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月と六文銭・第十八章(19)

 竜攘虎搏リュウジョウコハク:竜が払い(攘)、虎が殴る(搏)ということで、竜と虎が激しい戦いをすること。強大な力量を持ち、実力が伯仲する二人を示す文言として竜虎に喩えられ、力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げることを竜攘虎搏と表現する。

 武田の恋人・三枝さえぐさのぞみはだいぶ年下だ。どこに行っても仲の良い親子に間違われることに二人は悲しい思いをすることが多かった。プレゼントを見に行っても、「お父様の?」とか「お嬢様の?」などと日本人らしい先入観で言われるケースがほとんどだ。
 今回もそうした話になってしまい…。

~竜攘虎搏~

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「ねぇ、怒らないで聞いてくれる?」
「今日はのぞみさんの大事な記念日、『彼氏ができた』という発言以外は、怒らないよ」
「なにそれ?
 彼女との記念日にケンカを売ってくるボーイフレンドって聞いたことないよ!」
「うーむ、君がそんなに怒るんじゃ、話を聞かない方がいいかな?」
「もう!
 そうじゃなくて!
 あのお店の店員さん、中堅女性のね、私のことやたらと『お嬢様、お嬢様』と呼んだのよ。
 父の買い物に付き合っている健気な娘だと思ったんでしょうね」
「ほお、それで?」
「今回、哲也さんが買いに行ってくれた時に、あの人が出てきて、『お嬢様が~』を連発したら、哲也さん不機嫌になったんじゃないかと思って、ちょっと気になったの」

 武田は笑った。言いたくはなかったが、のぞみの発言は図星だった。お互いに年齢が離れていることを気にしているのは仕方がない。しかし、他人のバイアスで楽しい買い物や食事が台無しになるのは、何とも寂しい限りだった。

「じゃあ、もうのぞみさん怒っているから、ついでに言っちゃうと、『お嬢様が~』は連発されたし、のぞみさんのこと『とても素敵なお嬢様で~』とか、『礼儀正しくて~』とかたくさん褒めてもらえたよ」
「嬉しいけど、なんか複雑…」
「まさか、『ああ見えてビーナスのエクボがしっかり出ていて、最近騎乗位が上手くなったんですよ』とは言えないでしょ?」
「うーん、きじょーい、はかなり気まずいけど、そんなことを言ったら、逆にどんな顔をしたか見たかったわね」
「いや、世の中信じられないことがありますね、と教科書的優等生発言をして、家に帰ってから頭を抱えていたりして」
「か、パパ活女子と思われるか、よね?」
「さすがにパパ活女子で娘のような年齢だったら犯罪と言われるだろう。
 パパ活なら男性にとってステータスだったり、見栄だったりするから、僕だったら、170オーバーのダブルディー、日本でいうGカップくらい、のモデルを連れて行くけどね」
「うわぁ、哲也さん、そういう知り合いにたくさんいそうだし、それホントにやりそう!」
「しないけどね」
「あたりまえです!
 まったく、わたくしをなんと心得ておるのか?」
「はは~、僕のお姫様です」
「てへへ、それなら、許すぞよ」

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 笑うと本当にかわいい。これがのぞみの第一のチャームポイントだった。ベッドの中で口を手で隠しながら喘ぎ声を我慢するのも可愛いが、後ろから攻められた時に顔を横に向けて、遠慮なく声を出すのもまた魅力的だった。あのビーナスのエクボができたのは騎乗位が得意だからじゃなくて、きちんと体の動かし方を知っているから、が理由だった。年齢的に多少脂肪の層が体を包んでいてもおかしくないのに、腹筋がうっすら出ているくらいに体を動かしていることに武田は感心していた。

「どうだ?」

 腕時計を付けたのぞみは手首を返したり、手を挙げてみたり、重さを確かめるように腕を振ってみたりしていた。

「最高よね。
 私、ディオールのあのバッグかなぁと思っていたから、哲也さんがさっきロゴ入りの袋を持っていなかったのを見て、ちょっとがっかりしていたのよ。
 あ、ごめんなさい、なんかメチャ図々しい港区女子的発言連発で」
「君は港区女子なの?」
「一応、勤務先は港区にあるし、独身だし、美味しいもの大好きだし」
「へぇ、それが港区女子の定義なんだ」
「ちゃんと会社勤務している子と金銭的支援メインの子とでは定義は変わるでしょうけどね」
「少し前までは洗練されている中堅女子だったのが、今はタカリ女子みたいになっているからね」
「タカリ?」
強請ゆすりたかり、のタカリね。
 聞いていると腹が立つ男性が多いのに生息数が減らない謎の生物って感じだよ、僕には。
 せめて何か目標があって、それに向けて頑張っているけど、自分の力では足りなくて支援を求めているならまだしも、美味しい高い店に連れて行ってもらうのが目的の茶飯ちゃめし女子はタカリでしょう」
「そうやって考えるのね」
「お金がある男性に媚を売るのは構わないけど、今言ったように、頑張っているけど足りないから支援を!は理解できる。
 初めから人生の目標がズレている連中は気に入らないな」
「じゃあ、私には支援は必要ないってことになるの?」
「貧乏ではないパートナーと付き合っている、会社勤務で定期収入がある、実家の両親は健在でしかも23区在住、人生の目標は幸せになること。
 健全な女子にしか聞こえないよ。
 それとも、のぞみさんは隠されたアジェンダがあるの、人生に?」

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 武田は「ヒディン・アジェンダ(hidden agenda=隠された目的)」という言葉が好きだった。武田くらいのレベルのビジネスマンになると当然一つの目的で動くことはなく、一つの行動の裏には、必ず第二の目的があり、時には第3の目的まであるわけだ。一つの目標のために複数の手段、やり方を用意するのは当然、途中で他にもこなせそうなものが見つかったら取り込んでしまうため、幾つもの目的を同時に達成しているように見える。

「うーむ、ないよ。
 ところで、哲也さんはイージス艦を知ってる?」
「一応知ってはいるけど、のぞみさんが言う場合、どういった位置づけだろう?」
「先日、防衛関係の株についての勉強会があって、たまたま自衛隊が導入する予定の新イージス艦の話があったの。
 200個以上の目標物を把握していて、同時に12くらいの目標と交戦可能と言われ、人工衛星とコンピューターの能力を最大限に活用しているらしいの。
 それを聞いて、哲也さんってそんな感じの人だなぁって思ったの」
「目標を同時に複数達成しようとすること?」
「そう、しかも同時に情報処理していて、それらを全部総合して判断しているところは、哲也さんがあれだけの情報をまとめて、頭の中で処理して、投資のシナリオを作っているところ、実行しているところは正にイージスシステム搭載の艦船団みたいなの」
「ふーん、面白い喩えだね」

<同時に30人くらいの女性と連絡を取りながら、同時に6人くらいの女性と付き合っていくようなことだろうか?そんなことを言ったら、のぞみは「イージス」どころか「ステルス活動が多過ぎる!」として、今後は「モニタリング(監視活動)」を導入されかねない…>

「哲也さんは器用だから、私以外の複数の女性とも付き合って、どの女性とも上手くいって、いろいろ充実させられると思うわ」
「ほお、同時に複数の女性ですか?」
「体力もあるし、上手だし、絶対女性を満足させられると思うし、気に入られるというか、相手がまたしたくなる気がするのよね」
「あら、僕をモラルのない男性と思っていません?」
「モラルはともかく、器用で頭脳の使い方がすごいというか。
 多分普通の男性はそれができないから浮気や不倫がバレるんじゃないかなと思ったの」
「ほう、そうやって僕を罠に嵌めて自白に追い込もうという三枝捜査官の尋問テクニックがさく裂中なわけですね」
「あれ?
 何か私に告白しないといけないお付き合いでもしているのかしら?」
「ないない、寝る時間も惜しんで金儲けを考えているし、のぞみさんと対戦した後は体力がゼロになってダウンしているじゃない、いつも?」
「なんか、その対戦って言葉が引っかかるのよね。
 他の女性とも対戦して、何戦何勝とか記録をつけていない?
 つけているなら見せてほしいけど」

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 武田は意を決して右の胸ポケットから小さな手帳を出した。表紙には大きく「N」の金文字がついていた。

「うわ、本当に記録をつけていたの?!」

 武田は頷いてそのままその手帳をのぞみに渡した。

「もし、もし、一人でも他の女性が載っていたら、私、爆発してもいい?」

 武田は再び頷いた。
 のぞみは渡された手帳を開けて、そのページを読み始め、眉を寄せた。記述のあるページを繰って最後の記入のあるページを開けた。真剣に読み始めたのだが、手が震えて、顔が紅潮し始めた。

「哲也さん、この記録、本物?」
「そうだよ」
「え、いや、私、こんな感じだった?」
「僕から見たら、という視点で記録をしたんだけど、違うかな?」
「あ、何と言ったらいいのか、その…」

 武田が渡した手帳には武田とのぞみが交わった時の記録がほぼすべて書かれていた。多少の抜けと逆に詳細な描写が二人の睦み事をより強く浮き彫りにしていた。

「これ、絶対落とさないでね。
 誰かに読まれたら、私、お嫁にいけないくなっちゃうわ」
「ほう、どこにお嫁にいくつもりなのかな?」
「実質的にはもう、哲也さんとそういう関係だけど、これってちょっと刺激が強すぎるわ。
 お父さんが見たら絶対寝込むわ」
「君と僕の正直な記録だけどね」

 のぞみはページを繰って何箇所か日付を確認した。どれものぞみが武田と一緒にいた日で、その時のイベントも書かれていて、のぞみもすぐに思い出せるくらい正確な記述だった。

「分かりました。
 これは証拠として押収します」
「きちんと保管してくださいね、捜査官。
 漏洩や流出するとお互いに困りますから」
「確かに」

 のぞみは顔の紅潮が取れず、手に汗をかいていた。客観的ではないものの、自分の痴態を文字にされると恥ずかしさが数倍になることを初めて経験した。

「でも、今日の分を書かないといけないから、やっぱり返却をお願いします」

 そう言って武田はのぞみに手を伸ばして、「愛の記録」手帳を返してもらった。

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