糧は毒、毒は誰かの糧に
言葉の毒は一度摂取してしまえば、どれだけ時が経とうとも分解されることはない。なんなら、時が経てば経つほどより強力なものへと姿を変える。地元のあいつが怒りの表情で言う僻みも、元カノが別れ際に見せた涙も、兄が放った呪いの言葉も全て私の内蔵に蓄えられている。しかし、それらは私自身を形作るものであり、なんなら私のアイデンティティだと言っても過言では無い。つまり、それらの毒を敵にするということは私自身を敵にすることと同じことになる。
フグ毒はフグが生まれ持ったものではなく、微量な毒を持つプランクトンを食べ続けることで体に蓄積させていくものだという。人間とどこか似ているもんだ。どうか、将来私と同じ道を歩んでくれる人が、この体を共有してくれる人が、この私の毒に苦しむことがないように、もがき続けていきたい。私のこの苦しみは、そのために有り続けている。
そのうちこんな毒も熟成して、発酵でもされて高品質なアルコールにでもなってくれれば最高だなあと思う。苦しみも時が経てばやがて芳醇な香りと味を生み出すのだという体験を、誰かと共有したい。
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