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いざヴェニスにて死なむ
兎に角芸術というものは、作品に表現された世界の中に真実の世界があるのであって、これを他にして模写せられた実物があるわけではない。その意味に於ては、芸術はたしかに創造であって、この創造ということは、芸術のスペシアリテとして捨て放すわけには行かないものだ。
トーマス・マン原作でヴィスコンティ監督作品の映画『ヴェニスに死す』を観た。老いた作曲家が偶然目にした美少年に心酔し、苦しみ、悶え、そして死に至るまでの始終。
主人公が放つ痛々しさすら感じるほどの哀愁、稲妻の如き"美"に触れた際の痺れ、そして"生きる"ということの滑稽さと死の輝き。私の胸を打つには十分過ぎる。鑑賞後はどこかうわの空になっていた。
老人と美少年という言わばアンバランスにも映る関係であるからこそ、この"愛"の純真性は担保され、死に向かうと同時に加速するリビドーは人生の肯定になりうる。
水の都ヴェネチアには死の気配が漂っている。どこか薄暗く、荒涼と。そんな中でただひとつ、ただひとりが的皪と光を放つ。その光が主人公の内面を照らす、否、燃やす。燃えきたっかに見える木炭の、その最後の燃え滓に強風が吹き付けるように。
ビョルン・アンドレセンのもはや形而上学的と言っても差し支えない美しさはもとより、やはり主演のダーク・ボガードの演技が光る。心身ともに苦しむ姿、死に瀕しても尚、たったひとつの"生"に縋る姿。
作中の大部分は主人公演じるボガードが映し出される。会話の部分は多くなく、件の美少年とは言葉を交わすことすらない。そんな静かな作り且つ骨太の作品足りうるには、圧倒的な演技力が不可欠であろう。この点、ウィレム・デフォー主演の『永遠の門』を思い出した。
また情景や演技、カメラワークで"魅せる"作風は真なる映画とも言えよう。そして真なる映画は芸術作品と言っても差し支えあるまい。ちょうど少し前まで公開されていた『イニシェリン島の精霊』のように。
マーラーの交響曲第5番を聴きながら。惨憺たる視線の交差を思い出す。ヴェニスで死ぬことが叶うならば、どんなに幸せな人生だろう。