バンザーイ♪の涙と未来
今日は天皇誕生日。
バンザイというと戦時中「天皇陛下バンザーイ」と命を散らしていかれた方々の悲しい記憶を思い出す方もいらっしゃるかもしれません。
実は、
私の祖父は、東南アジアの陸戦で戦死しました。
お人好しバカやろー!
陸上戦では、先陣を切り撃たれて、心配して声をかけてくれた上官に「自分は大丈夫だから」と仲間を優先して気丈にしていたようです。
なので皆、ことさら心配してなかったようです。
ところが
その晩、医療チームから訃報が届き、驚いた
という当時の上官からの手紙が
83歳で大往生した祖母の遺品を整理していた時、見つかりました。
亡き祖父の若い軍服姿の写真が飾られているお仏壇の引き出したから、その手紙は出て来ました。
大切にいつまでも保存していたのでしょう。
当時の上官は、達筆なペン書きで、祖母に無念を伝えていました。
戦後、消息不明の期間が長く、探し回った末の結果だったようです。
その頃、唯一の娘もまだ3歳位で亡くし、本当に辛い時期を乗り越えて生きてきた祖母の姿を
その時初めて知りました。
涙が止まりませんでした。
その時の私は「爺ちゃん、人のこと心配してる場合じゃないよ!自分の命、助けようよ!
死んじゃったお陰で、未亡人になって子育てした祖母や父がどれだけ苦労したと思ってるの!バカやろー😭」と泣きました。
今でも思い出すと涙が出ます。
人を優先して、気づいたら自分が死んでる
家族にとっては、バカやろー!です。
明治女祖母の教え
生き残った祖母は、
自ら命を絶つことを止めて、立派に、父を育ててくれました。
お陰様で私も生まれることができました。
本当に、感謝しています。
おばあちゃん、よく頑張りました。諦めずに生きててくれて、父を育ててくれて、本当にありがとう。
そんな祖母にとって、私は、
初孫としてだけでなく、おそらく亡き娘の代わりとしても、特別に可愛がってくれたのでしょう。
最期まで特別な絆がありました。
決して人の悪口を言わない、いつもニコニコありがとうを忘れない、ホメホメ上手な祖母でした。
死にたい程辛い人生を乗り越えて、
家族で誰よりも先に、農協のツアーでハワイに行き、
お花や三味線を習い、時には「蘭の栽培で儲けた」とニンマリ。行きたい所へは、どこからかアッシー君を捕まえてきて車で送らせ、ニッコリ。
そんな天晴れ素敵な祖母が大好きでした。
祖母の教えは
「辛い時ほど笑顔で」「人生楽しもう」
言われたわけではなく、背中で教えられた感じです。
笑顔の今ココ
そんなホメホメ祖母に育てられた私は、小さい時から爺婆が大好き💕
彼らに、祖母が見せてくれていたような幸せな笑顔で、いつまでも元気でいて欲しいと思います。
そして、あまりに近過ぎて聴きそびれた
祖母の生涯から滲み出る言葉や教え、本当に勿体ないことをした、と後悔先に立たず。
なので、これからを生きる人生の先輩方には、もっともっと、自分を語り、表現できる場を持って頂きたいと思っています。
人生の最後まで、自分でトイレに行ける体と、若い世代と楽しく会話できる環境。
それを可能にするための方法提案の一つが、バンザイ体操とタロットカードリーディングのメソッドなんです。
何歳になっても、笑顔溢れる人生でいて欲しい。
私もあなたも。
そんな気持ちです。
実際、
バンザイ🙌と体を伸ばすだけですでに、心と体が軽くなります。
将来の介護予防だけでなく、今この瞬間の幸せ作りに繋がります。
なので、
バンザーイ!
は、かつての戦争時代の、命懸けの万歳ではないんです。
自分が生かされている今ここ、この瞬間に生かされていることに感謝し、未来の夢の予祝をする。
自分達のための、バンザイなんです。
そんな気持ちで、
今日もバンザーイ❣️😃🙌🌸