#1 「ニューノーマルのススメ」
ノーマル=普通とはなんぞや?
と言う議論は、一旦、ポケットの中にでも入れておこう。
誤解されぬ様に言うと、かく言う自分は、アンチノーマル論者でも、捻くれ者でもパンクロッカーでもありません。あしからず。
酒の肴は決まって、仕事の愚痴という、昔から、枝豆と一位二位を競い合ってる美味しいアレです、気付いたらいつも皿いっぱいに大盛り。
そんな、普通が常套句のサラリーマン。
普通=ノーマルっていったいなんだろう?
想像するに、この「ノーマル」という言葉、普通とか一般的とか、常識的とか、多数派であるとか。
「これがノーマルで、それ以外はアブノーマルである!」と、私的な発想で言い切ってしまうのは些か、ナンセンスな気がするも、
この一年ぽっちで、世の中の流れがガラッと変わり、不自由を生んだだけじゃなく、ベースとなっていたハズの精神構造すらポキッと最も簡単に捻じ曲げられる程の大変化。まーた、コロナ禍と。(ごめんなさい)
新しい生活様式が叫ばれ、社会的距離感も現実的な距離感もスパッと一刀両断ヨロシク。
テレワークとかリモート○○。文明の力かもしれないけど、ちょっと寂しいのだ。いつまで経っても慣れない自分が、不適合感。
好きなあの子をバレずにずーっと見つめる事ができる素晴らしさもあれば、画面越しの嫌いな人は倍増しで嫌気。一長一短。
ハマる人にはハマり、ハマらない人にはとことんハマらない。かくいう自分は完全に後者。
やっぱり好きな人は、バレない様に見つめるハラハラドキドキ感、嫌いな人を遠ざける距離感のスリル。生身じゃないと味わえないこんな感覚は、ある意味、生の醍醐味。
面倒な事も多いけど。
それでも、このニューノーマルが、当たり前とかスタンダードとなる未来に、既に、片足を突っ込み、
世の中の風向きが大きく変わったのは事実。
それを生かすも殺すも己次第、反発すればする程、軋轢を生み、適応出来なければ、まさにアブノーマルと指差される事もあるかもしれないけれど。
ただ、一つ思うのは、新しい当たり前が増えたら、それはただ選択肢が増えたと言う事なだけ。
もしかしたら、「古い」と言われる事を、変わらず続ける事が、「新しい」とすら言われる価値観すら生まれる可能性があるんじゃない?と。
保証はありません、当社では責任を負いかねます。のヤツです。
それでも、捨てられずに残っている、古き良きという言葉。過去に拘るの意味ではなく、良いものは良い、悪いものは悪い、シンプルにただそれだけの話。
それは今も昔も変わらないと思いたいし、今後も一緒と思いたい。
と、思えば、新時代の始まりこそ、自分の知ってる「ノーマル」でいる、これも一つの答えなのかもしれないなんて。(ただ自分が、懐古派の不器用人間なだけの正当化だけど...)
どれだけ時代が進んでも、
ありがとうとか、ごめんなさいとか、好きとか、楽しい!は、その時の空気とか表情とか、言葉・態度の温度感、肌感で味わい。ずっと。
ニューノーマルが叫ばれる今だからこそ、僕が僕であるために。尾崎豊も言ってるぜ、なんて。
変える努力も人生大事なのかも知れないけれど、
変わらない意味の大切さに気づくのもまた一つ。
最後に個人的編集後記。
エビデンスにアジェンダ、パンデミックにクラスター。いつから、ニューノーマルは唯一無二の日本語表現を放棄してしまったのだ?と言う一点だけは解せないし、なにより分からないのだ。(単語の意味が。いつもありがとうGoogle先生)
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