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月と六文銭・第十五章(9)

 動くものを狙撃するのは難しい。スピードもあるが、動きが予測できないことも多い。武田の計算能力で動く物体が百分の一秒後、十分の一秒後、一秒後、二秒後、三秒後、五秒後にどこにいるのかが予測できるからこそ、正確に狙撃ができるのだ。
 この特殊な能力が発揮されるのはターゲットが車で移動していて、事故に見せかけて無効化する時だ。

アサインメントその3:赤いベントレー


 スコープの中では車の左後ろのタイヤがバーストし、車両が回転して、側壁に何度もぶつかりながら数百メートルも火花を散らしながら滑って行き、ようやく止まった。
 車のボンネットからは煙が出ていて、中の人間がどうなったかが確認できないまま、自分の背後に再びヘリコプターが降りてきた。
 武田が素早く銃を分解し、ケースに収めて、ヘリコプターまで走って行き、乗り込んだ。
 飛び立つヘリコプターからは眼下の車から上がる煙が見えていたが、ドライバーとパッセンジャーがどうなったかは確認できなかった。すこし浮いたところでヘリコプターは回頭して、斜め前に傾いて速度を上げた。
 ヘリコプターは、あっという間に武田をピックアップしたビルまで飛び、彼を下ろして、すぐさま飛び去った。
 銃とケースはそのままヘリの中に残してきたが、汎用の銃だったので、そのまま回収されて、銃身(バレル)は潰されるか溶かされて、仮に弾丸が見つかったとしても、発射した銃が存在しないことになる。

 武田は1階へと向かうエレベーターの中で考えていた。組織というのはスゴイものだ。これだけのものを短時間で用意できてしまうのだから。それに口をきいたのは符丁を言った時だけだ。とても徹底している。これまでで初めてだ、狙撃にこれだけの組織員が同時に投入されたのを見たのは。
 他のアサインメントもそうなのだろうが、自分は大きな機械の一つの歯車に過ぎない。しっかり自分の役割を果たせば、大きな機械、俗に「ビッグ・マシーン(the big machine)」と呼ばれる、はそのやるべき仕事をやり遂げるのだ。
 来た時とコースを変えて、武田はビルを出て、別の駅に向かった。一旦地下鉄の改札を通り、ホームを半分歩いて別の路線のホームを経由して、別の改札から出た。電子マネーカードを駅のゴミ箱に捨て、駅を出て少し歩いたところの繁華街のタクシー乗り場でタクシーに乗った。尾行されている可能性はほとんどないが、用心に越したことはない。最寄り駅の隣の駅までタクシーで移動し、切符を買って一駅乗り、最寄りの駅に戻った。
 改札を出る時は何食わぬ顔をして、仕事に疲れたサラリーマンに交じって家路についた。


 武田が部屋に戻ると、のぞみが丸まって寝ていた。寝顔が可愛い。見る角度によっては昔の恋人にどことなく似ていると思うことがあった。
 机の上には、のぞみのテキストブックが開いたまま、置いてあった。今夜の課題となっていたページに、付箋が貼ってあった。"ちゃんと課題をやったので、採点をお願いします"と書かれてあり、赤いペンで唇💋がサイン代わりに文末にあった。
 武田は悪戯心を出して、のぞみの尻の方だけ、そっとベッドカバーをめくった。のぞみらしく、下着無しで寝ていることはなく、セクシーなTバックでももちろんなく、きちんとパジャマを着ていた。
 家の教育がしっかりしているのか、部屋にいる時は、暑ければ上は緩々のスリップ一枚で過ごすこともあるが、裸でいることは絶対なく、寝る時はきちんとパジャマを着るようにしていた。

「母がね、地震とか火事で救助された時に、恥ずかしい恰好をしていたら良くない、って子供の頃から厳しくて」
「いい教育だと思うよ」
「でも、哲也さんは私が何も着ていないのが好きなんでしょ?」
「否定も肯定も致しかねます。のぞみさんのお母様に、のぞみさんが交際している男性が娘をふしだらな女にしようとしていると思われたら、困りますので」
 のぞみは笑いながら答えた。
「あら、ふしだらではないよ、愛されていることを少し豊かに表現できるようになっただけよ、ね?」

 ま、きちんとパジャマを着ているなら風邪を引くこともないだろう。待てよ、わざとパジャマのズボンをめくってお尻を出した状態にして、朝、のぞみの困っている顔を眺めるか。
 いや、何をしても、自分がやってなければ、"犯人"がこちらに決まっているから、悪戯をしてもしなくても結果は同じか。ならば、自分がベッドに来るまで、のぞみには尻を出したまま寝てもらうか。


 武田は静かにのぞみのパジャマのズボンを降ろした。尻をすっぽり包んでいるショーツが出てきた。それも尻の曲線に沿って静かに下ろして、そのままにした。
 数秒して、尻が冷えて気が付いたのか、のぞみがガバっと起き上がって、こちらを睨んでいる。
「ダメって言ったでしょ!」
 かわいい顔が険しくなっていて、手で、まずはショーツを、次にパジャマのズボンを引っぱり上げて、正しい腰の位置まで戻していた。
「ねぇ、のぞみさん、たまには僕のリクエストを聞いて欲しいな」
「裸で寝てって?」
「うん、そう、裸で寝るのは、いやかなぁ?」
「何かあった時に毛布にくるんで、救助隊を含めて、他の人に私の裸を絶対見せない自信はあるの?ないでしょ?そもそも無理でしょ?」
「まぁ、そうだが」
「私の裸を他人に晒してもいいというのなら、それでもいいけど、私は好きな人にしか見せたくないの」
 武田は頷き、ベッドカバーを戻した。
「ねぇ、こんな会話を続けるより、私、今夜はあなたが帰るのを待っていたのよ。
 でも、あなたがなかなか帰ってこないから、ちょっと眠ってしまっただけ」
「ごめんなさい、かい」
 ここで遮られた。
「会議が長引いたのは、あなたのせいじゃないわ、それは分かっているの。その後のフォローが大事!カレンダーを見たら分かるでしょ、今日の私の体調」
 のぞみはそう言ったが、直後に恥ずかしくなったのか、布団の中に隠れてしまった。
「遅くなったことは謝る、ごめんなさい」
 武田はカレンダーを見なくても分かっていた。一か月のうちで、のぞみが最も気持ち良くセックスができる日なのだ。


 のぞみの目はこっちを向いていたが、布団の中でごそごそ動いていた。
「で、今夜、あなたがしなくちゃいけないことは、何?」
「え、っと」
 武田は戸惑って、返答に困った。
「キス!」
 のぞみは左手でベッドカバーをめくり、色白のきれいな裸体の右半分を披露し、右手で唇と乳首と陰毛の茂る恥丘を順に指した。
「ここと、ここと、ここに!その後は、ね、私に全部言わせないで」
 のぞみは恥ずかしそうにベッドカバーを全部どけて、隠されていた下半身を武田に見せた。少し脚を広て、膝を上げて、潤んでいる自分の女性の部分を武田に見せつけた。普段は隠されているのぞみの下の唇は少し開いていて、受入れ待ちなのを表していた。
「寝ててもいいよ、起こすから。シャワー浴びてくる」
 武田はそう言ったが、のぞみは枕を立て、座り直して携帯電話の画面を開いた。
「待っているから、ゆっくり入ってきて」
「お、株2課の高橋君と愛のラインか?」
「だからぁ、ただの同期だから!もしかして、妬いているの?ね、妬いているの、あたしがモテるからって?」
「そうだよ。俺はモテないし、レストランでは恋人が娘と間違われるし、会社内では同性愛者と噂されているし、踏んだり蹴ったりだよ。がはは」
 笑いながら武田は靴下、ズボン、シャツを脱いで、バスルームに向かった。
「ねぇ、やっぱり、あんまりゆっくりしないで、早く出てきてね。じゃないと…」
 恥ずかしそうに言うのぞみに、頷くところを見せようと武田が振り向いたら、ヘッドボードを背に左手で携帯電話をいじっていたが、開いた脚の間に伸ばした右手が細かく動いていた。


 後年、武田はこの時ターゲットの車に同乗していたアセットに出会うことになり、アサインメントの全体像を知ることとなる。それは別途、A級工作員・田口たぐち静香しずかの寝物語で…。 

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八反満
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