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招待状
夜、花火の爆ぜる音だろうか。遠くで響く、あの特有の重みを纏った轟音が胸を撃つ。ベランダで紫煙を喫みながら、誘われるように出てきてしまったな、なんて。
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虫、或いは妖精に誘われるように物語の世界に足を踏み入れてゆく少女。そんな彼女を主人公として描く映画、『パンズ・ラビリンス』を観た。作中の現実世界と物語世界一一ファンタジー世界と言った方が分かりやすいか一一の対比が面白い。
思わず目も背けたくなる、そんなグロテスクでダークなファンタジー世界も、少女が置かれている"現実"に比べれば幾分かマシで且つ明快である。現実が余りに辛いばかりに、空想世界に魅せられてしまったのか、可哀想に。そんな見方は些か早合点と言えよう。
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現実世界へのファンタジーの侵食、これが多感なひとりの少女のみでなく、陰鬱な現実を生きる大人たちにも作用している描写も作中で描かれているのだ。もう一歩踏み込んでいく。
上とは逆に現実世界がファンタジー世界へ侵攻していると考えるのはどうだろう。思い返してみると出来事の立脚点は何れも現実世界である。読んだ本、訪れた場所、周囲の環境。侵攻という表現よりか、"創造している"と言う方が適しているのだろうか。
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どんなフィクションも現実より生まれる。現実より出し私は?現実は如何にして産み落とされる?フィクションより現実が生まれる点も忘れてはならない。二つの世界、明確な区分はどこに。そんなことを考えて。
宗教と深層心理、無意識の領域。現実とフィクションとの癒着。理性との対比、"この世界をのみ生きている"大人らの虚ろな表情。少女は救われたのだろうか、あの暖かい世界に。