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蝉と共に鳴く

    私はなんて不幸な人間だろう。誰しもが当然思うことをさぞ自分だけが思っているかのように考えていた時刻、ようやくアスファルトの熱が冷めて心地よい風が体の傍を通りはじめた。前を見ると一本道にまるでイルミネーションのように街灯が続いている。本来なら昼行性である蝉たちがその光の下に集い、歌い、踊り狂っていた。一次会から二次会へと酒を飲み歩きながらさまよっていた20歳過ぎの私にどこか似ている。

    あの時間が楽しかったかと訊かれると凄く楽しかった印象がある。けれどよくよく考えてみると、その大きなエネルギーの発散は未来への恐怖によるものだったり、孤独が私の脳を支配することを恐れて楽しいフリをしていただけのようにも感じられる。この時間帯にクラブハウスで音楽に乗っている人たちも、いわゆるジェットコースターの勢いのようなものを感じているピーク時であり、みな同様これから登り坂が待っている。みんなは幸せなのに、なんで私はこんなに不幸なんだろうと決めつけることは、いわゆるただの自傷行為と同じであったことにようやく気づく。

    海がある限り、この世には登り坂も下り坂も等しくあり続ける。あいつは大人で私はガキで、あいつは上手くいってて私は全然ダメで、あいつは幸せでこいつは不幸で、人生はそんなシンプルなものではないと思う。シンプルに言えることがあるとしたら、どんなやつにも不安でしょうがない時期があって、そんな時は少し立ち止まってなにかに寄りかかったり、別の道を選んで進行方向を変えているだけだろう。実際にそうする方が自分に優しくできていると感じる。

    人生に目的地は無いけれど、強いて言うならばたどり着いた場所が目的地になるのであろう。みんなしんどい時期がある。そんな時は一日だけ蝉になってみればいい。かつての恋人が24時間コインランドリーの洗濯物のように頭の中で回り続ける日もあるだろう。だが、時折蝉になっていれば、気づけばあの人も貴方の思い出の中の一人になっている。眠れない夜は蝉と一緒に鳴こう。夜が明けるまで。

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