月と六文銭・第十八章(08)
竜攘虎搏:竜が払い(攘)、虎が殴る(搏)ということで、竜と虎が激しい戦いをすること。強大な力量を持ち、実力が伯仲する二人を示す文言として竜虎に喩えられ、力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げることを竜攘虎搏と表現する。
パリ出張の件で、同僚の田口が武田のために夜の相手を手配するというのだ。自分が相手をできない代わりに、監視及び護衛役を兼ねて、ハニートラップを得意とする女性をパリで合流させるというのだ。
~竜攘虎搏~
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田口からの電話が一方的に終わって、武田は呆然としていた。
<田口は本気じゃないだろう>
武田は、田口が自分の代わりに夜の相手をする女性を手配するのはさすがにやり過ぎだろうと思っていた。どちらかというと監視と護衛という観点からの申し出だろう。
田口は武田が自分とのぞみ以外の女性と関係を持つことには嫉妬する性格なのだ。一応、のぞみが武田の正式な恋人なので、別格扱いをしているようだ。
武田はメッセージで田口宛に「人の手配、お任せします」と送った。夜の相手が欲しいのではなくて、彼女の提案を受け入れた方が彼女も安心するだろうと考え直した結果の連絡だった。
携帯電話にメッセージがすぐに届き、想像通りの展開になって、武田はまたしても防戦一方だった。
st🐈:悲しい😿
哲也さんはアタシじゃなくてもいいみたいだし、
久しぶりに西洋人が抱きたいのね!😡
tt:いやいや、そういう意味じゃないです!
st🐈:でも、やっぱり、したくなったんでしょ、
パリで西洋人と?
tt:静香さんならどうせ監視をつけるでしょうから
誰だか知っていた方がいいと思って…
st🐈:ついでに、いい女だったら楽しんじゃおう
ってことですよね?
あの子、見栄えがいいのは保証しますし、
多分、抱き心地もいいはずです。
彼女、評価が高いし、これまでは失敗した
ミッションはないので。
tt:え、それって暗殺ミッションに失敗したことが
ないということですか?
st🐈:安心してください、ハニトラのことです。
でも、暗殺に失敗したという記録もないですね。
色白の中欧人だから、お楽しみに(うふ)
tt:分かりました💦
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送った瞬間、電話が鳴った。田口だったので、武田は電話に出た。
「アナルに興味があるのなら、彼女、多分応じられると思います。
あ、もしもし、田口です。
文字に残すのもどうかと思ったので、電話でお伝えしておきます」
「覚えていたのですか?」
「えぇ、しっかりと。
しかも、女性に入れられるよりは、女性に入れたそうでしたので」
「いや、女性にっていうか…」
「分かっています!
私かのぞみさんに入れたいのですよね?」
「いや、そういう意味じゃ」
「分かった!
のぞみさんはかわいそうだけど、田口なら入れても大丈夫だろうってことですね?」
「いやいや、飛躍しないでください!」
「ふーん。
ま、ここで電話を切りますね。
哲也さんは今、オフィスでしょう?
アナルだのハニトラだのって会話、まずいですよね?」
「分かってて言ってるんですよね、僕を困らせようとして?」
「えぇ、もちろんです(笑)
アタシに隠れてあの留学生を抱くわ、パリ出張ではアタシを断ってモデルを抱こうとするわ、油断も隙もないんだから!」
「いや、それは」
「あは、冗談ですよ!
メッセージに書いたとおり、私のことは気にしないで、しっかり出張をこなしてください。
夜は手配しておきますが、マッサージをお願いして疲れを取ってもらうも良し、久しぶりの白い肌をしっぽり楽しむも良しですよ。
のぞみさんとソードフィッシュのことは任せてください」
「ありがとうございます」
「では、切りますね」
「はい」
ツーツーツー
嵐のような女性だといつも思っていたが、味方だからいいものの、田口を敵に回したら本当大変だろうなと思い返していた。いや、敵だったら、自分などはいつの間にか、あっさり殺されていただろう。
31
***
上野駅から歩いて7、8分の所にある「高粱の里」に中国人男性のグループが入店したのは夕方の書き入れ時が始まる少し前だった。
店主は同じ郷里の言葉をしゃべるこの団体と言葉を交わし、注文を取り、厨房に戻った。
「中佐、店主は我々の言葉を理解します。
大丈夫でしょうか?」
「仕事の話をしなければ問題はない。
楽しく食事をしようじゃないか」
「はっ」
中佐と呼ばれた男以外が一斉に返答をした。
「おい、そっちの方がまずい。
中佐と呼ぶのはやめてくれ。
もっと気楽にいこう」
「すみません」
またしても3人がハモッてしまい、中佐が呆れた。
軍隊の訓練というのは、こうも同質の人間を作り出してしまうものなのか。
いや、それは間違いだ。軍隊は同質の兵士を作り出し、指示通りに同じことが実行できないと戦力として扱えない。そういう意味では彼らは優秀な兵隊だ。指示の通りに動き、確実に軍事目標を達成していく。
しかし、優秀な軍人は不測の事態にもその能力の最大限を発揮して軍事目標を達成する者だ。そこが兵隊と軍人の違いだ。軍隊に籍を置いたことがない者には分からない違いだったし、だからこそ一般兵と軍事大学を卒業した将官との間には越えがたい垣根が存在する。
四川の郷土料理ともいえる水煮肉がテーブルの真ん中に置かれ、4人とも異国で郷土料理を食べられる喜びをかみしめていた。その前に本当に郷土と同じ調理法なのか気になったが、店主は四川出身だったし、中佐が言うには間違いないとのことだった。
中佐は以前日本に来たことがあるのか、疑念を持った一番若い隊員はその疑問を飲み込み、先輩3人に卵スープをよそって渡した。ビールが来て、乾杯した後、男性が集まると当然のことなのか、女性の話になった。年長の班長はこの先に日本独特の風俗業態があり、そこに行くつもりだと声高にしゃべっていた。
店主は分かるが、客のほとんどは何を言っているかは分からないだろうと班長は日本女性の良さ(?)を力説していた。若い隊員二人は聞き入って想像力を働かせていた。班長について行けば日本人が抱ける、本国では許されない冒険だ。二人はすっかり聞き入っていた。
中佐もすっかり上機嫌で班長のバカ話を楽しく聞きながら、頭の中では連絡員との情報交換のプロセスを確認していた。
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「中…」
若手が話しかけようとした瞬間遮られた。
「チェンだ」
「あ、チェンさん」
「なんだ?」
「今夜、リーさんが言っているヨシワラに行ってみたいです」
日本で中佐はチェン、班長はリーと名乗っていた。
「お前の母親の年齢の女性かもしれんぞ、相手が?
それでも抱けるのか?」
「いや、それは…」
若手隊員は戸惑った。リーはそんなことはお構いなしに続けた。
「俺なんて娘と同じ年齢の女性が相手してくれるなら、ギンギンになって3発くらいぶち込んでやるがな!」
リー班長は絶好調だった。コイツならどこでも誰とでもおっ勃ててぶち込むだろうと中佐は思った。
中佐が会うことになっている連絡員は今日、ヨシワラの店に出勤する予定の日ではなかった。姫予約と言う、客が直接風俗嬢と連絡を取り、風俗嬢が店に予約を入れて客を迎える方法を取った。
客は通常、店に連絡をして、空き状況を確認し、問題なければ、部屋と嬢の二つを同時に予約する。出勤していないことにしたい嬢や姫予約でいっぱいの嬢は、一般客に出勤を知らせたくないからその日は休みと称したりする。
店は逆で、客を逃したくないから、客の目当ての嬢が休みでも部屋を予約させ、来た時に空いている嬢を薦める。
隊員には悪いが彼等にはその時に空いている嬢に入ってもらい、自分は連絡員と打合せをする手筈になっている。
「腹いっぱいにするな、眠くなって、楽しめないぞ」
「行っていいのですか?」
「ああ、その代わり、贅沢はできないから俺が決めた店で我慢してくれ」
「はっ、ありがとうございます!」
やれやれ、お前らは楽しいだろうが、俺は実際にはあの子を抱けないんだ。あの子を見たらお前らは絶対羨ましがると思うが、俺の辛さなんて全然分からないだろうな。