、そういうやり方もあるのかあって考えられる人になりたい。
そういう人生を送ったら、おばあちゃんになった時どんな人間になっているのだろうか。
ちょっと楽しみ笑。
皆さんはどんな人になりたいですか。
(いやちょっと待て自分、話それすぎなんですけど…)
(すいません)
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