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龍野は容姿がいいねえ!

金曜日、播州は龍野にぶらりと足を運ぶ。乾いた風が路地を吹き抜け、陽の光は地面にくっきりと陰影を刻む。水のざわめきに誘われ、それから町の情緒の源泉を探るように、当てもなく歩く。この日はだしぬけの暖かさで、二〇分もするとシャツの中、肌着の下で汗が滲むのを感じた。

二年前、梅の蕾が開きだした頃合に、祖父母と共にこの辺りを歩いたことがある。そんなわけであるから、夕焼小焼けの赤とんぼ誕生の地、童謡の里であることは知っていた。今となってみれば、童謡というより『男はつらいよ─寅次郎夕焼け小焼け』の印象が強い。

久しぶりに歩き回ってみると、当時の自身と比較すれば多くを目にしてきたからであろうか、この龍野の地に揺蕩う、奥ゆかしい情緒を掬い取ることが出来たような感がある。と同時に、童謡「赤とんぼ」にも流れる、喪失の哀愁も。

時の流れの残酷に、抗うような意志がそこかしこで静かに、沸々と湧き出している。ここには生活があって、それはどこかうわの空で。季節外れな陽気が際立たせたのは何だったのか。外れたのは季節であったのか、時間であったのか。

城跡の広がりで、此方をチラチラと見る少女があった。目が合うと含羞むように笑って、頭を下げてきたものだから、此方も笑顔で返す。それから立ち話を数分。地元の小学生とのこと。

ここ、凄くいい町だね

田舎で何もないですけど

昔の建物とかさ、沢山残ってるじゃない?それって凄いことなんだよ

でも京都の方が沢山あるんじゃ...

向こうは混みすぎてて、ゆっくり味わえないよ

やっぱりここはただの田舎ですよ

大きくなったら分かるよ

阪神方面に職場を持ちながら、この地へと居を移した女性が居る、という話を聞いたことがある。名前も知らぬその人の心持ちが、少しだけ分かる気がする。この土地を思うとき、真っ先に連想されるのは松江 ─わたしの故郷─ であって、これまた同じく、何かに抗う様子のある町だ。言葉にするのは難しいけれど、京都にはそれを感じない。きっと抗う必要がないのだろう。

町に限らない。物事が生まれてから消えゆくまでの、のべつ幕なしの変転に於いて、不変などというものは存在し得ない。それは大前提であるが、徒らに身を任すのではハリアイがないものだ。轟々と流るるも宜しく、はたまた澱んでみるのもやはり宜しい。そうした瞬間の数々が、いまこのときにゆっくりと焼き付いていくのだ。

とけて流れりゃ皆同じ─ か。

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