今、過去の自分が決断した一番先にいるということ
後悔。誰でも1度はしたことがあると思う。
未来の選択をするとき、幸せになるために選択をする。でもそこから時がたって後悔をした時、その気持ちをどう捉えたらいいだろう。
答えを知ってしまった自分
わたしは後悔をしたとき、自分が過去に下した決断の一番先にいると捉えてみる。過去のわたしと、今のわたしを線で結ぶ。
今のわたしは、過去の自分が下した決断の答えを知ってる。答えを知った今だからこそ、間違いに気づく。それが後悔。ちょうどテスト後の答え合わせをした状態。
でも過去のわたしは、正解は分からないし、決断が正解だと思ってそう決めたはず。別に決断なんて大袈裟なことじゃなくて、何となくずっとそのままきてしまったと言うのも同じ。それは現状を変えないという選択をし続けてきたと言うこと。
答えを知ってしまった今のわたしにとって、過去のわたしが正解だった場合以外は、かなり気分が悪いものだ。
でも答えをさかのぼって変えることはできない。再テストで合格なんてこともない。
過去側から今を見る
過去の自分と今の自分を線で結んだら、写真でも見返しながら、過去の自分になって、今を見てみる。過去のわたしは、今のわたしになんていうかな?と。
すると間違ったことも失ったこともあるけど、得たものもたくさんあったことに気づく。そして、今得ているものが、過去違う決断をしたことによって無いかもしれないことに気づく。それが怖く感じたとき、後悔はしても、全部が間違いではなかったのかなと思える。
みんな答えを知ってしまうと「ああしてれば、こうしてれば」ってなるけど、すべてにおいて100点を取ることって難しいよね。テストで全教科100点取れることって、なかなかない。
今のわたしが過去のわたしを責めても、過去のわたしは、「よく頑張ってるよ、ありがとう」って言ってくれることもある。
逆に「何やってんだよ」って言われると、それは方向転換のしどきだなと思う。
後悔はどのタイミングで過去を見ているかということ
でも人生の決断においては、もう少し待ってから過去をみると、それが正解に変わるかもしれないと言うことがある。
それくらい、後悔という気持ちは、時間と状況によってぶれると思う。誤解を恐れず言えば、運によってぶれる。それを全部、自分のせいにしてしまうのはしんどいし、無駄な時間かも。今、答えと間違いとをずっと見比べていても、間違いの事実が突き刺さるだけだ。出来ることは、決断し直すことか、答え合わせの時期を後ろにずらすこと(同じ事をずっと頑張り続けるのであれば)
それでも、間違いから抜け出せない場合とか、正解になりそうなのに直前で答えを書き換えたりすることもある。多分他人が絡めば絡むほど、複雑になってそうなる気がする。そもそも、後悔すること自体が、他人の一言からということもある。
だからたまには一人になって、過去の自分と今の自分を線で結ぶ。自分が本当にどうしたいかって、自分でも分かっていないことが多いから。
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