今月読んだ本 (21)
2024年12月
今月も、kindleで読んだ英語の本から。今月はMichael Connellyの"THE WAITING"を読みました。ルネ・バラードとハリー・ボッシュのシリーズ6冊目です。ハリー・ボッシュとの付き合いもずいぶん長くなりました。フィクションではありますが、ハリーは1950年生まれで、私と同学年です。娼婦の私生児として生まれ、ベトナム戦争に従軍し、無事帰還してからロサンゼルス市警の刑事になりましたが、目前の事件の解決に奔走しながらも、母親殺しの犯人や本当の父親を探すことを止めませんでした。それらは、ベトナム戦争中の迷路のように狭いトンネルでの戦闘の悪夢に悩まされながらの行動でしたから、初期のボッシュ・シリーズは、まるでドストエフスキーの小説を読んでいるような気がしたものです。ボッシュのシリーズは20作続きましたが、母親の死の真相や真の父親が判明してからは、ボッシュの不安神経症的な精神もようやく落ち着いたのか、このシリーズはエンタテインメントの様相を深めることになります。ハリー・ボッシュのシリーズも20作を数えることになりました。
そんなボッシュも年をとります。ロサンゼルス市警を退職して、しばらく嘱託の刑事になりますが、やがて退職。そんな時に現れたのがルネ・バラードという女性刑事でした。彼女に若い頃の自分と似たものを感じたボッシュは、以後、彼女のメンターのような存在になります。ちょうど、映画「寅さん」シリーズの最後の数作が、吉岡秀隆が演じる満男がメインになって、寅さんの渥美清が脇に回ったように、ボッシュはバラードの脇に回ることになったのが、このバラードとボッシュのシリーズです。というわけで、今回も昔なじみの友人に会うような気持ちで読み始めたわけですが、さすがにマイケル・コナリー。もう名匠の域ですね。実に面白い作品でした。
前作でも触れられていましたが、ボッシュは現在、ガンの治療中です。時々、腹違いの弟であるリンカーン弁護士を手伝ったりしながら生活していますが、今回も、バラードの危機に際して、なかなかの活躍をします。それよりもうれしいのは、ボッシュの一人娘のマディが、まだ正式任用ではないけれど、バラードの下で働き始めて大きな手柄をあげたこと。子供の頃から成長を見守ってきた彼女が立派な仕事をするのを見る、親戚のおじさんのような気持ちになりました。このシリーズ、まだまだ末永く続いてほしいものです。そうそう、このシリーズはロサンゼルスを舞台にしていますね。そう、大谷選手。さっそく、この小説に、大谷の背番号をつけたドジャースのウエアを着た人物が登場しました。
ひとつ、疑問点を書いておくと、コナリーの文章の魅力は、実際の警察の捜査方法にのっとって、詳細かつ的確に彼らの行動を記述することにあるわけですが、今回は腑に落ちない点がありました。コナリーの小説では、ひとつではなく複数の事件が同時並行で進むことが多い。今回は、そのひとつの事件として、バラードがサーフィン中に車上荒らしに会って、身分証や警察バッジ、スマホ、キャッシュカードなどをとられて、その事を上司に報告しないで独力で取り返すことにし、その事が大きな事件の解決につながるということがある。それはいいとして、彼女がアップルストアで新しいスマホを買って、あちこちに連絡するという話がある。さて、身分証なしに新らしいスマホを契約できるのだろうかというのが私の疑問です。かつて、そんな詐欺の話が日本でありましたよね。
もう、お約束のようになってしまいましたが、今月も新書本を3冊読みました。まずは、仁藤敦史「加耶/任那」。私は歴史一般が好きですが、特に、日本と東アジア諸国との交流史に興味があって、古代朝鮮半島諸国と倭国との交流についても、専門学者のものから歴史愛好家のものまで、今までに何冊も読んできました。この本は、一般向けに書かれた新書本としては、かなり専門的です。普通、古代朝鮮というと、高句麗、百済、新羅の三国の話がほとんどの中で、いわゆる任那の歴史に対象を絞っている事も、類書にない特徴だと思いました。有名観光地には行き飽きたので、他人の行かない所に行こうという旅行者のような人向きの本です。勉強熱心な古代史ファン向け。
任那の研究において、日韓の歴史家間で最も論争の的になっているのは、「日本書紀」に書かれている「任那日本府」というものが、果たして存在したのかどうかということですが、最近ではその存在は否定されているようです。仁藤さんは、古代のこの地域に倭の領土や租界のようなものがあったのではなく、倭系の任那人や倭から出張してきた武人や官僚のような人々の集団を指す言葉だろうと書いておられて、私も納得しました。いずれにしても、この地域は古代から日本(倭)と深い物的人的交流を持っていた事は間違いありません。なお、「日本書紀」を実際に書いたのは、百済から日本に渡来や帰化をした百済人たちで、新羅のことを否定的に描いているのはそのせいだし、日本国(倭国)におもねるような記述があるという指摘にも、なるほどと思いました。とにかく、この分野の研究史が詳しく知れたのは、歴史好きとしてもとても有益でした。学問における伝統の重みを感じさせてくれた読書でした。一般向けにしてはちょっと堅すぎたという気もしますが。
次に読んだのは、橋爪大三郎+峯村健司「あぶない中国共産党」でした。考えてみると、橋爪さんの本は対談しか読んだことがありませんね。(いや、「中国vs. アメリカ」という単著の新書があった。)特に、大澤真幸さんとの対談本は、見つければ買って読むことにしています。橋爪さんは宗教社会学を専門とする社会学者ですが、とにかく、領域を越えて、博覧強記で、話がとても面白い。ちょっと面白すぎると思うこともあります。今回の対談の相手は、元朝日新聞北京特派員で、現在では、中国通の国際派ジャーナリストとして活躍している峯村さんです。橋爪さんが中国に興味を持って中国語を習い始めたのは40歳くらいだと言うことですが、確か、奥さんが中国人だったはずです。中国に関する知識も半端ではない。でも、橋爪さんの中国に対する視線はとても厳しいものがあります。上記の「中国vs.アメリカ」でもそうでした。たぶん、中国の歴史や文化、さらには中国人の友人・知人らへの深い愛のゆえに、現在の中国共産党の政権に我慢できないのだろうと私は理解しています。
中国共産党への厳しい視線といいう点では、長年、特派員として中国で暮らして、現地に多くの知友を持つ峯村さんも同様でした。中国共産党、特に、現在の習近平政権への批判はとても強い。二人の中国通の対談は、細部においてはとても面白かったんですが、全体としては危惧をおぼえました。アメリカは、来年、大統領に復帰するトランプだけではなく、現バイデン大統領の民主党政権もまた、中国に対しては厳しい政策をとっていますが、橋爪さんと峯村さんの視点は、ほとんどアメリカ政府と同じか、それ以上に厳しいものだという印象を受けました。簡単に言うと、「中国を封じ込めよ!」と主張しているのです。ひょっとすると、両人の認識は正しいのかもしれません。でも、私は危惧します。アメリカの尻馬に乗って中国敵視政策をとった日本が、この先、アメリカに梯子をはずされることはないのかを心配するからです。国際政治というのは非情なものですからね。私としては、いかに中国共産党が嫌いでも(私も嫌いです。)、少なくとも経済においては、アメリカと中国の間で微妙なバランスをとりながら進むのが、中国と長い交流のあるアジアの国として、これからの日本のとるべき道ではないのかと思っています。それもまた、危険な道ではあるのでしょうが。
最後に読んだ新書本は、原武史さんの「象徴天皇の実像」でした。鉄道博士として有名な原先生の本業は現代政治思想史研究、特に皇室の研究です。この本は、戦後に宮内府長官を務めた田島道治さんの残した「昭和天皇拝謁記」を読み解きながら、戦後まもない時期の昭和天皇の実像に迫ろうとしたものです。とても興味深い本でした。読後の感想を簡単に言えば、昭和天皇は、敗戦後もほとんど戦前戦中と変わらなかったんだなという事でした。半神として育てられたんだから、たとえ人間宣言をしても、簡単には民主主義者にはなれない。天皇は天皇なんだから。それにしても、どうして敗戦後に退位という道をとらなかったんだろうという疑問は、この本を読んでも解かれることはありませんでした。まさか、マッカーサーがそう命じたからではないでしょう。
私自身は、子供の頃に両親が「皇室アルバム」というテレビ番組をずっと見ていたこともあって、皇室には親しみをもって育ってきましたし、中学の修学旅行の時に、相撲見物に車で出かける姿を目撃した皇居前広場と、社会人になってからの、友人との東京旅行が、偶然、天皇誕生日当日だった事から、皇居での一般参賀に参加した時の二回、生身の昭和天皇を目撃しています。だから、昭和天皇にはとても親近感を持っているのですが、それでも、昭和天皇は戦争責任をとって退位すべきだったと今でも思っています。そう書いてはいませんが、たぶん、原さんも同じように考えているんじゃないでしょうか。原さんは昭和天皇に批判的だと感じました。原さんは、この本の最後の方にこんな大胆な事を書いています。
次に読んだのは文庫本。小田雅久仁「残月記」でした。名前も知らない著者でしたが、この作品が「吉川英治文学新人賞」と「日本SF大賞」の史上初のW授賞という宣伝文句に惹かれて読む事にしました。特に、「日本SF大賞」。最近はご無沙汰していると言っても、かつてのSF少年である私には魅力的でした。もっとも、この賞はSF作家だけを対象にした賞ではありませんから、W受賞は異例でも不思議でもありません。かつては、井上ひさし「吉里吉里人」や宮地みゆき「蒲生邸事件」なども、この賞を受賞しています。私の大好きな、森見登美彦さんも「ペンギン・ハイウエイ」で授賞しています。
「闇の左手」や「ゲド戦記」で有名な作家、アーシュラ・K・ル=グウインは、「小説には良い小説と悪い小説の区別があるだけで、ジャンルは関係ない。」と生前に言っていましたが、安部公房や筒井康隆の例を出すまでもなく、日本でもSFと一般小説の区別はなくなってきました。平野啓一郎さんの「本心」などは、昔ならSFと呼ばれていたでしょう。と、ここまでは前説。「残月記」のことです。この作品は、始めから「そして月がふりかえる」「月景石」「残月記」の順で三つの作品で構成されています。それぞれ長さも作風も異なります。ホップ・ステップ・ジャンプといったところです。でも、舞台は未来社会ですが、ローマ時代の剣闘士の物語としても、江戸時代の剣豪小説としても通用しそうな「残月記」が完成された作品で、他の二作はそれに至る習作だというのではありません。三作とも傑作だと私は思いました。それどころか、もっとも短い「そして月がふりかえる」が私の一押しの作品です。
それにしても、小田さんの才能には脱帽しました。なによりも文章が素晴らしい。奔放極まる想像力を詩的で喚起力のある美しい文章が支えています。この人は、これからどんな作品を紡ぎ出すのか、とても楽しみです。でもね、これだけ密度の濃い文章で「残月記」くらい長い小説を書かれると、年齢のせいもあって、読むのに疲れるんですよね。私が「そして月がふりかえる」を押す理由のひとつもそこにあります。短いから。
今月最後に読んだのは、北村薫さんの「中野のお父さんの快刀乱麻」でした。壮麗なヴェルサイユ宮殿から村里を再現したプチ・トリアノンへ居を移したマリー・アントワネットの気分といいうのでしょうか、「残月記」の世界から北村さんの描くホノボノした世界にやってくると、本当にホッとします。私は若い頃からの丸谷才一さんの熱心な読者で、丸谷さんの本は、大半が文庫本なのは申し訳ありませんが、エッセーや小説など100冊近くも書棚にあります。丸谷さんが亡くなってからは、もう新作が読めないのが淋しい限りですが、そんな寂しさを紛らわせてくれるのが、北村さんのエッセーや小説でした。北村さんは元々はミステリ作家ですが、元国語教師らしく、日本文学を中心とする該博な知識の持ち主で、素晴らしいエッセーの書き手でもあります。実は、この「中野の・・」の中にも、丸谷さんが登場するんですが、なにやら最近風貌まで似てきた北村さんを、私は勝手に丸谷さんの身代わりだと思っています。
丸谷さんが、民俗学者・国文学者にして歌人でもあった折口信夫を崇拝していて、本屋の店頭で「折口学入門」という本を見つけて、喜び勇んで手に取ったら、「哲学入門」だったという話は、丸谷ファンならみな知っています。北村薫さんには、「慶應本科と折口信夫 いとま申して2」という著書があります。なんと、北村さんの御父君は折口信夫の教え子だったんですね。そんなわけで、ますます、北村さんと丸谷さんがダブって見えてきたというわけです。
私が愛してやまない、「空飛ぶ馬」を始めとする、「円紫さんと私シリーズ」以来、北村さんのミステリは人が死なないことや、文芸や演芸に関する広範な知識にもとづいた見事な謎解きで知られていましたが、配役を変えながら、(中野のお父さんは明らかに北村さんご自身ですね。)同様の構成で我々熱心な読者を楽しませてくれているのが、この「中野のお父さん」シリーズだというわけです。全然ミステリっぱくないけれど、一応ミステリですから、内容の紹介はできませんので、ここではこの本の目次だけ紹介して、北村薫さんの世界がどんなものか、そこでどんな謎解きが展開されているのか想像してもらいたいと思います。実に楽しい読書でした。まだ北村薫を読んだことがないという人はぜひ。
・大岡昇平の真相告白 ・古今亭志ん生の天衣無縫
・小津安二郎の義理人情 ・瀬戸川猛資の空中庭園
・菊池寛の将棋小説 ・古今亭志ん朝の一期一会
数年前に「しまなみ街道」を旅行したことがあって、その時に、生口島の「平山郁夫美術館」を見学しました。生口島は平山さんの出身地で、この美術館はとても立派な建物でした。その時に土産に買ったのが、平山さんの絵がカラーで印刷された、美しい「般若心経」の小冊子でした。しばらく放置してありましたが、思いついて、今月読む事にしました。「般若心経」を読むのは(読むというのかな?)初めてではありませんが、平山画伯の美しい絵とともに心をこめて読むと、新しい年を清々しい気分で迎えられるのではないかと思います。
今年一年、この「今月読んだ本」をお読みいただいて感謝します。来年もよろしくお願い致します。