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月と六文銭・第十四章(62)

 工作員・田口たぐち静香しずかは厚生労働省での新薬承認にまつわる自殺や怪死事件を追い、時には生保営業社員の高島たかしまみやこに扮し、米大手製薬会社の営業社員・ネイサン・ウェインスタインに迫っていた。

 田口はターゲットであるウェインスタインの上司・オイダンに狙いを定めたが、その前に彼の映像を確認したら、自分で思っていたよりも自分の欲求が強いことを思い知らされた…。

~ファラデーの揺り籠~(62)

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 田口の寂しい独白が続いていた。

「アタシは乾いた玩具に向かって『ご苦労様。満足したよ』と言ってきちんと袋に仕舞い、旅行鞄の扉側の大きめのポケットに入れます。
 自分でも変だと思うけど、口に出さないと正直辛いの。
 たかが数千円の'大人の玩具'だけど、何か適度な距離感を持って接しないと頭がおかしくなる気がして、他人扱いをすることにしている」
「僕は見たことがないけど、静香は普段も玩具を使っているの?」
「それは哲也さんと一緒にいる時は、必要がないもの。
 ほぼ確実にお互い満足するセックスができていると思っているのよ」
「確かに、僕は大満足だよ、毎回」
「あら、アタシが満足していないとでも思っているのですか?
 体を強張らせ、白目を向いて、口から涎を垂れ流していないからって、アタシが満足していないってことにはならないわ。
 前も話したように、アタシを完全に無防備にできるのは、本当に深くイった時だけで、直後の2、3分だけですし、心から安心して無防備になれる人は、アナタ以外にはいないから。
 それはアナタにアタシの命を託したあの狙撃が成功した時からで、アナタに絶対の信頼をおいているの。
 アナタなら絶対狙撃を成功させてアタシを守ってくれると思ったから、別の作戦の時もアナタを指名し、アタシの作戦の支援をしてもらったの。
 もちろんアナタには雑念が入らないよう余計な情報を送らず、全体像は知らせませんでした。
 それはごめんなさい。
 きちんと狙撃を成功させてくれたから、アタシは命を落とすことなく、作戦を成功に導くことができたのよ」

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***再び回想へ***
 今週、オイダンは一人だ。ウェインスタインは米国にいる。夜ごとの行動を再度チェックし、無効化するなら今週が良い。本部から狙撃手に指示を出してもらおう。

 翌朝、すっきりした目覚めではなかったが、機械の力を借りた分、自分の指で慰めた時よりは満足度が高く、疲労感もそれなりにあった。自分を満足させてくれる男性が現れることを祈りつつ、鏡の前で仕事に行く支度を始めた。

 支度が半分完了したところで、生保営業ウーマン・高島都として、4階にあるレストランのモーニングビュッフェに向かった。
 部屋の反対側に既にオイダンがいて、こちらに気付いて軽く手を上げてくれたので、彼のテーブルに向かった。

「おはようございます!」
「おはよう!一緒にどう?」
「よろしいんですか?」
「もちろん!」
「ちょっと取ってきますので、お待ちを」

 高島はウィンクして、オイダンを信頼している証拠として小さなハンドバッグをイスに、携帯電話を彼の目の前に置いて、ビュッフェを取りに行った。
 実際には電磁波計が動いて記録を取っていたのだが、オイダンは信頼されていると感じて、嫌な気はしないだろうと思った。
 ビュッフェはエリアごとにスープだったり、サラダだったり、ハム、ソーセージや卵料理、ハッシュブラウンなどが並んでいて、その向こう側には和食が並んでいた。

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 高島は脂っこい洋食系を通り過ぎて、サラダをボウルに入れた後、反対側にある和食系の味噌汁や五穀米、焼き魚を取った。料理をよそった後、頭を上げる度に自分を見つめるオイダンと目が合ってしまうのだ。ちょっと恥ずかしいと思ったが、その度にっこり微笑んだ。
 ようやくトレイがいっぱいになったので、オイダンのテーブルに戻ってきた。

「そんなに見られると恥ずかしいわ」
「いや、ごめんなさい。
 夜のバーでしか君を見たことがないから、明るいところで、改めて見て、チャーミングだなと思っていたところだよ」
「ありがとうございます」
「今回ネイサンが来れなくなってね」
「どうしちゃったんですか?」
「彼にはライバルのベイヤードの動向を探ってもらうため、今月はフランクフルトに行ってもらっているんだ。彼らも攻勢をかけてきていて、欧州での新薬の治験がかなり進んでいるらしく」
「やはり新薬開発の競争は熾烈なんですね」
「多くの会社が同じところに新薬を投入してくるからね。
 昔は得意分野みたいのがあったんだけど、今はどのファーマも総合医薬品会社になっていて、風邪からED治療、心臓、肝臓、腎臓、インフルエンザからアルツハイマーまで、何でもカバーしている。それぞれの分野でどこが一番早く保健省庁の承認を取れるかがポイントになってしまっている状況なんだ」
「日本でもそうなんですか?
 だって、パイザーと言えば米国の巨大製薬会社で、先進的だし」
「ブルアグラで大儲けはできたが、特許切れになってからは苦戦続きだよ」

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