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アラフォーで人文系大学院進学する話
アラフォー女が大学院修士課程に進学することになった。合格通知を手にした現在が37なので、進学時には38という泣く子も黙るいい歳である。
現職内容とは全く関係がない。しかも人文系という、世間で揶揄されるところの地獄への特急券である。でもどうしても私は乗車してみたかったのである。
なぜストレートで進学しなかったのか
現職と関係ないとはいえ、学部自体にはまぁまぁしっかりと勉強していた(つもり)。地方とはいえ学術的に充実した国公立で学ばせていただいたことは本当に環境に恵まれていた。何より尊敬する恩師に出会えた。
持ち前の特性を発揮して興味のない科目成績は惨憺たるものであったが、自主的に外に学びを求めてみたりコンペに出して通過してみたりと、全く手応えがなかったわけではなかったし、卒業後は進学するか界隈で食っていくのだろうなと漠然と考えていた。
ストレートで進学「できなかった」理由は大きく2点ある。
家庭は決して困窮こそしていなかったが、年齢の近い三姉妹で、さらには私学女子大の姉と妹を抱え、彼女達が留年・留学等とんでも贅沢アクシデントを連発した結果、同時に3人分の学費を払うほどの余裕がないことは10代の私でも想像に容易かった。実際、両親から私が国立に進学したことは本当に助かったと直接言われたこともあったので、とても無理を言える空気ではなかった。
奨学金を借りればよかったのでは?という意見もあるだろうが、減免制度や無利子を利用できるほど家計は困窮していたわけではなく、何より両親祖父母が奨学金利用に大反対していた。
父は非常に貧しいド田舎から成り上がるために奨学金を借りていたのだが、その返済に非常に苦労していた。家計の苦しさに結婚当初の母が円形脱毛症が3つできたと聞いていた。ましてや女はいつまで働けるかわからないので借りるべきではない、嫁の貰い手が!ということを常々言われていると、選択肢として入らなかった。
もう1つは卒業後の出口の少なさである。私の希望する専攻は、現在でこそ倍増したが15年前は取り扱う大学自体が非常に少なかった。研究員として所属できるような公的機関も少なく、受け皿に乏しい中で進学するには今より更にリスキーであった。ちなみに昔も今も、現場は非常に薄給な業界である。
私の希望した専攻はその特性ゆえ、いわゆる『実家極太』の子女が多く、金銭的不安のない方が大多数であった。高校時からバイトで月謝や公演費を工面していたのは私くらいであろう。
そのため生活不安なく研究や学びに専念できる。バイトをして学費やフィールドワークにかかる資金を…と考えると、とてもじゃないが彼女達と対等に張り合える自信はなかった。
就活時はリーマンショックによる世界経済危機とダダ被りだったため、経済的な不安も非常に大きかった。
ストレートで進学「しなかった」理由はシンプルで、
上記2点を踏まえて自信と覚悟が持てなかった
人文修士という就職に難を持つものよりも、新卒ブランドを最大限活用できるうちに就職する方に魅力を感じた
迷惑ばかりかけてきた両親をとにかく安心させたかった
からである。
これは何度でも言いたいが、
【勉強するということは至極の贅沢である】
人は手に入らなかったものにこそ執着する
運よくまぁまぁの知名度の企業に潜り込むことに成功したが、元来集団行動能力が壊滅的であったこともあり悲惨なものであった。典型的な女性社会でしっかり虐めにも遭い、志高く就職したわけでもないので仕事への熱意は皆無。同僚とコミュニケーションをすることもなく誰よりも先に終業し、かろうじて続けていた稽古場に向かっていた。(だから虐められるんだよって今ならわかる)
人文系研究は比較的個人プレーなこともあり、大学での学びはとにかく楽しかった。逃げたくて戻りたくて、大学時の恩師に「やっぱり進学したいよぉぉぉ」と泣きついて研究計画書を雑に出したりした。就職したことで良くも悪くも学費の目処もたっていた。
そんな中で母の闘病がいよいよ深刻化し、最愛の祖父が他界したり私自身が病気になったりと、いよいよ好きなことばっかしてる場合ではなくなった。この頃肉体的・精神的な限界を感じ、友人の誘いで転職した。
この転職先は非常に幸運で、5年で辞めたが専攻に比較的近い業種であったので今でも大きな財産となっている。精神的な安寧を求めて大学講座に通ったり、専攻ドンピシャの就職チャンスもあり、かなり人生ボーナスステージ感があったのだが、母を看取ったり婚約破棄をぶちかましたりで、なんやかんやでみすみすチャンスを失った。気がついた時には無敵スタータイム終了していた。
ボーナスステージの終了とともに少しやけになって、仕事辞めたり全然関係ない資格とったりフリーターになってみたりした。結婚もした。
生活が安定し、「もしやこれはボーナスステージ2ndでは…!?」となった矢先に親父が倒れた。この親父の看護が本当に地獄だった。
最期を見送った私はまぁまぁ抜け殻になり、自分のやりたいこととか結構どうでも良くなっていた。それよりも両親がいなくなり頼るものがない中でどう新しい家族を築こうか、どう生きていこうかと必死だった。
結局子供はできず、夫婦2人さてどう生きていこうかと考える中で、「進学」という2文字が頭をかすめた。
あれだけ何度も諦めたはずなのに、まだ執着していた。
出口戦略とは
2年ほど社畜を経て、まぁまぁ勉強して無事に合格した。(これはまた別途書く。)
色々な理由はあれど、最終的に母校より偏差値的にも高い大学院に決まった。いわゆる学歴ロンダってやつ。
今回修士に進むわけだが、アカデミアになりたいかと言われるとピンとこない。博士に行く覚悟は現時点で持っていない。近しい場所で働き、大学教員という職業をある程度知った自分はなりたい(なれる)とも思わない。
あとは冷静に、少子化のいま大学校数は正直多すぎるとも思う。
では関連企業で就職を…というのもピンとこない。私はそこが激務・薄給・生活不規則ということを充分に知っている。長い社会人経験で、業種を変えるだけで倍以上の待遇を得られることも知ってしまった。
一番行きたかった職場の最終面接で「子育てしながら働けますか?」と聞いた瞬間、和やかに会話していた先方の目から光がなくなり室内が静まり返ったのを忘れられない。確か10年前とかだけど、今ならこの対応は大問題だろう。
最愛の両親を早々に亡くした私にとって、人生で一番大切なものは残された家族である。ファミリー・コンプレックスと言われてもいい。とにかく私は家族を守りたいし、できる限り尽くしたい。界隈に足を踏み入れることは、私の理想の家族像を保てないことを理解できる程度には大人になりすぎた。
出口戦略も持たずに進学するのか、と言われると耳が痛い。勉強したいだけなら修士課程でなく公開講座にでも日参すればいいのではと自分でも思う。
しかし、出口を決めずに進学してはいけないのだろうか。
贅沢なメガネを手に入れるための旅
AIやらアルゴリズムやらが発達し、今の私の目は見たいものだけを都合よく見れるようになった。
3秒もあればスマホで世界の裏側を知ることができる。ブラウザの翻訳変換で、語学力すら不要である。目を背けたいものは、勝手にシャットアウトしてくれる。
読むだけでも多大な時間を要する複雑で膨大な文章も、AIが平易に簡潔にまとめてくれる。
個人が1週間で得られる知識の「量」だけで言えば、間違いなく15年前の数十倍は得ることができる。
しかしそれらは圧縮され、人でもない誰か(AI)の解釈を間に挟み、さらにはアルゴリズムというフィルターを通した成果物である。
残念ながらソースのリンクが切れているが、平成28年度の市立京都芸術大学の式辞で、当時の学長鷲田氏が下記の重要性を述べていた。
スマホで何でも拡大できてしまう時代、物の大きさを正しいサイズで知ること
スマホとAIを手に入れた今、裸眼でモノの縮度をあるがままに見ることは難しい。残念ながら私の眼球は、この便利なツールにしっかり対応してしまった。
眼球を入れ替えることはできないが、メガネを新調することはできる。ボヤけた古いメガネでは見えなかったものが、新しいメガネを装着することで見えるかもしれない。
この進学にかかる学費はメガネ代であり、研究は店舗への移動手段である。
メガネは昔から憧れていたあのブランドだ。SCや大量量販店では買えない、オーダーメイドのメガネだ。
手に入れた瞬間「なんだ、こんなものか」となるかもしれない。見たかったものは見えないかもしれないし、前なら見えていたものが見えなくなるかもしれない。でも装着してみないと判断できない。
長く憧れたブランドのアイテムを手に入れることで満たされる思いと例えれば、誰しも共感できるのではないか。
今回の進学はその類のものであると私は現時点で解釈している。
欲しくて欲しくて、どうしても欲しくて
タイミングが悪くて
買う勇気も無くて
決心しても運悪く在庫切れで
ようやく買えた
今はただ、ようやく手に入れた感慨を噛み締めたい。出口は決まっていないが、目的は決まっているのできっちりやり抜くだけである。
幸いにも、15年の社会人生活で食うに困らぬスキルを身につけることができた。食い扶持となる資格もある。雨風凌いで生きていけるという自信がある。
これはストレートアカデミア達と比較した時の強みである。ないない尽くしで自己否定していた私が誇れるものだ。
自分の整理のために記したが、もし同様に迷っている社会人がいればこういう動機もあるよということをお伝えしたい。