月と六文銭・第十五章(3)
動くものを狙撃するのは難しい。スピードもあるが、動きが予測できないことも多い。武田の計算能力で動く物体が百分の一秒後、十分の一秒後、一秒後、二秒後、三秒後、五秒後にどこにいるのかが予測できるからこそ、正確に狙撃ができるのだ。
この特殊な能力が発揮されるのはターゲットが車で移動していて、事故に見せかけて無効化する時だ。
アサインメントその1:白いマセラティ
9
「うわ、絶対そう言うと思った。ホントに厳しいよね、成績となると」
「うちは資産運用会社だよ、成績がすべてだ。日系だからクビにならないのをいいことに、彼らはサラリーマン根性でやってるとしか思えない。あれじゃ勝てないよ」
「それが普通でしょ?みんなサラリーマンなんだから!あなたが普通じゃないって思わないの?」
珍しくのぞみが武田に反論していた。武田はニッコリして、のぞみを引き寄せ、キスをした。
「ごめん、君のお気に入りの高橋君がいる部署だったね、2課」
「もう!」
のぞみは武田の左腹を軽くパンチした。以前もそこを触ったら武田が「ツッ」と痛そうな反応をしたので、何か昔の怪我をしたのだと思って、何かあったらパンチしてやろうと狙っていたのだ。
「あ、ごめん、本当に痛いのね。何かケガをしたところなの?」
「のぞみさんが騎乗位でイく瞬間、思いきり手を突いて、ろっ骨が折れたんだよ」
「うそ!そんなことしてないよ、私!」
「そう?じゃあ、今度ビデオを撮って確認する?」
のぞみは黙って、同じところに第2弾をお見舞いし、フンと怒って台所に向かい、何か作る気なのか、冷蔵庫を覗いていた。
「うぅ、いてて、暴力反対!パートナーによる暴力については03-3X4X-5X6X、DV相談窓口まで!」
のぞみは台所から、きっと睨んでいた。
「そうやって言ってたら、今夜はしないから」
「のぞみさんがそんなに暴力的だとは思わなかったな」
「哲也さんが悪いのよ!高橋君は同期、何もないわよ」
「そうだよね。何かあるなら、のぞみさんに意地悪をして、白状させないといけなくなるもんね」
「それも言うと思ったわ。もう知らないから!」
のぞみはバンと冷蔵庫の扉を閉めた。
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武田は冷蔵庫の横に貼ってあるカレンダーを見て、しまった!と思った。今日の日付の真下が、消えるボールペンで赤い星が書かれている生理開始予定日だった。予定日は消えるボールペンで書いておいて、実際に始まったら消えないボールペンで記録をつけていた。
生理開始日の1週間ほど前の2、3日はのぞみが機嫌の悪い時期だ。生理前の現象で、胸が張り始め、その痛みも加わり、イライラを増幅させるだ。この時期、のぞみの胸は1カップほど大きくなるくらい張ってしまうのだ。内側から自分の皮膚を広げられてしまうので痛く仕方がないのだ。張っていて痛い上に乳首がブラジャー内で擦れて痛いのだ。のぞみは部屋では緩々のスリップみたいなものしか身に着けないで過ごしていた。その恰好自体は可愛くて武田は終日見飽きることなく、ずっと見ていたが、数か月前にその理由を説明されるまで、女性の体の変化を理解していなかったのが正直なところだ。
多分、のぞみは元々エッチする気はないというか、したいとは思っていないだろう。ところが、生理が始まると逆にすっきりするのか、あまりブルーになることがなく、生理でエッチできないのを残念がるくらいだ。
因みに、生理の2週間前辺りは排卵日だから甘えてエッチを求めてくる。何をしても濡れるらしく、武田がちょっと触るだけでもすぐにスイッチが入ってしまい、すぐに反応してしまう。この時期はエッチが楽しくて仕方がないくらい飽きもせず繰り返すのだった。
のぞみは今時の女の子らしく、携帯電話にアプリを入れていて、生理の予定などを管理していたが、必要な情報を共有できるよう部屋のカレンダーに記入していたのだ。それを確認せずに、会話に気をつけなかった武田の方が悪い。女性は、少なくとものぞみは、そう考える。
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武田は自分の車で成田の狙撃場所を下見していたが、のぞみとの成田デートの下見をカバーに使っていた。ETCにも、カーナビにも記録が残ってしまうことを考慮してのアリバイ作りだった。誰かに聞かれたら、初めて行く場所だから、失敗しないために何度か下見をした、と言えるようにしていた。
ターゲットの西山卓也、通称「にっしー」は民自党にとっては疫病神だった。副幹事長・柳生のスキャンダルだけでなく、彼の所属する派閥の向井俊博会長自身が銀座のホステスに子供を産ませていた情報も掴まれているらしく、芸能関係のみならず、政治家にも食い込んでいて、今回の海外脱出を手伝わされていた。
武田に政治信条はない。どの政党にも与する気はない。あくまでも狙撃の依頼に対応しているのだ。やるからにはプロとして、一発必中で成功させる。それが自分の価値であり、存在意義なのだ。
組織の情報によると、予定通りターゲットは明日土曜日の昼の便で出発する。彼が東京の宿泊先のホテルを出発したら、連絡が入る。
料金所を通過する度に道路会社の徴収コンピューターからのシグナルが入る。習志野バリアを通過したら、こちらも酒々井のインターへ向かい、スタンバイ。走行を開始して、成田料金所で並び、トンネルの中で作戦を実行する。
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にっしーの白いマセラティは100どころではなく、時速150キロで疾走し、料金所でも80までしかスピードを落とさず、ゲートが開くのか開かないのかの危険なゲームをしているかのようにして通過していった。
好き嫌いで言えば、他人の弱みに付け込んで金を得る輩は嫌いだった。しかし、仕事に好き嫌いは持ち込まない。自分の計算通り動いて、計算通り自分が仕事を完了することが大事だった。
マセラティのビトゥルボや昔のジブリが好きだった武田にとって、ピニンファリーナの流麗なボディを纏うグラントゥーリズモは素敵だった。走る姿も美しい。並んだ瞬間、ドライバー席のにっしーが見えたが、運転を楽しんでいるようで、アサインメントでなければ、車仲間として楽しい会話ができたかもしれないと思った。
武田は時速150キロ以上で疾走するメルセデスの後ろの席で狙撃用の銃の薬室を確認し、ルームミラーでドライバーに目配せして、作戦開始を伝えた。
白いマセラティからは自分を抜こうと走行車線を爆走するベンツに見えただろう。にっしーはちょっとムキになって、アクセルを踏み込んだようだったが、安定して加速していたメルセデスが引き離し始めていた。さすが元プロドライバー、アクセルの開け方が上手い。
前後にターゲット以外の車がいないことを確認し、マセラティとの距離を確認して、武田は後部座席に横になった。ドライバーはマセラティとの間隔を維持することを求められていて、その通りの運転をした。
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