月と六文銭・第八章(5)
その日曜日の同じ時刻、田口静香はノートパソコンに映し出されている薬事レポートと手元の新薬の資料を見比べていた。
~それぞれの日曜日~(3)
1
静香は自分の部屋で製薬会社が提供する新薬に関するレポートを読んでいた。武田からは「最恐のナース」、もとい、「最強のナース」と呼ばれることとなる静香は、次のアサインメントにこの新薬を使用するか否か、慎重に検討していた。
群馬県選出の小峰貞男は父・小峰貞二郎元首相の地盤を引き継ぎ、新潟の女帝・里中真理子、コンピューター・ブルドーザー里中栄進元首相の娘の後ろ盾を得て、民自党内で隠然たる影響力を持っていた。その小峰を篭絡して病気にするか、或いは持病を悪化させて入院先の病院で仕留めるか。
米国にとって日本が独自の防衛方針を選定して、核の傘から離れていくのは国策上望ましくないのは明らかだが、空母や次世代主力戦闘機、イージス防衛システムをさらに発展させたハイパー・イージス・システムの構築は、これまでの日米関係に影響を及ぼすと考えていた。日本の「独立」を達成するために必要のこれらの施策の急先鋒が、小峰と九州選出の防衛族・佐藤新太郎の二人だった。
静香は初め、佐藤をターゲットに考えていた。独身で割と派手に銀座で遊んでいた佐藤の懐に飛び込むのは難しくないと思ったのだが、ここにきて、佐藤の遊びはカモフラージュで、女性に興味がないことが判明した。
佐藤を振り向かせる時間と労力を考えた場合、意外と妻に頭の上がらない小峰を攻略した方が早く、民自党に釘を刺す意味では効果が大きいと本部も分析していた。
2
静香のもう一つの課題が契約社員・武田哲也のセイフ・パセッジ、安全な脱出路の確保だった。
本部の戦略研究所ノース・スター・リサーチ、通称NSRが「アルテミスに危機が迫っているから、一度日本から退避させることを検討している」と伝えてきたのだ。
まだ武田(組織内の暗号名はアルテミス=月)は全容を知らないし、出来れば彼の会社の人事異動と合わせて自然な形で日本国外に移したかったが、生命がかかる案件になっているとしたら、人事異動程度では済まない話になってしまう。
しかも、長期の交際はするなと指導されていたのに、3年目に入っていた女性がいることを自分も本部も知っている。静かに別れさせられるか、悲劇的な別離か。
命の恩人である武田にはより良い道を選べるようにしてあげたい。本部の方針に反してまでそれを貫くことができる自信はないが、出来るだけ解決の道を探ろう。
静香はペーパー類を整理し、ノートPCを立ち下げた。座っていた床から立ち上がり、ノビをした。
テーブルに置いてあった携帯電話を手に取り、さっとメッセージを入力して送って、爪先立ってバスルームへと向かった。