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一生ボロアパートでよかった㉑

あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。

 父を尾行した結果、私は父の事をこれっぽっちも理解することはできませんでした。それどころか、父が何故あんな家のためにあんな惨めに働いているのか、謎は深まるばかりでした。私や母のように、あの白い家に舐めてかじりついて利用するために住み続けている訳ではないことだけは確信しました。なにか執念のようなものがあるのかもしれないと、そうも思いました。

 父の尾行では本来の目的を果たせないどころか、私自身嫌な思いをたくさんしました。改札に堰き止められて家に帰れなくなったり、私に無関心な赤の他人に舌打ちされたり、無言の圧力で追い払われたり。私にはこの世に居場所がないんだと思いました。でも桜の下でおにぎりを食べたことや、他の家の良し悪しを見て家々評論家ごっこをしたのはすさんだ私の心を宥める効果があったように思います。あと、あの白うさぎのいる素敵な白い家のお母さんが、私に挨拶してくれたのが嬉しかったです。挨拶し返さなかった事を今でも後悔しているくらいに、本当に嬉しかったんです。あのお母さんは、私をいないかのように無視したりせず、馬鹿にもせず、ただ笑顔で挨拶してくれたんです。私を、見つけてくれたんです。

 父を尾行して良かったことはそれだけではありません。父の尾行を通して、父の事を少し見直しました。だって、あんな惨めな思いをしながらも仕事にちゃんと行っているんですもん。私も私でとても不遇だと思っていましたけど、父もずいぶんと不遇だったではありませんか。しかも「タイさん」なんて意味の分からないあだ名まで付けられて、自分より一回りも二回りも年下の人間に馬鹿にされていましたから。父の名前は、金井正造かないしょうぞうなんですよ。なんで「タイさん」なんて呼ばれているのか全く不思議でした。

 まぁ、そういうわけで、父の尾行で父の惨めな姿を見たわけですよ。それで私、改札を通る父の背中を見届けた時、こんな父でも改札を通れるんだって感心したんです。嫌な娘ですよね。それで、私もあの日一度は改札に止められましたけど、父の背中を追うようにしたら改札を通ることができましたから、私も惨めでもこれでいいかと思えたんです。それに何より、あの日の朝、靴を履けたっていうのが自信になりました。そう、あの汚い玄関に不自然に揃えて置かれていた靴を、です。

 そう、なんです。だから、学校に行こうと思えたんですよね。

 次の日、始業式があるから緊張していたのか、自然と朝の5時くらいに目が覚めました。前日のように布団の中で何もせず目を閉じてじっと時間が過ぎるのを待とうかとも一瞬思いました。でも、ふと前日の父の姿が目に浮かんでやめました。そうだ、惨めでもいい。そう思って、私は布団から抜け出ました。それで、制服に着替えようとしました。これはもう、覚悟みたいなものでした。制服を着たら、もう学校へ行くしかないじゃないですか。

 でも制服に向き合ってみると、皺だらけになってるじゃありませんか。不登校初日に皺だらけになれば良いと思って布団に潜り込んだ事を思い出しました。過去の自分を腹立たしく思いました。こんな皺だらけの制服では再出発に相応しくない。私は制服にアイロンをかけなければならないと思いました。それで、リビングの掃除機と同じクローゼットにアイロンが入っているのを思い出しました。

 リビングに降りてガサガサとゴミを掻き分け、目標のクローゼットに辿り着きました。これがまた苦痛でした。ゴミを掻き分けている間、白うさぎのいる素敵な家の事を思い出して、やっぱり自分の家は酷いものだと思いました。この世にはやっぱりアタリとハズレがあるなぁとしみじみ思いました。

 でもクローゼットを開けてアイロンを見つけると、私の視界が明るくなった気がしました。さらに久しぶりに掃除機と出会う事ができました。そう、この掃除機はハナがいなくなってからほとんど使っていませんでした。走馬灯のようにハナと一緒にいた記憶が頭の中に蘇りました。私はクローゼットの前で座り込み、掃除機の首を撫でました。ハナと久しぶりに会えたような気がしました。

 戻らなきゃ。自分をとり戻さなきゃ。私は掃除機を撫でながらそう思いました。私はアイロンと掃除機を両手に持って、自分の部屋に戻りました。ゴミが一層喧しくガサガサとなりました。私はその時、武装した兵士のようだったと思います。闘いに行くという決心も、背中に背負っていました。

 自分の部屋に戻ると、布団を下敷きにして制服にアイロンをかけました。惨めでも良いと思いつつ、まだ私の中に残る歪んだ矮小なプライドが制服を皺なく立派に仕立てました。ちょっとパリパリになった制服は、私の武装服となりました。

 見ててね、ハナ。

 私は部屋に連れ込んだ掃除機の首をまた一撫でして、そう思いました。


つづく


↓①〜⑩話を簡潔にまとめました☺️

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