母からの電話
なんのヒネリもないタイトルで申し訳ない。そのままだ。
母から電話があった。
着信音と共に表示された名前を見て、少しイラッとした。母からの電話はいつもロクな事がない。
中学生ぐらいまで、私は母を聡明な人だと思っていた。他の家のお母さんよりもスマートな思考ができる人だと。
それがいつ頃からか、近所のお母さん方とうまくいかなくなり、高校生活が終わる頃に引っ越しをした。まだバブルの頃だったので、マンションはアホみたいな値段だった。
引っ越ししたら当たり前だが身近に友人が居ない。私は進学し女子寮へ、妹は留学へ、引っ越し先に愛着がないまま出て行った。
父は莫大なローンを抱え、日々、長距離の通勤と会社勤めに耐えていた。今だからわかるが、どんな労力とストレスだっただろう。
母は更年期障害だったのかもしれないが、やたらナイーヴになっていた。被害妄想も酷かった。彼女は彼女なりにストレスを抱えていたのだが、父にはそれを癒してやる余裕はなかった。
父とうまくいかなくなり、耐えきれなくなると母は私に愚痴を言ってきた。解決策のない愚痴を聞くのは辛い。夫婦の問題は夫婦で解決してくれ、娘の足を引っ張るな、と思っていた。
冷たい娘だと思われるかもしれないが、私は私で自分の人生で一杯いっぱいだった。長女というものは身近にお手本が無いのだし、私は持ち前の自己否定感から未来への夢を見られずに暗い気持ちでいた。
母は父を挑発するようになった。私が傍から聞いていても、見事なくらいに父の地雷を踏む。あ、それ言っちゃダメでしょ、ってところをズボリと刺す。まるで矢が綺麗な曲線を描いて落ちるかのように。ホールインワン。
父は母を殴るようになった。家庭内DVだ。
射す人と殴る人、どちらが悪いのか。
私は女性であるから「女性を殴るなんて」と言いたいが、現場を見たものとしては父にも同情する。
結局、離婚したが正解だと思った。
別れたならサッパリと明るく次の人生を送って欲しかった。
嫌な事だが、私の自己否定とウジウジしながらも愚痴を言うだけで努力をしない性格は母譲りなのだと思う。
離婚直後、母はあれこれ趣味に手を出した。
ただ自分が楽しめば良いのに、自己否定が強い人ほど実は承認欲求が高いものだ。有料の講座に通うぐらいはまだいいが、お金を注ぎ込んで展示会をやってみたり、自費出版をしてみたり、傍からみたらまるで良いカモだった。
老いてから始めた趣味がそれほど注目を浴びるわけが無い。次第にそれに飽きて、体力も衰えてきて、今は娘たちの心配しかする事がない。
そして心配される事が面倒臭いタイプなのだ、私たち姉妹は。
有り難い、と感謝すべきなのだろうが、まだそんな心境になれない。心配するなら終活しといて、と言ってしまうぐらいの冷酷さだ。
母のそんな姿に嫌悪感を抱くのも、私の中に近しいものがあるのだろう、とこの文章を書きながら考えている。
ムスッとした口調のまま電話を切って、その後、少しだけ「ゴメンね」と思う。