オーレ。
J・P・トゥーサンの『浴室』を読了。映画を撮りたい、と。そんなことを考え出したら止まらない。モノクロは大前提として無声。台詞は字幕だ。思考の連なりのみを音にするのも面白いか。舞台はベタであるが東京、ヴァカンス先は伊豆であろう一一 自作というのは突拍子もないから、せめて観たい。調べてみると映画化はされているそうな。一体何処で拝めるのやら...
独白と会話と妄想からなる三辺。斜辺に当て嵌るのはやはり独白。明瞭なる偽りなき吐露、これこそが真理であるのか。そんなことをポリポリと連ねなながら、(ああ、此処が私の浴室なのだな)なんて考えて、もう一歩は踏み込めないでいる。
昨夜(一昨日)、久しぶりにコーエン兄弟『バスターのバラード』を観た。この作品には懐かしくなるくらいに須磨(に住んでいたとき)の一部屋の空気が纏わりついていて、心ここに在らず、といったふんわりした気分になる。例えばジム・ジャームッシュの『デッドマン』を観れば、心だけは淡路の1DKに移るのであろう。
そんな"誘い"の引力を持つ作品一一 自らが持たせたのであろうが、彼らは同様に睡眠へも手招く。他の作品よりも、もうひとつ私の内側に映し出されているような、愛すべき映画たち...
(睡眠)