見出し画像

【1/5】夢の向こう

夢の向こうー『何でもないふりして生きているけれど』1/5

 社会人になり、夢の向こう側は平面ではなく立体的なものだと知った。
二十二歳の春、「テレビを作る人になる」という子どもの頃からの夢を叶えた。正確に言うと一番なりたいものはプロ野球選手だったけれど、それが選ばれた一握りの人しかなれない職業だと悟ってからは、一番なりたいものは「テレビを作る人」に変わった。
 
 夢を叶え、制作会社の門をくぐった入社式当日。鍛えぬいた身体で袖を通したスーツは、胸のあたりがパンパンに膨らんでいる。テレビ業界が激務なことは知っていたけれど、小中高大と野球をやってきて体力と精神力には自信があるから、俺にかぎって潰れることはないだろう。バリバリ働いて、「若者のテレビ離れ」なんて言わせない、令和の新しいバラエティ作ってやる。

 そんな思いで迎えた入社式の翌日からは、一切スーツを着ることはなく、旅番組のアシスタントディレクター、いわゆるADとして、会社、テレビ局、編集スタジオ、ロケ先を先輩の後に付いてに駆け回った。とにかく覚えることが多く、その合間にこんなことまで俺がやらなきゃいけないのかという雑務ー例えば先輩が借りたまま貸し出し期限の過ぎた資料を図書館へ返却に行ったり、ディレクターや編集マンの昼メシを調達したりーなどが突如として降りかかってくる。十数年もの間、野球部特有のしきたりやありがたいしごきの中で生き抜いてきた俺は、先輩の後ろを離れることなく走ることができたけれど、入社して一年が経つ頃には、七人いた同期は五人に減っていた。

 入社当時から担当している旅番組の業務は一通り身について、今では一人で、担当回のAD業務を行っている。仕事終わりにはプロデューサーに連れられてテレビ局の人と会食という名の飲み会に行ったり、たまにしかない休日は溜まっていたテレビの録画を消費して、バラエティ番組の企画書を練った。夢見た世界にいる毎日は体力的にはしんどかったけれど、充足感に満ちていた。
 

 転機になったのは、入社して二度目の夏がやってきた頃だ。ついこの前桜の名所へロケに行ったばかりなのに、気付けはセミがうるさく鳴いている。一般的な企業でいうと恐らく部長と呼ばれるポジションであろう社内のプロデューサーに呼び出されて、少し緩んだTシャツの胸元をパタパタとしながら、会議室へ向かう。まさか俺の企画が通った!?入社二年目にしてディレクターデビューできるのか!?なんて、ありえないと分かっていながら、奇跡を期待する胸の鼓動を抑えられない自分がいた。

 結果的にプロデューサーから言い渡されたのは、企画が通ったという吉報ではなく、担当する番組の変更だった。「得意分野を活かして頑張ってほしい」と言うと聞こえは良いかもしれないが、つまるところ、人手不足による人事異動だ。どうやら三つ上の女の先輩が適応障害というのを発症して休職することになったらしく、部署内で若干の配置転換が起きたようだ。

 担当している番組が違うとなかなか社員同士で会う機会がないので、俺はその先輩とはほとんど話をしたことがない。入社したての頃に挨拶と簡単な立ち話をしたことがあったが、細い身体ででっかい荷物を積んだ台車を押していて、体力勝負の業界で勝ち抜くのは大変そうだなと、心のなかで余計なお世話を焼いた記憶がある。そういえばあの先輩も、バラエティ志望だと風の噂で聞いた。とにもかくにも、部署内で担当番組の再編が行われた結果、俺は学生時代の経験を活かせるだろうと、希望ではないスポーツ番組に配属された。希望ではないものの、若手のうちに幅広いジャンルの番組を経験しておくことは、きっと将来自分の番組を作るときに役立つだろう。そう前向きに捉えて、新しい番組へ異動した。
 
 今年の夏は四年に一度のスポーツの祭典があり、各テレビ局は、開会式の数週間前からスポーツ関連の特番を積極的に放送する。俺が担当するのは、そんな数ある事前特番の一つだ。旅番組とスポーツ番組では、番組の作り方はかなり違う。新入社員くらい、というと大げさかもしれないが、体感的にはそのくらい、新しく覚えなければならないことが山積みだった。けれど俺はもう社会人二年目の夏を迎えていて、ADとして一人立ちをしている。スポーツ番組においては新入社員程度の知識と経験値しかないにもかかわらず、二年目の一人立ちしたADとして日々の仕事をこなさなければならなくなった。

 テレビでぼんやりとしか観たことのないスポーツのルールを調べ、試合日程や選手の名前、年齢、所属チームをミスなくテロップにおこし、複雑な権利関係の地雷を潜り抜けながらディレクターが求める映像を集め、スタジオ収録の準備をする。その合間に先輩が借りっぱなしにしている本を図書館へ返却に行ったり、先輩ディレクターや編集マンの昼メシを調達したりする。毎日毎日飛んでくる球に必死に食らいついているけれど、飛んでくる球があまりに多すぎる。家に帰るのは終電かその一本前が当たり前になり、終電を逃してタクシーで帰ることも少なくなかった。


 新しい番組に配属されて一ヶ月が経ち、番組制作の山場であるスタジオ収録が終わる。大荷物と共に会社に帰り、ふぅーっと大きく息をつく。ふと向かいのテーブルの下に養生テープが転がっていることに気付いて、床に膝をつき、テーブルの下へと手を伸ばす。養生テープを手にし、よしっと力を入れて起きあがろうとした。起きあがろうと、した。けれど意思に反して、机の下に手を伸ばした態勢のまま身体が動かない。頭が重い。身体が重い。意識はちゃんとあるのに、立ち上がり方が分からない。立ち上がるための身体の力の入れ方が分からない。近くにあった椅子に手をついて身体を起こそうとするけれど、力が入らない。なんだこれ。
 どうしたものかと考えて、今日は朝から何も食べていなかったことに気が付いた。時計を見ると、時刻は二十一時過ぎ。食事は基本だっていうのに、俺としたことが何やってんだ。どんなに忙しくても食事だけはしっかりとってきたのに。今日は収録で随分気を張っていたんだなと、妙に冷静な頭で考える。何かを、食べなければ。ハイハイをするようになんとか床を這いつくばって移動し、リュックの中から今朝買ったおにぎりを取り出す。そのまま獣のように、丸一日ぶりの固形物を貪った。おにぎりを食ってしばらくしたら自然と立ち上がることができて、そのまま終電まで仕事をした。
 
 それから三日。あれ以来意地でも飯を食うようにしているから、問題なく仕事ができている。あと少し踏ん張れば、完成して納品だ。いける。いけるぞ。

「この選手が代表ユニフォームじゃなくて所属チームの着てプレーしてる写真ある?できれば今日の十九時までに探して」
ディレクターから言われた。なんてことはない業務だ。

「承知しました」
と答え、時計を見る。十九時ってことは、あとどれくらい時間があるんだ?今何時だろうと何の気なしに時計を見ると、長い針が八、短い針が四と五の間を指している。それは分かる。分かるのに、それが何時何分なのかが分からない。なんだこれ。なんだこの感覚。とりあえずメモに「19」と書き、指示された業務内容も続けて書こうとする。が、文字が書けない。ディレクターからの指示ははっきりと聞こえていたし、何を指示されているかも理解している。なのに、それを文字にできない。メモ帳に乗せたペンを一向に動かすことができない。選手、ユニホーム、チーム、代表、十九。頭のなかに言葉は浮かんでいるのに、その言葉が自分の手と接続しない。人生で初めての感覚に、ペンを握ったまま俺はしばらくフリーズしていたらしい。ディレクターに何度か名前を呼ばれていたみたいだが、全く気付かず、何度目かの大声でハッと我に返った。

「すみません!何でしょうか?」
新たな業務かと思い慌てて返事をする。

「今日は定時で帰ってちゃんと寝てください」
ディレクターから返ってきた言葉は思いがけないものだった。どうやって?たった今新しい仕事を投げてきたくせに。時間通りにできてなかったら嫌味を言ってくるくせに。日々お前が思いつきで言った映像素材を集めるために、こっちがどれだけ手間をかけているか想像すらしてねぇくせに。そういう言葉をすべて飲み込んで「かしこまりました」と答えて、結局終電まで仕事をした。
 

 それから一週間。番組の映像はほとんど完成して、あとは画面に表示されているテロップの誤字脱字や情報の誤りがないかファクトチェックをするだけになった。このタイミングでミスはすべて潰さなければ、間違った情報が電波に乗ってしまう。絶対に間違えてはいけないと気合いを入れて、テロップになる文字が印刷されている紙の束を一文字一文字確認していく。が、なんだか上手く文字が見えない。疲れで目がかすんでいるのだろうか。資料を見比べているうちに、どっちがテロップの文字でどちらが確認元の資料なのかわからなくなってくる。物理的に上手く見えないのではなく、文字が情報として頭に入ってきていない。さまざまな形の線を眺めている気分だった。

 だめだ、しっかりしなくちゃ。絶対に間違えてはいけないと思えば思うほど、何が正解で何が間違いかが判別できなくなって、パニックになる。なんだこれ。わかんねぇ。どっちを見たらいいんだよ。わかんねぇ。脳内のすべてが「わかんねぇ」という文字で埋め尽くされて、涙が出てきた。くそっ、なんだよこれ。みっともねぇ。その様子に気付いたディレクターが状況を上司に伝え、俺は次の日から強制的に休暇を与えられた。
 
 会社を後にした足で、上司に命じられて渋々心療内科に向かう。そこで俺は、適応障害だと診断された。休職しているあの先輩と同じ病名だ。俺はちょっと疲れが溜まってるだけで、まだまだやれるのに。オーバーワーク気味の患者が来たら、全員に適応障害って言ってんじゃねぇのか。

「よく頑張りましたね。もう休んで大丈夫ですよ」
 なんて言われたが、こいつは多分ヤブ医者だ。だって俺は、まだ全然頑張れる。医者からは一ヶ月の休養を勧められたが、まだ駆け出しの俺が、こんなところでそんなに休むわけにはいかない。交渉して、ひとまず二週間の休職で、それ以降は経過次第でということで話を収めた。

「できればご実家に帰ったり、親族の方などにサポートしてもらいながら休養してくださいね」
 とも言われたが、どこも悪くないのに仕事を休まされている、こんな情けない姿を親に見せられるわけがないだろう。俺には必要ない「うつ病ハンドブック」とかいういかにも国が作成したらしいデザインの冊子と、気持ちを安定させる薬を渡されて病院を出た。
 
 せっかくのまとまった休みだ。ここぞとばかりに企画書を書きまくって、休み明けに提案を出してやろう。病院から家までの帰り道でそう強く思っていたはずなのに、家のドアを開けた瞬間に全身の力が抜けた。そこからの記憶はなく、気が付いたときには、靴を履いたまま玄関で気絶するように横になっていた。家に着いたのは夕方だったのに、空が明るい。どうやらそのまま夜を超えて、新しい一日が半分以上も過ぎていたらしい。二十時間も寝たのは人生で初めてだった。
 
 その日を境に、自分の意志とは正反対に、転がり落ちるように体調が悪くなっていった。やりたいことがたくさんあるのに、とにかく身体が重い。自分の上に得体の知れない怪物が覆いかぶさって、頭をベッドに押さえつけられているような重さだ。企画書を書きまくるどころか日常生活もままならない。尿意が限界に達したときになんとかトイレに向かう以外は、一日中ベッドの上でボーっとする。時折テレビをつけてみるけれど、内容が全く入ってこなくてすぐに消してしまう。そんなことを数日繰り返していたら、もともとロクなものが入っていなかった冷蔵庫はあっという間に空になり、カップ麺などの最低限の食料も在庫が尽きた。
 いい加減、食べもん買いにいかなきゃ。当たり前にそう思うのに、ベッドから起き上がろうとする俺の全身を怪物が押さえつけてきて、今日もまた、買い物に行けなかった。このままずっと怪物がいなくならなかったら、俺は飢え死にするんじゃないか。そう思ったら恐怖で頭がフル回転して、家を出なくても食べ物にありつける方法を考える。考えに考えた結果、デリバリーサービスの存在を思い出した。なんだ、簡単なことじゃないか。久しぶりにスマホを開いてデリバリーサービスで一番上に出てきたものを適当に注文する。動いていないとほとんど腹も減らないし、腹が減ったときにこうして何か注文すれば死ぬことはないだろう。安心したらまた、意識が飛んだ。
 
 休職してから十日が経ち、俺が担当したスポーツ特番が放送された。仕事を休んでから何の楽しみもなかったけれど、この日だけは忘れないようにと、ベッドの横に放送日時を書いたでっかいメモを貼っていた。最近は心なしか怪物の体重も軽いし、四日後の仕事復帰に向けてそろそろ切り替えないと。待ちに待った夜の二十三時。俺は嬉々としてテレビをつけた。
 見覚えどころか腐るほど眺めた映像が、テレビに映る。一通りスタジオでのオープニングトークが流れた後、注目選手の過去の試合映像をまとめたVTRが流れる。前回のスポーツの祭典で、優勝がかかった大事な場面。画面には柔道着を着て組み合う女性二人が映っている。

「決まったー!!優勝への一本だーーー!!」
 そう叫ぶ実況の声が聞こえた瞬間、ヒッと息が詰まる。テレビから流れ続ける試合の実況と歓声。番組を作るのに聞き続けた音によって、この一ヶ月半の記憶が脳内を駆け巡る。良い瞬間を探すために何度も何度もいろんな角度から見た試合の画面、「AD!」と突然呼ばれるでかい声、何で今どき紙なんだよと思いながらコピー機から吐き出される大量の紙を眺めた夜、深夜にタクシーから見た景色、収録後に会社で動けなくなったときの身体の感覚、時計が読めなくなったときの感覚、文字が書けなくなったときの感覚。

 ダメだ、息が上手く吐けない。ヒッヒッと自分でコントロールできない荒い呼吸が、訳の分からない速さで繰り返されている。どうにかしなきゃ、何かないか、なにか。そう思って手をバタバタさせていたら、さっき食べたデリバリーサービスのビニール袋に触れた。これだ。その袋に顔を突っ込み、できるだけゆっくり、ゆっくりを意識して息を吐いたら、だんだんと呼吸がコントロールできるようになってきた。呼吸ができる、と思ったのを最後に、俺は眠りに落ちた。
 

 それから四日後、俺は再診の予約を無視して、仕事に復帰した。プロデューサーが配慮してくれたのか、しばらくは慣れ親しんだ旅番組を先輩ADと二人で担当することになっている。相変わらず怪物は俺の身体にまとわりついているし、ほとんど横になっていたから体力は落ちていたけれど、あの狭い部屋で独り社会から疎外されている感覚に比べたら百倍マシだ。
 
 なんとか仕事をこなして迎えた、復職十日目の朝。出社しようとホームで電車を待っていると、社用スマホに同期からメッセージが届いた。

「秋からうちの会社が新しいバラエティの制作入る話聞いた?ディレクターは立浪さんで、担当ADはお前の部署の休んでた先輩だって」

 は?そんなのありかよ。あの人がぬくぬくと二ヶ月も休んでいる間、俺は死ぬ気で働いてきたのに。俺は二週間で戻ってきたのに。おかしいだろ、こんなの。怒りでめまいがする。

 再びピコンと鳴ったスマホを取り出すと、同じ旅番組を担当している先輩からのメッセージだ。そのメッセージを見て、俺は血の気が引いた。やらかした。三日後のロケのカメラマンの手配を忘れていた。今まで何度だってやってきた仕事で、難しいことは何もない。だからこそとっくに済ませた気になっていたのだ。やばい。やばすぎる。今から三日後の地方ロケに同行してくれるカメラマンなんて見つかるんだろうか。やばい。どうしよう。どうしよう。

 会社に向かう電車がホームにやってきたが、俺はパニックで、電車に乗ることができなかった。気付いたときには電車のドアが閉まっていて、俺の遅刻が確定した。次の電車に乗って、早く会社に向かわねぇと。
ベンチで一休みして、次に来た電車に乗る。なんだか妙に空いているな。座れてよかった。のん気にそう思っていたけれど、電車のアナウンスが流れてきて、妙な空席の理由が分かった。俺は会社とは反対行きの電車に乗っていた。
 
 終わった。もう先輩にも上司にも合わせる顔がない。自分がこんなにも社会人として欠陥品だとは思わなかった。もうダメだ。挽回できない。やらかした。俺は終わった、もうバラエティに配属してもらえない、おれはだめだ、情けない、みっともない、ゴミくずだ、どうしようどうしようやばいやばいおわったむりだどうしようもないもうだめだだめだごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 
真っ黒な世界に沈んでいく自分を、もう一人の自分が幽体離脱して眺めているようだった。
 
「……さま、お客様。終点です」
 
気付いたら眠りに落ちていたようで、駅員の声で目が覚める。夢か現か分からないフワフワとした感覚で、促されるままに電車を降りた。
 
改札を抜けると橋があって、その橋を渡ると、海が見えた。

====
2024年7月に制作した全5編からなる短編小説集の第1話でした。
5話順番に読むのがおすすめ。
この1話を読んでくれた人には、ぜひ最終話まで読んでほしいです。

『何でもないふりして生きているけれど』
1.夢の向こう
2.誰かを好きになれたら
3.彼女の背中
4.私を閉じ込めていたのは
5.そして、海へと向かう

▼続きはこちら


いいなと思ったら応援しよう!